わ わかんないッピ
サフィルスは露店の椅子に座って落ち込んでいた。
「失敗した……」
サフィルスの言葉を聞いた瞬間のダイアナの表情が忘れられない。
自分は口にしてはいけないことを言ったのだと、彼は本能的に悟った。
ダイアナが戻るまでに、何が問題だったのか理解していないといけないのに、いくら考えてもわからなかった。
もしダイアナがサフィルスを愛しているなら、改めて彼が彼女に好意を抱いていたと告げられたら嬉しく思うんじゃないのか。
本心では今のサフィルスではなく、昔のサフィルスを求めていたなら、喜びと悲しみが混在する複雑な表情になっただろう。
(あんな微妙な顔をする理由はなんだ?)
誤作動を起こした絡繰人形のように一瞬停止した後、気まずそうに中座したダイアナ。
(雑踏の中であれば護衛を気にせず会話できると思ったけど、早めに引き上げて静かな場所で続きを話すべきだろうか……)
ダイアナは夜市名物の屋台料理を楽しみにしていた。
この空気で楽しめるとは思えないが、彼女が望むなら観光は続行だ。
問題はサフィルスがいまだに何が過ちだったか理解していないところも含めて、戻ってきたダイアナにどう切り出すかだ。
周囲の賑やかさとは対象的に、サフィルスが暗い顔で項垂れていると、突如ざわめきが広がった。
「おいっ! 飛び降りだ!!」
「あそこの建物から女が落ちたぞ!!」
「金髪の外国人だッ!」
目撃者たちが口々に叫びながら指差すのは、ダイアナがトイレを借りに向かった建物だった。
*
飛び降り騒動から遡ること暫し、ダイアナは狭い個室に腰掛け、考える人のポーズをしていた。
「どうしよう……」
ダイアナお嬢様、絶賛トイレエスケープ中。
脈絡なく投げかけられたサフィルスの問いに、ダイアナは咄嗟に答えることができなかった。
今は時間稼ぎしつつ、どうするか思案中である。
サフィルスの問いに対し、ダイアナの本音は「え。困る」だ。
恋愛対象としてサフィルスがダイアナを好きになっても、ダイアナは同種の『好き』を返すことができない。
応えることができないから、想われていることに喜びよりも気不味さを感じる。
お互いに対する感情の釣り合いが取れていない関係は長続きしない。
花に水を与えなければ枯れるように、愛も一方通行が続けば枯渇する。
ダイアナは、報われない想いを抱え続けることができる者がこの世に存在するとは思えなかった。
だが今のサフィルスに、思ったことを率直に伝えるのはダメだ。
本人に自覚があるのかわからないが、今の彼は気力を消耗している。
物事を判断する際の基準となる記憶が欠けているので、記憶喪失になってからのサフィルスはずっと不確かな情報で判断を強いられている状態だ。
王族として相応しくない振る舞いはできない。
王太子として仕事の遅れを取り戻さなければいけない。
ジルコニアの家に比べれば城は安心できる場所だが、それは身の安全が確保されている程度のものだ。城での生活は人の目が多い分、取り繕った生活を続けているので別種のストレスが蓄積している。
気を張り続けているし、いつまで続くかわからない状況に気疲れしている。
それでも生来の性根なのか、習い性なのか彼はそれを表に出さない。「無理するな」と言われても、微笑んで「大丈夫だよ」と返すのがサフィルスという男だ。
「嘘はつきたくない。でもそのまま言ったら傷付ける」
心身が元気な状態だったらなんてことない言葉でも、弱っていれば鋭い刃になる。
口八丁で誤魔化すことは可能だが、それをしてしまったら人生のパートナーを、その他大勢の人間と同じに扱うことになる。
ダイアナが理想とする伴侶の姿は、唯一無二の相棒だ。
誠実で、お互いに一番の味方でいることだ。
先日ルベルと親友の定義について話したが、夫婦も同じだ。
何でもかんでも正直に話せば良いわけじゃない。本当に大事な人なら、まず相手への配慮がなければ。
(そもそも私は殿下に対して誠実……?)
ふとダイアナは自分のこれまでの行動を振り返った。
ダイアナは酔えない──他人に心酔できない人間だ。
彼女は盲目的に人を信じることも、無条件に肩入れすることもない。
例えば夫と他の人間が対立した時、もしくは夫が窮地に立たされた場合。ダイアナはどんなに不利な状況でも味方になるが、もし夫が一線を越えていたならその限りではない。
サフィルスが男爵家に婿入りしたら一生大切にするが、もし彼が浮気をしたら即座に身ぐるみ剥いで叩き出す。
これまでダイアナは、問題があれば即婚約解消するスタンスだった。
それなのに入籍した瞬間に「はい。ここからは、かけがえのないパートナーとして大切にします※条件付き」というのは、流石に都合が良すぎやしないか。
この流れで簡単にスイッチを切り替えられるのはダイアナくらいなもので、普通の人間はそう単純じゃない。
彼女は自分の精神構造が少々特殊だと自覚があった。
「……うまく言えるか分からないけど、なんとか伝えるしかない」
気が重いが、トイレに籠もってからそれなりに時間がたっている。
これ以上待たせると、護衛が「大丈夫ですか? 医者を呼びましょうか?」と駆け込んでくるおそれがある。
(敵を叩きのめしたり、相手を丸めこむ時には悩むことなく言葉が出てくるのに……)
脊髄反射で口撃してんのかよ。
凶悪令嬢ダイアナ・アダマス。地味令嬢に転生した稀代の毒舌一般市民。
*
「お待たせしまし──あれ?」
トイレから廊下に出る扉を開けると、そこには誰も居なかった。
廊下を見渡すが突き当りに至るまで人っ子一人いない。
(さっきバタバタ音がしてたけど、何かあったのかな?)
扉越しだったので声がくぐもっていて内容は聞き取れなかったが、何やら騒ぎがあったようだ。しかし王太子の婚約者の護衛が消えるとはこれ如何に。
「うーん、どうしよう。勝手に動かない方が良いけど、このまま待っているのもなあ……」
勝手に建物の外に出るのはダメでも、階段の所まで移動して他の階の様子を見るくらいなら大丈夫かとダイアナは動いた。
「おい! いたぞっ!!」
「チッ。面倒かけさせやがって!!」
ダイアナが廊下の端に到着した時、下の階から男達が勢いよく登ってきたので、壁際に避けたら何故か迷いのない動きで拘束された。
気絶させるために殴られたり、薬品染み込ませたハンカチを使われたりはしなかったが、ダイアナは手際よく縛られて猿ぐつわをされた。
もとからそのつもりだったようで、一人が手に持っていた麻袋を被せる。その間わずか十数秒。
見事な連携プレーで、運び出された彼女は馬車に放り込まれた。
誘拐RTA大会があったら最高記録更新だ。さすが優勝チーム、無駄な動きが全くありませんでしたねー。
ダイアナが乗せられた馬車は、人を乗せるためのものではなく荷馬車だった。
文字通り放り込まれたので、既に積まれていた木箱の隙間にダイアナの体はすっぽり嵌ってしまった。
うまい具合にシンデレラフィットして身動きできなくなった彼女は、そのまま何処かへ連れ去られた。
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