やっちまったな!
『まーたそんな所で、うにうにしてる!』
膝を抱えた少年のもとに、彼とそっくりな子供が駆け寄った。
『“うにうに”ってなにさ。“うじうじ”のまちがいじゃないの……?』
『全然ちがーう! “うにうに”は“うにうに”! それより、これ見て! ねえ、どう?』
いつもの自分の過ちを認めないパターンなのか、感覚派故に本当に別物だと思っているのか判断つかない。
『……どうして、ぼくの服きてるの?』
『へへっ。そっくりでしょ! さっきつまみ食いしたら“ぼっちゃん! 奥様に言いつけますからね!”って料理長に怒られた!』
『ひどい! それぼくが後でしかられるじゃん!!』
座り込んでいた少年は真っ青になった。
彼の母親は嫋やかな見た目に反して、とても厳しい。
その厳しさが愛情によるものではないと理解したのは、偶然自分の生まれを知ってしまった時だった。
親に連れられて来ていた奴等と一緒に立ち聞きする形になったのが少年にとって地獄の幕開け──否、地獄は少年が産まれた時には始まっていた。ただ彼が気付かなかっただけだった。
『まあまあ。それよりも、コレならぜったいバレないよ』
『……』
『今までずっと代わってもらってたじゃん。だから今回も交代しよう』
『でも……』
『いつものお礼にアイツらにガツンと言ってあげるからさ。もう大じょうぶだよ!』
『ダメだよ。危ないよ』
連中はずる賢い。
大人にバレないよう、証拠が残りにくい方法で甚振ってくる。
口達者で誤魔化すのも上手い。
『そもそも悪いのはお父様たちじゃん! 言いふらすなら勝手にすればいいんだよ!』
『だって……』
『大人がしたことでしょ、ならせきにんをとるのも大人だよ! 悪いことしてないのに、言いなりになったりしないの!』
煮えきらない少年に対し、腰に手を当てて言い切る。
気が強くて、突拍子もないことを思いつき、正しかろうが間違いだろうが堂々としている。
少年とはまた事情が違うが、苦しい立場にいるのは同じはずなのに、何故こうも違うのか。
見た目はそっくりなのに、二人の性格は正反対だった。
『苦手なことがあれば、とくいな方がやればいいんだよ! “たましいのふた子”なんだから、助け合うのは当たり前なの!』
コランダムには『魂の双子』という伝承がある。
この世のどこかには、自分とそっくりな人間が一人存在する。
瓜二つな人物は魂の片割れ。
ひとつの魂が2つに分かれて生まれ落ちる為、人は生まれながらにして不完全なのだという考えだ。
この広い世界で片割れ同士が出会うことは奇跡に近い。
もし生きている内に巡り合うことができれば、魂は完全な姿を取り戻し、お互いに欠けたものを補うことができるという言い伝えだ。
『それって、他人なのにそっくりな人たちのことでしょ。ぼく達はちがうじゃん』
『もー、いちいち細かい! ふた子じゃないのに、そっくりなんだからいいんだよ!』
『もういいよ……』
『じゃあ決まりね!』
少年の言葉は、魂の双子の定義について訂正を諦めただけだ。
しかし入れ替わりを了承したと受け取られてしまった。
食い下がるべきか悩んだが、気の弱い少年は言い争いが苦手だ。どうせ押し切られるのが分かっているので、いつものように折れた。
*
あれから何度、あの日のことを思い出しただろう。
もしあの時、引き下がらなければ。過去に戻ってやり直すことができたなら。
そんなことを考えても意味はないのに、もしもを考えずにはいられない。
「──そうだね。僕達は『魂の双子』だ。君を殺した連中を、僕は絶対に許さない……」
生暖かい風に吹かれて男は目を閉じた。彼はもう膝を抱えた少年ではない。
*
夕日が沈んだ後も、空はぼんやりと明るかった。
この辺りは長い夏が終わると、秋を感じさせる間もなく冬に突入する。暦の上では秋だが、クォーツの夏はまだ終わりそうにない。
蝋燭の明かりが揺らめくダイニングルームは、この場所が俗世と乖離しているからか、静かで幻想的な雰囲気を醸し出していた。
部屋で休んでいたウヴァロ、ライはすっかり元の調子を取り戻した。
その一方で此処にアメリアの姿はなかった。役目を終えた彼女は、今夜は部屋で過ごすらしい。
(ワシらとの交流を徹底して避けるのは、うっかり口を滑らすのを防ぐためかしれんな)
SNSで炎上したくなければ、アカウントを持たなければいい。
(罪と罰か……)
この部屋にも絵が飾られているが、よく見ると古代の裁判の様子を描いたものだ。
ひときわ立派な衣装を纏った男が台の上に立ち、羊皮紙を読み上げている。腰に布を巻き付けただけの男が、しっかりと着込んだ者達に押さえつけられているので、有罪判決が下ったのだろう。
