慎重令嬢
その日、アダマス邸は朝から緊張に包まれていた。
正確に言うなら、一週間前にある手紙が来てからずっと緊張が続いている。
緊張し続けて途中で限界がきて、三日前に一回脱力した。「取り繕わずありのままを見てもらおうぜ」な空気が漂ったが、当日が近付くと慌てて緊張を取り戻した。
発端はダイアナ宛に届いた一通の手紙だった。
送り主はエスメラルダ・オブシディアン。
王妃の実家として知られる、ジェンマ国でも指折りの名家。スターリング侯爵家が三下に見えるくらいの、建国から続く大貴族である。
本人の品格を現すが如く美しい文字で綴られた手紙は、要約すると「私も貴女と同じ政略結婚なの。お話ししたいので、お家に遊びに行ってもいいかしら?」だった。
端折り過ぎと言われるかもしれないが、丁寧な挨拶とか貴族特有の言い回しが多すぎて、全文書くと原稿用紙八枚くらいになるのだ。
Web小説は一話あたり平均二千〜三千文字なんだぞ。勘弁してくれ。
棚から牡丹餅状態のチャンスに、アダマス家は沸いた。
もしダイアナがエスメラルダと親交を深めることができれば、成金男爵と表立って馬鹿にしてくる連中は激減する。ダイアナを友人として選んだ、公爵令嬢の判断にケチをつけることになるからだ。
逆にエスメラルダの気分を害することがあれば、この国での居場所が無くなるかもしれないのだが、その事に気付いているのはアダマス親子とピーターくらいのものである。
*
築数年でピッカピカなアダマス邸。
庭も建物も最新のデザインで、歴史の重みとか風格とは無縁である。
爽やかな午前の風と共に降り立ったエスメラルダ・オブシディアン公爵令嬢は、生粋のお姫様らしい気品ある美少女だった。
クレイと軽く挨拶を交わした彼女は、ダイアナの部屋へ移動することをやんわりと希望した。
やんわりすぎて、メイジーを始めとする平民に近い者達は、公爵令嬢のお付きの者達に解説されるまで何を言われているのかわからなかった。
よくわからなくて、サンルームと東屋両方にお茶の準備手配してしまった。どちらも、スタッフが後で美味しくいただきました。ラッキー!
とまあ、無駄なやり取りを挟みつつ、ダイアナの部屋にやってきた二人……とお付きの者達。
女子同士の交流だが、エスメラルダは公爵家の大事なお嬢様なので、侍女のオパールと護衛のシトリンが同席している。
オパールはエスメラルダの乳姉妹であり、シトリンはエスメラルダの母方の従兄弟だ。
シトリンは三男で継ぐ家もなく、独立する必要があった為、従姉妹の家に護衛として雇われたのだ。ガッツリ縁故採用だが、ちゃんと腕が立つので問題はない。
エスメラルダにしても、成人男性と一から信頼関係を築くよりも、幼い頃から交流のある親戚の方が安心できるのでWin-Winだ。
*
(私とおしゃべりしたいのよね?)
エスメラルダの要望で部屋にきたは良いものの、彼女は玄関先で行ったのと同じような社交辞令を繰り返すだけ。
微笑みを浮かべているが表情も薄く、行儀の良いお人形のようだ。
しばし観察した後に、ピンときたダイアナは行動した。
「メイジー。オパール様を連れて、厨房でお茶の用意をして頂戴」
「え? ダイアナ様、お茶ならココに……」
「公爵家の総領娘であらせられるエスメラルダ様に、我が家で用意した物を安易に提供するなど……配慮が足りず申し訳ございません!」
突然謝罪したダイアナに、全員ポカン顔だ。
「他人の家で出される飲食物など、依存性の高い薬物や、毒物や、媚薬が盛られていないとも限らないではありませんか! 疑うような真似をするなんて、礼を欠くと思われたのでしょうが、遠慮は無用です! 大事な御身なのですから!!」
大人しそうな少女の口から放たれる衝撃的な単語に、オブシディアン家から来た者達は絶句した。
メイジーは新生ダイアナの言動に慣れつつあるので、そこまでではない。このお茶は無駄になりそうだと彼女は、ささっと片付けを始めた。このお茶も、後でスタッフが美味しくいただきました。
「お茶は勿論、茶菓子も今すぐ厨房で作り直しましょう! オパール様は異物が混入されていないか、調理段階から監視してください! いっそオパール様が調理してください! そしてシトリン様は護衛ではありますが、男性ですので扉の外で待機してください! 私、婚約者がいますので!」
ダイアナの勢いに押されて、彼等は部屋を後にした。
これで正真正銘二人きり。
「──この部屋にはもう、私とエスメラルダ様しか居ません。言いたいこと、我慢しなくて良いんですよ」
ダイアナの意図を察し、エスメラルダはポツポツと語り出した。
