___はもういないじゃない
ルベルの訪れを聞いた時、オーロラは静かに覚悟を決めた。
多忙を極める王太女が、田舎の静養地を訪れる理由などひとつしかない。
「──謝罪程度で許されることではございません。全ての責は私と先代当主にございます。子供だったラズリや、使用人は従うしかありませんでした」
「プレーズ夫人……」
「きっかけは本人達ですが、それも言い出したのはラピスです。ラズリは大それたことをするような子ではございません」
裏切りの結晶。
夫が自分を信じていなかった証であり、自分が期待に答えられなかった証でもある。
それでも母親だったのだ。
ラズリがどんな子かは、痛いほどわかっている。
長年の心労でやつれたオーロラ。
それでも背筋を伸ばしラズリを庇う姿に、過ぎし日の理不尽な言葉は、本心であっても本性ではなかったのだとルベルは思った。
*
「──……ラピスがお転婆な子になったのは、私のせいかもしれません」
ルベルが出された茶に口をつけた時、オーロラは静かに語り出した。
十八年前。
産婆は「元気な女の子ですよ」と、些か気まずそうにオーロラに告げた。
告げられた性別にオーロラは落胆した。
出産後の朦朧とする頭で「やっと掴んだチャンスを駄目にした」と思った。
高齢出産だったからか、オーロラは産後の回復に通常よりも時間がかかった。
当時のオーロラは産後の肥立が悪いから、子供のお披露目を先延ばしにしていると頭ではわかっていても、夜な夜な「女児だから公表したくないのか」と疑って枕を濡らしていた。
真実はもっと残酷で、延期の理由はディーンがアルマの出産を待っていたからだった。
*
「大人が勝手に期待しただけで、生まれた子供に罪はない」と、オーロラが悟るのに半年かかった。
期待を募らせていた者達は、今度は勝手に失望して娘に心無い言葉を投げつけるかもしれない。
もしそうなったら離縁して母娘で静かに暮らそう、と彼女が決意した矢先に、ディーンはラズリを連れてきた。
夫と同じ色の髪、自分と同じ色の瞳。
産んだ覚えがないのに、腹を痛めて産んだ我が子とそっくりな男児。
視界に入れるだけで、頭がおかしくなりそうだった。
「あの子が男だったら、と思ったことは一度や二度ではありません」
もしラピスが男だったら、ディーンはラズリを連れ帰ったりはしなかっただろう。
裏切られたという事実は変わらなくても、オーロラは何も知らず幸せに生きていたはずだ。
「そんな母親の気持ちを感じ取って、わざと男勝りに振る舞っていたのかもしれません」
あの闊達さが演技だとしたら。もしそんなことをしていなければ、弟のフリをすることもなかっただろう──幼くして命を落とすことはなかったかもしれない。
誰にも言えずに今日まできてしまった、淡墨のような澱。
時が経つにつれ少しずつ、胸の奥で静かに積み重なっていった想いを、オーロラは初めて言葉にした。
「……私はラピスとは一度しか会っていないので、なんとも言えません」
ルベルは肯定も否定もしなかった。
オーロラは自分を責める材料を探して、小さな可能性を肥大化させている可能性が高い。
しかし「気にし過ぎです」と否定できる根拠もない。
初対面だけは、ラピス本人だったらしい。
だからルベルが本物に会ったのは一度きりだ。
ルベルは初回と二度目以降のラピスに違和感を感じなかったが、いかんせん子供のころの記憶なので曖昧だ。
オーロラの言う通り、家ではあえてじゃじゃ馬娘を演じていたのかもしれないが、今となっては真相はわからない。
(でもラズリなら、本当のラピスを──いいえ、止めておきましょう)
これは余計な詮索だ。
ルベルは頭に浮かんだ考えを打ち消した。
*
ギャラン帝国のエレイン妃は、よかれと思って行動したことが尽く裏目に出るタイプだった。
長男には独りよがりな過保護。
次男には、兄の為に生きるよう無自覚に強いていた。
彼女と二人の息子は、加害者と被害者と立場がハッキリしている。
エレインは夫も子供も愛している。悪意がないのがタチわるいが、同時に救いでもある。
息子達が母親を許せるのであれば、彼女が再び間違った選択をしそうになったら止められる人物が側に居るなら、親子の仲は修復可能だ。
しかしオーロラは違う。
彼女は、夫とラズリに憎悪と嫌悪を抱いてしまっている。
自分が不幸だから、一人でも多く道連れにしようと悪意を振りまき続けた。
オーロラは被害者だったが、今は加害者でもある。
