八章 模擬戦
八章 模擬戦
中庭が見える窓は、中を覗き込むギャラリーでいっぱいだった。
ダフネは山賊を全滅させた時と同じ装備だった。ヒラリーはギルドホールに入ってきた時と変わらない装備で、皮製のチェストアーマーに薄手の皮グローブ、そして皮のロングブーツでスピード重視の装備だった。
二人は中庭の奥に置いてある大きな箱から武器を選んだ。ダフネはもちろん斧で、自分が日頃使っている斧と重さが近い物を選んだ。左手は自前のラウンドシールドだ。ヒラリーはレイピアとダガーナイフを選んだ。
「いい?右手にレイピア、左手にダガーナイフ、これが私のスタイルよ。」
そう言って、ヒラリーはレイピアを少し下げ気味で前に突き出して半身で構えた。ダフネも半身になり、シールドを前に、そして斧をテイクバックした状態で構えた。
ダフネは初めてレイピアという武器を見た。イェルマにも、何十人と剣士はいたがほとんどがロングソードやツーハンドソードで、レイピア使いはいなかった。
(あれがレイピアか。なんて細くて薄い剣なんだ。あたしの斧なら一撃で真っ二つにできる。)
ダフネは赤毛のロングヘアーを紐で後ろに束ねた。
「二人とも、準備はいいかね?」
ギルドマスターのホーキンズの言葉に二人は頷いた。
「よし、始め!」
試合が始まった。ギャラリーが歓声を上げた。
ヒラリーが軽いフットワークでじりっじりっと間合いを詰め、レイピアで二、三度軽く突いた。レイピアの方が斧よりずっとリーチが長い。ダフネはそれをシールドで防ぎ、斧でレイピアを破壊する機会をうかがった。
「斧でレイピアをへし折ろうなんて考えてちゃ、負けるわよ?」
こいつ、偉そうに!と、ダフネは思ったが、あたしを挑発して勇み足をとるつもりだ、とも思った。ダフネは慎重に間合いを詰めた。こんな小ずるい戦法を駆使して勝負するとは…絶対に強いと認める訳にはいかない!
すると、ヒラリーがレイピアをぶんぶんと振り始めた。それは物凄い速度で、ダフネにはレイピアの軌跡らしきものは見えるが、レイピア自体は見えなかった。そして、ヒラリーはいきなり深く踏み込んできて、脚や頭を狙って鋭く突いてきた。ダフネはそれをシールドでなんとか防いだ。ガンっガンっとレイピアがシールドに激突して刀身が湾曲した。その猛烈な突きの連続に、ダフネは後退りした。
(こ…これがレイピアか、速すぎて見えない!まずい!)
ダフネは相手の突きのタイミングを見計らい、シールドでレイピアを強く払った。そして、今度はダフネが踏み込み、レイピアを破壊するために思い切り斧を斜めに振り下ろした。
が、ダフネの斧は空を切った。ヒラリーがバックステップして間合いをとったからだ。
(ヒラリーにはあたしの動きが見えている⁉︎)
ヒラリーのさっきの言葉、あれは挑発ではなく事実だったのか⁉︎あたしの斧の速度ではヒラリーに受け太刀させることはできない⁉︎…でも、負けたくない!