*
(思ってたのとだいぶ違う)
政略結婚仲間という事で、ダイアナはエスメラルダと政略あるある話をして盛り上がるものだと思っていた。どんな思考回路だよ。
しかしエスメラルダの口から語られたのは、彼女が婚約に至った経緯や、アレキサンダーの振る舞いだ。要は泣き言である。
(鬱陶しいな)
失礼だが、これがダイアナの感想である。
小気味の良い愚痴や、ユーモアたっぷりの自分語りであれば、いくら語ってくれても構わないが、エスメラルダの口から出るのは面白くもなんともない胸糞ドアマットパートだ。
(私はゴミ箱じゃないんだけど)
時系列も視点もごちゃごちゃ。
この期に及んで何処に配慮しているのかわからない、貴族らしい迂遠な言い回し。
色々言っているが、正直情報が頭に入ってこない、ぶっちゃけ何を言いたいのか分からない。
文字数の多さだけで壮大に見せようとしている、内容の薄い小説みたいだ。
(そもそも、エスメラルダ様が『どうしたい』かが全く分からない)
生来の責任感の強さと、多角的に物事を見る長所が悪い方に働いているのだろう。客観視しすぎていて、主観が迷子だ。
アレキサンダーとどうなりたいのか、彼女も自分の本心がわからないのかもしれない。
「──お話はわかりました」
(要はあのクリスマス野郎に不満があるんでしょ)
緑髪赤目のアレキサンダー。
ダイアナは初対面の時、何かに似ていると思ったがクリスマスツリーだった。エスメラルダの話で、器の小ささが知れたので今はクリスマスリース扱いだ。
「エスメラルダ様。『〜すべき』は一旦、封印しましょう。『〜したい』を考えましょう。その為には想像ではなく、事実に基づいた正確な情報が必要です」
思慮深いのは結構だが、可能性を考えすぎて底なし沼に入っている。
エスメラルダはありのままのアレキサンダーの情報を並べて、考えを整理すべきとダイアナは考えた。
「私と一緒に、婚約者の身辺調査をしましょう!!」
オパールは、今すぐ部屋に戻るべきだ。
お前の大事なお嬢様は、今まさに薬物よりもヤバいものに汚染されようとしている。
「──え?」
ダイアナの言葉はしっかりと耳に届いたが、思いも寄らない提案にエスメラルダの反応が遅れた。
「安心してください。自分達で婚約者の尾行をするような素人探偵ごっこではなく、ちゃんとプロを雇うんです。調べるのは専門家にお任せします」
それもっとヤバいやつ。
探偵ごっこなら少女漫画にあるヒロインムーブだが、ダイアナお嬢様は青年漫画のゲス系主人公ムーブのお人だった。
しかも素行調査じゃ無くて、身辺調査。
現在の素行だけじゃなく、過去も洗いざらい調べるよりガチなヤツじゃん。
「エスメラルダ様だけ調べるのは不公平なので、私もシルバー様の調査依頼をします! 報告書が届いたら一緒に見ましょう!!」
「一緒にドレス注文して、見せ合いっこしよう」のノリである。
相手が初対面の格上令嬢でもお構いなし。今日も我らのダイアナお嬢様はアクセル全開である。
「でも、……貴女は婚約者と上手くいっているんでしょう?」
「私は今の状況に満足していますが、それはこの結婚がアダマス家にも、私個人にも歓迎すべき内容だからです。シルバー様の身辺調査はまだしていなかったので、丁度良い機会です」
遅かれ早かれ調べる気だった、とサラリと暴露するダイアナ。
「信頼できる人が投資話を持ちかけてきたとしても、裏付けも取らず、言われるがままに契約書にサインしたりはしないでしょう? それと同じです。結婚は人生に大きく関わる契約です。ちゃんと自分の目で精査しなければ」
凄いよな。やってること滅茶苦茶なのに、言ってることは妙に筋が通ってるんだ。
「……それは政略結婚だから?」
「むしろ恋愛結婚の方が、身辺調査すべきですっ!」
「え?」
先程からエスメラルダのリアクションが「え?」一択だが、別に自分の頭文字だから口癖になっているわけではない。
人は本当に驚いた時、そんなにバリエーションのきいたリアクションはとれないのだ。
「政略結婚と違い、恋愛は相手が提示した情報を基に仲を深めるんです。つまり相手が隠していれば、身分詐称や、借金や、厄介な宗教にのめり込んだ親戚に気が付かず、結婚してしまうんです!」
怖い、怖い。例えが怖い!
「もし相手が犯罪者だったら、何も知らずに結婚したが最後『加害者家族』になるんですよ!!」
おう。相変わらずぶっ飛んだ発想だ。
誰も結婚する前に「この人が殺人犯だったら……」なんて考えないぞ。
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