ジーマーでゴイスー
「まずは止血しましょう。頭部以外に痛いところはありますか?」
「治療は膝だけで大丈夫です」
「え? いや、額を切ったんでは?」
「血がついた手で触れたから、そう見えるだけです」
あっけらかんとしたダイアナの言葉に、町医者と付添いの使用人は狐に化かされたような顔をした。
付添いという名目だが、実際は監視役だ。
「由緒正しい家の娘を伴も付けずに外出させることなどできない」とカールは主張していたが、これ以上勝手なことをされないためだろう。
「治療は外に出るための口実です」
「んん?」
堂々と言い切られて、町医者は目を瞬かせた。
診療所に来るまでの経緯を知っている使用人は、呆気にとられている。
「──これを見てください。内側に名前が彫られているのがわかりますか?」
ダイアナはポケットに隠していた指輪を手渡した。
「ええ〜と。サ、フィ、ルス……ダイ、アナ……? 人名のようだけど、どなたですか?」
老眼なのか、医師は指輪に顔を近づけたり遠ざけたりしながら読み上げた。
「ジェンマ国の王太子と、その婚約者の名前です。指輪の持ち主は、サフィルス王太子と現在婚約中の男爵令嬢です」
「はわっ!?」
まさかのビッグネームに、仰天した町医者は指輪を落っことした。
素手でベタベタ触るのは不味いと思ったのか、床に落ちたそれを慌ててピンセットで拾う。
気を遣いすぎて、ばっちいもの扱いになっているぞ。
「先日王都に行った際に、護衛の方が私と彼女を間違えたんです。身近な人でも見分けがつかないくらい私達はそっくりだったようで……」
「魂の双子ですか。そりゃすごい」
医師の口から知らない単語が飛び出てきたので、ダイアナは微笑んで誤魔化した。
ジェンマ国や帝国とは違い、コランダムには魂や輪廻転生の概念があるのは知っていたが『魂の双子』という言葉は初耳だ。
知ったかぶりをかまして墓穴を掘りたくないので、ご想像にお任せしますモードで対応する。沈黙は金。
「現在お二人は建国式典のため、この国に滞在されています。あの時は慌ただしくて、ろくに会話できませんでした。男爵令嬢は私に『大事な指輪を預けるから王宮まで返しに来てほしい。日を改めてもう一度会いましょう』と仰りました。これはその証です」
「……」
医師はチラチラとダイアナと指輪を見比べた。
「しかし当主不在の中、私を目の敵にしている使用人頭に部屋に閉じ込められてしまいました。使節団の滞在期限が迫っているんです。弟の帰還を待っていては、間に合いません」
続く言葉に、医師は困惑の表情を浮かべた。
やはり男尊女卑の国とは言え、カールの行動は越権行為のようだ。
「このままでは私は、指輪を持ち逃げしたことになってしまいます」
「それなら、今の話を正直に伝えたら良いのでは?」
「聞く耳を持たない人間を、悠長に説得している時間はありません」
「先生! 騙されないでください! アンバー様は無断で家を飛び出したところを連れ戻されたんですよ。その指輪だって、王都で偶々購入したもので、でっちあげの可能性があります!」
医師とダイアナの会話に、使用人が割って入る。
「我が家の使用人の態度については、ご覧のとおりです。たしかに私は先日勝手に外出しましたが、アダマス男爵令嬢との約束は本当です」
医師は再度指輪を観察した。
アクセサリーには詳しくないが、素人目にも高価な品に見える。
派手さはないが、上品で精密な細工が施されている。
外側ならまだしも、内側に二人の名前を流麗に刻むのには高い技術が必要だろう。
しかも普通なら外側に宝石を配置するのに、この指輪は内側に青い宝石を埋め込んでいる。装着してしまえば見えない場所で輝くのは、美しくカットされたサファイア。随分贅沢な遊び心だ。
(これは特注品だな。店頭に並べられてるようなシロモノじゃない)