彼らはお互いに深く傷つけ合いすぎた。
ダイアナはプレーズ家は修復不可能だと判断して、三人が別の道を歩むことを提案した。
*
「プレーズ夫人に、ある少女の代母になっていただきたいのです」
「私に……?」
代母とは、若い娘の社交生活に限定した後見人だ。
法的に権利を有する後見人とは違い、主に親戚の女性が身内の少女の世話をする時に用いられる、今は廃れた古い習慣だ。
「彼女は上流階級の娘です。下に弟が一人。両親は跡取りになる弟を贔屓して、姉である彼女を蔑ろにしていました」
今日ルベルがオーロラの元を訪れたのは、彼女を断罪するためではない。
ラズリを助けるためには、オーロラの存在を無視することはできない。
彼女が地獄にいる限り、彼は前を向いて生きることなどできないだろう。
「誰も彼女の意見を聞かず、自分達の都合を押し付けていたようです。幼い頃から色々なものを強要された結果、彼女は自分の食べ物の好みすらわからない人間になりました」
オーロラの手に力がこもる。
少し状況は違うが思うところがあるようだ。
「両親が事故で亡くなり弟が家を継ぎましたが、当主となった弟は彼女を嫁に出しませんでした。『結婚できない姉に情けをかけてやっている』と言って彼女を閉じ込め、公にできない金の管理をさせていました。弟にとって姉は、人件費のかからない便利な道具だったのです」
オーロラは相槌を打つこともなく、ルベルの言葉に聞きいっていた。
一点を見つめて微動だにしないのは、選択の余地なく罪に加担するはめになった自分を思い出しているのかもしれない。
「現在、彼女の身柄は我々が保護していますが、証人の役目を果たした後は、自立してもらわなければいけません。彼女を手助けする人間が必要です、それを貴女に任せたいのです」
「……私が良い母親でなかったことを、殿下はご存知なのでは?」
王女の前で叱責した覚えはないが、二人は親しかった。ラズリが家のことを外に漏らすとは思えないが、それでも伝わるものはあるはずだ。
「ラズリに対してのみです」
ルベルはきっぱりと断言した。
強い眼差しに、オーロラの瞳が揺れる。
「彼女は貴女の娘ではありません。貴女は彼女の母親ではありません。でも母親代わりにはなれます。娘さんにしてあげたかったことをしてあげてください。それは彼女が母親にしてもらいたかったことでもあります」
しばしの沈黙の後、オーロラはポツリと呟いた。
「……娘に刺繍を教えるつもりでした。故郷の伝統的な図案を受け継いでほしかった……」
「アンバーさんは服作りに興味がある方なので、大丈夫だと思います」
「娘が大きくなったら、一緒に観劇に行くのが夢だったんです」
「娯楽のない人生を送っていたようなので、喜ぶと思います。きっと舞台衣装に興味を示すでしょう」
まだ小さいから針を持たせるのは早いかもしれない。
大人しく座っていられなくて、他の客に迷惑をかけたらどうしよう。
あれこれ考えて先延ばしにしている内に、どちらも永遠に叶わなくなってしまった。
「……ラピスだったら、どちらも嫌な顔したでしょうね。赤ちゃんの頃からじっとしてるのが苦手だったもの」
寝かせた場所からあまり動かないラズリと違って、ラピスは少し目を離すと場所も体勢もとんでもないことになっていた。
ずり這いしはじめてからは、ストイックとも言えるくらい動き回っていた。
動き疲れて糸が切れた人形のように眠るラピスを思い出し、オーロラの顔が綻んだ。
「別人ですから」
「ええ。別の人間ですものね」
噛みしめるように、目を閉じたオーロラが繰り返す。
「これは命令ではありません。でも個人的には、貴女のためにもこの役目を引き請けてもらいたいです」
今のところオーロラとアンバーの相性は良さそうだ。
だからと言って、任せきりにするわけにもいかない。
今度はオーロラがアンバーに感情移入するあまり、行き過ぎた関係になる可能性があるからだ。
幸いにもアンバーはピジョンに心を開いている──というか心酔している。ピジョンは服作りを指導すると言っていたので、ルベルはついでに定期的なヒアリングも頼むことにした。
「ルベル殿下。ご用命、謹んでお請けいたします」
体はやつれたままだが、オーロラの纏う空気から陰鬱さが消えた。
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結局どうだったのかは次回読者のみぞ知る。