ダフネは戦士スキル「パワードマッスル」を発動させた。筋力を上昇させるスキルだ。
「あの娘、スキル使いやがった!スキル持ちだぞ‼︎」
観客のひとりが叫んだ。
「え、あの若さでか⁉︎まじかっ!」
「凄えぇ〜〜〜!」
ギャラリーが沸いた。窓から見ていたアンネリは顔を少し歪ませた。
(あ…こんな大勢の前で手の内見せちゃダメだろう。)
ヒラリーはにこりと笑った。
「それ、パワードマッスルだよね?あんた、スキル持ちなんだ。その若さで凄いね。」
スキル持ちの強者は相手のスキルの発動が気配でわかる。その気配というものを言語化はできないがはっきりわかるのだと言う。
ヒラリーは再び、突きの猛攻を始めた。パワーとスピードが上がったダフネはそれを的確にシールドで弾き、斧で反撃を試みた。それでも、斧はヒラリーはおろか、レイピアにもかすりもしなかった。
ヒラリーの再びの猛攻、そしてダフネはそれを受け切って反撃の一撃を放った。だが、今度は、ヒラリーはバックステップをせず、体をひねってかわした。
一瞬、時が止まったようだった。ダフネは三歩退いて、またヒラリーと対峙した。
「何が起きたんだ⁉︎」
ギャラリーがざわついた。何が起きたのか…それを知っているのは当事者の二人とホーキンズ、そして一部の観客だけだった。
ダフネの斧がレイピアの横を通過した時、ヒラリーは右手首を旋回させた。レイピアは小さな弧を描き、ダフネの右手のグローブを直撃したのだった。
ダフネは右手の激痛に堪えていた。今にも斧を落としそうだった。
ヒラリーは審判であるホーキンズをちらっと見た。ホーキンズは首を横に振った。
(真剣なら、グローブを切り裂いて動脈までイッてると思うんだけどなぁ…。)
ダフネの右手首の激痛は深刻だった。
(やばい…長引けば斧すら持っていられなくなる…急がないと…アレをやるか!)
ダフネは激痛に堪えながら、じりじりと間合いを詰めた。ヒラリーはレイピアの先端を高速で上下左右に振っていた。まるでミツバチが飛んでいるようだ。そして…ヒラリーが踏み込んできた!
ダフネは戦士のスキル「ウォークライ」を発動させた!このスキルは相手を威圧し、恐怖状態または失神させるスキルだ。
「うおおおおお〜〜っ‼︎」
ダフネの雄叫びを至近距離でくらったヒラリーは、視界が一瞬真っ白になり意識が飛んだ。
「またスキルを使ったぞ!スキル二つも持ってるのか、この娘一体何歳だよ⁉︎」
「ダフネはまだ十八…十八歳よ、凄いでしょ‼︎」
得意げに答えたのはオリヴィアだった。
右手は使えない…ダフネはシールドでヒラリーの顔面を力いっぱい殴りつけた。ヒラリーは後方に吹っ飛んで倒れた!
ダフネはシールドと斧を持ち替えると、突進して起き上がろうとするヒラリーの肩口めがけて斧を振り下ろした!
しかし…かわされた。シールドの衝撃でヒラリーの意識は戻っていた。ヒラリーは斧を避けつつ、起き上がりざまに反転してダフネの左側をすり抜けていった。ダフネは片膝をついて動かなくなった。
「どうした?」
またもギャラリーがざわつく。観客には死角となって見えなかったのだ。
ヒラリーが反転した際、左手のダガーナイフがダフネの脇腹を攻撃していたのだ。鎖帷子は正面の攻撃は防ぐが、脇は紐で結んで固定しているだけでがら空きだ。ダフネは中腰になって脇腹の激痛に堪えた。
「まだやる?」
ヒラリーのこの言葉は、「まだ続ける?」という意味ではなく、「降参しなさい。」という言葉の婉曲表現だったが、ダフネは受け入れなかった。
「ま…だやる…!」
ヒラリーはまたホーキンズの方を見た。ホーキンズは両目を閉じて口をへの字に曲げていた。
ダフネはよろけながら立ち上がって左手の斧を構えた。右手のシールドはもう持ち上げることもできなかった。その様子を見てギャラリーが無責任な罵声を浴びせる。
「始まったばかりだぞ、まだ何もしてねーぞ!」
「おいおいダフネ、お前に賭けてるんだ。もっと頑張れよ!」
そろそろ終わらせるか…ヒラリーはそう思った。
ヒラリーは剣士のスキル「疾風」を発動させた。このスキルは一定距離を高速で移動できるスキルだ。