それに今しがたの使用人の態度。横柄が過ぎる。
「……私は急ぎ王都──いえ、王宮に行かなければいけません。先生、どうか協力してください」
「アンバー様!」
ダイアナは、使用人の咎める声を無視した。
「ルベル王太女は立太子するために婚約を解消しています。結果として彼の国の王太子は成婚直前に結婚相手を失い、身分差のある男爵令嬢と婚約することになりました」
シンデラレストーリーに沸くのは自国民だけで、他国からみれば男爵令嬢との婚約なんてデバフだ。
「私まで指輪を持ち逃げしたとなれば、我が国はジェンマを侮っていると受け取られかねません。私ひとりの問題じゃないんです」
「ううむ……」
医師は顎に手を当てて思案顔だ。
「娘の罪は、家長の罪。ジェンマの顔を立てるために、我が家には罪状に釣り合わない重い罰が与えられる可能性があります。家は大きな事業を手掛けています、必然的に関係者にも影響が出ます」
例のよく分からない施設もだが、あの部屋で見た書類にはかなり大きな金額が書かれていた。
大問題になるぞ、と別の角度から揺さぶる。
「お嬢さんのことを信じたいところだが……先日もどこかの家の娘が出奔したと聞いたばかりだし、お嬢さんもそうじゃないとは限らない。今の話が嘘だった時、儂は責任を取れない」
医師が言っているのは、ラピスのことだろう。
「なら、護衛を雇えば良いんです! 寧ろそうしてください!」
「なんだって?」
「先生の名前で護衛を雇ってください! 私を王宮に連れていき、用事を終えたら再び家に連れ帰る契約です。一流の護衛なら、私が何を言おうと雇い主にしか従いませんし、何が起きても契約を遵守するでしょう」
「いや、しかし──」
「帰還時に、契約金の倍額を謝礼としてお支払いします」
及び腰の医師に、札束ビンタをおみまいする。
「ここから王都まで数時間。男爵令嬢とは少し話す程度でしょうから、一両日中にお金が倍になって返ってきますよ」
「……」
「先生がするのは護衛との契約だけ。後は何もしなくて大丈夫。例え前金のために借金をしても、利息が発生する前にお金が戻ってきます。しかも我が家の恩人になれるわけです」
ちょっ、段々胡散臭くなってきたぞ。
「何かあっても、責任を負うのは護衛です。先生は何も失いません」
短期間でリターンがある。楽して稼げる。ノーリスク。
揺れる医師に勝機を感じたので、ダイアナは前世の知識を悪用して甘い言葉を囁いた。
言っておくが、参考にしたのは詐欺に関する注意喚起だ。
ダイアナお嬢様の前世が詐欺師だったわけじゃないぞ。
「……丘の上のホテルは裕福な利用客が多い。現地で護衛を雇う外国人も多いから、伝手の無い人間も紹介所に行けば護衛を雇えるが……」
「極力ランクの高い、信頼できる人を複数名お願いします!」
富裕層御用達の護衛を雇えるならありがたい。
護衛で脇を固めて堂々と帰還すれば、周囲にはお忍びで出掛けていたように見えるだろう。
ゲスの勘繰りを避けたいのは勿論のこと、こんなことで悲願達成に陰りが出るなんて冗談じゃない。
「貴方も協力してください。私が入院することになったと使用人頭に報告するだけで、特別報酬が手に入りますよ」
ダイアナは笑顔で使用人を振り返った。
邸を脱出したのが夕方だったので、その日は病室で一泊。
翌朝。まんまとそそのかされた医師は、妻に相談することなく有り金はたいて、手の空いている護衛をかき集めた。
人間は騙されている時ほど、大丈夫だと思い込むもんだ。おいしい話を持ちかけられたら、家族でも友達でもいいから話を聞いてもらおう!
こうして無一文のダイアナお嬢様は、セレブ専門の護衛達に守られながら悠々と帰還したのである。
事件発生から帰還まで、わずか1日半の出来事だった。
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