クレイがぼんやりと絵を眺めていると、この集まりの主催者が現れた。
「──!?」
フロレンス商会の新会長であるアメトリンは首から上を包帯で覆っていた。
手には手袋を嵌めているので、肌が露出しているのは目元と耳だけだ。
(子供の頃に火災に巻き込まれたと執事が言っていたが、これは……)
火事が原因なのか足も悪いようで、医師と思しき男性が車椅子を押している。
衝撃的な姿に言葉を失う一同を見渡すと、アメトリンは囁きのような小さな声で挨拶の言葉を紡いだ。
(喉もやられてるのか)
声量は小さかったが、話の内容はしっかりしたものだった。
包帯のせいで表情がわかりにくいのを補うためか、ジェスチャーによる表現が上手い。
痛々しい見た目に反して、精神的な脆弱さを感じさせない青年だ。
商売は度胸とハッタリ。
クレイは駆け出しの頃訪問販売をしていた。
療養施設を訪問することもあったので、彼は死の影を漂わせる重病人でも臆さず営業トークできる。
治療中の感染症ならまだしも、アメトリンは負傷による障害だ。握手も会話も抵抗はない。
娘と同様にリアリストなクレイは「この体だと営業に苦労するな。方々に出向いて挨拶回りができないから、アルマ商会長はお披露目と銘打ってお膳立てをすることにしたのか」と考えた。
アンドリューは咄嗟に取り繕ったものの、アメトリンの外見にショックを受けたのは明白だった。
育ちの良い彼には衝撃が強かったようだが、嫌厭することはなく。暫くすればジョークを言い合うくらい打ち解けていた。
ヴァルに関しては、最初から一瞬たりとも衝撃を受けた様子がなかった。
(流石王族と言うべきか、全く動揺を見せんな)
クレイ。多分そいつマジでなんとも思ってないだけだ。感性が一般人とかけ離れてるからな。
(それに比べて彼らは……)
ウヴァロとライは完全に及び腰だった。
全然会話に入っていこうとしないし、時間が経つにつれて顔色が悪くなっている。
*
「……ここは嘘つきばかりだ」
クレイが情けない二人に内心呆れていると、隣のヴァルが呟いた。
「嘘つき?」
「知っているのに知らないフリをしたり、人を欺いたり……」
(う〜む。若者らしい潔癖さだ)
ヴァルはサフィルスと同じくらいの年に見える。
祖国の社交界では、大事な王子様が傷つかないようフォロー役がついていたのかもしれないが、ここは帝国ではないし今の彼は一人だ。
(純粋培養なら、お世辞と建前が標準装備の世界に嫌悪感を抱いてもおかしくないな)
クレイは勘違いしているが、中性的だから若く見えるだけでヴァルはサフィルスより年上だ。
幼い頃から大人の嘘や不正を見透かしてきた為に潔癖とは程遠く、むしろ普通の人間なら顔をしかめるようなことも許容範囲だったりする。
アウトかセーフかの判定ラインがぶっ飛んでいるので、フォロー役の側近はヴァルが傷つかないようにではなく、ヴァルが他人を傷つけないように頑張っていたのだ。
「殿下はまだお若いですな。これが我々の社交というものなのです」
「そうなのか?」
「ええ。例えば主催が特別な演出を用意したのに、それに気づいたゲストがサプライズ前に詳らかにしてしまったら台無しでしょう。誰も幸せになりません」
「……」
「他にも蘊蓄を披露している人間に、間違いを指摘をすれば空気が悪くなります。知っていても知らないフリをすれば、どちらも丸くおさまります。茶番だと思っても付き合ってあげるのが優しさというものですよ」
サフィルスは王太子だが、ダイアナの婚約者でもある。
彼は義父となるクレイに対して気さくに話掛けてくる。
サフィルス自身の温厚な雰囲気も相俟って、最初はカチンコチンに緊張していた彼も、最近ではすっかり慣れてしまった。
「人との付き合いは、相手の立場を尊重することが肝要です」
「なるほど」
「欺くと言うと聞こえが悪いですが、時として必要な嘘というものもあります。人間関係は、言っていることが正しければ上手くいくという単純なものではないのです」
慣れというものは恐ろしい。
王子相手に年配者として話すことに抵抗を感じなくなっていたクレイは、同じノリで他国の王子にも語ってしまった。
「そうか。参考になる」
「ハハハ。ワシはしがない男爵ですが、殿下よりも人生経験だけはありますからな。何かあったら、遠慮せずお聞きください」
そして彼は、己の行動を深く後悔することになる。
面白い! 続きが気になる! などお気に召しましたら、ブックマーク又は☆をタップお願いします。