右手と左脇腹の激痛で、ダフネは急接近するレイピアに反応することはできなかった。ダフネの喉元にレイピアが命中し、レイピアの刀身は大きく湾曲した。ダフネは後ろに倒れ込み、喉を押さえて激しく咳き込んだ。
「そこまでだ。勝負あり、ヒラリーの勝ち!」
ホーキンズがヒラリーの勝利を宣言した。
「どーなってんだ⁉︎誰か、説明しろぉ〜〜っ!」
「あれぇ〜〜、うそぉ!ダフネ、負けちゃったのぉ?」
オリヴィアはジョッキを手に持ったまま、うろうろしていた。アンネリは椅子に戻って固まった。ヴィオレッタは賭けの払い戻しにてんやわんやだった。
二人は中庭からギルドホールへと戻った。ヒラリーは冒険者仲間からビールジョッキを受け取ると、ゴクゴクと一気に飲み干し喉を潤した。
ダフネはうつむいていた。そして、ひとりの冒険者にゆっくり近づき、その腰からショートソードを引き抜いた。
「おい、何するんだ⁉︎」
ダフネはヒラリーの方に振り向くと、そのショートソードで束ねた後ろ髪をざくっと掻き切り、ヒラリーに投げてよこした。
「約束だ…!」
ヒラリーは紐で束ねられた髪を拾った。
「赤毛は売っても二束三文なんだよねぇ…使い道ないなぁ。」
「むっ‼︎」
ダフネはこぼれ落ちそうな涙を必死に堪えた。何という屈辱‼︎
「…だからさぁ、あんたにその気があるなら、取り返しに来なよ。一年ぐらいなら待っててあげるよ。それまでこれは取っとく。」
ヒラリーの精一杯の優しさだったが、今のダフネにはわからなかった。
ダフネはアンネリ達が座るテーブルに戻った。オリヴィアがすかさずまくし立てた。
「相手の術中にはまっちゃったわね。もっとガンガン攻めればよかったのよ。あんた戦士なんだから、二、三発くらったって死にはしないでしょ!あそこはシールドなんか捨てて、拳で殴ったらよかったのに!ダフネのパワーならピヨりからピヨり確定なのに‼︎」
ダフネは黙っていた。ううう…全くその通りだ。でも、今は説教しないで欲しい…。
アンネリがぼそっと言った。
「あんた三回死んでたね。」
その言葉を聞いた瞬間、ダフネは堪え切れずに、ぽろりぽろりと涙を流した。
「悔しいぃぃっ…!」
ダフネはテーブルに突っ伏して、声を上げて泣いた。
それを見たオリヴィアは表情を変え、持っていたジョッキの金属製の把手を引きちぎった。アンネリとヴィオレッタはぎょっとして後ろにのけぞった。オリヴィアはすくっと立ち上がると、薄ら笑いを浮かべてヒラリーの方向に歩いていった。
オリヴィアは片足で板張りの床を強く踏みつけた。
ドゴォォォンッ
オリヴィアのサンダルの革紐は全てちぎれ、床板十数枚が轟音を立てて宙を舞った。武術家のスキル「大震脚」だった。瞬間的に縦揺れの地震を起こし、相手のバランスを崩すスキルである。場合によっては相手は脳震盪を起こす。
スキルを使用した場所が板張りの床だったので、床板が吹っ飛んだだけで周りの人間には影響は出なかった。
床が抜けて、オリヴィアは50cm下の地面に直接立っていた。ホールにいた冒険者たちはオリヴィアから距離を取ろうとして慌てふためいていた。
「よくもわたしの妹分を泣かせてくれたわね。今度はわたしと勝負しましょう。」
オリヴィアは全てのイェルメイドを自分の家族だと思っている。家族の災難は看過できないのだ、絶対に‼
ヒラリーは突然の成り行きに、二杯目のジョッキを持ったまま呆然と立ち尽くしていた。それから我に帰って何とか喉から言葉を搾り出した。
「ああ〜〜…今日はもうおしまい。疲れたから…また今度ね…ね⁉︎」
床の上に這い上がってきたオリヴィアの背中にダフネが泣きながらすがりついた。
「オリヴィアさん、やめて!あたしにこれ以上恥をかかせないでぇ‼︎」
「そっかぁ、ダフネごめんねぇ…。」
オリヴィアはダフネを抱き寄せて、背中を優しくさすった。ヒラリーはまた喉が渇いたのか、二杯目を一気飲みしていた。ヴィオレッタは、ここの床はやっぱり自分が弁償するのかしら?と思っていた。
ひとりだけ、ヒラリーに突き刺すような視線を送る者がいた。アンネリだった。