六十九章 バクスター
六十九章 バクスター
バクスターは懲罰房で二人のテイムマスターの引退を知った。
しばらくして、二人の衛兵が来て懲罰房から出され、王宮の議事堂へ連行された。議事堂は多目的ホールである。三百人が収容可能で、審問委員会で使用されることが多い。貴族や平民の犯罪は通常の裁判所の管轄だが、国王に忠誠を誓った公務員の場合は審問委員会の管轄だ。
(…いよいよ審問委員会か。マスター殺しの罪だ…良くて無期の重労働、悪ければ終身奴隷か斬首刑か…。)
しかし、結果はあっけないものだった。審問委員会の裁定は「懲戒解雇」と「ティアーク王国からの永久追放」であった。これも、マスターヨアヒムとマスターライバックが全ての責めを負って辞職引退したことと、バクスターの罪に対して二人から減刑の懇願があったからだ。
バクスターは手荷物ひとつで魔道棟から放逐された。バクスターは魔道棟一階の観音開きの鉄の扉から出ると途方に暮れた。
すると、ひとりの男がバクスターを追いかけてきた。その男はライバックの弟子だった。
「お待ちください、バクスター同志…」
「もう同志ではありません…。」
「マスターライバックから、これを預かっておりました…。」
ライバックの弟子はバクスターに蝋で封印された薄い皮の封筒を手渡した。バクスターはそれを受け取ると、魔道棟を後にした。
バクスターはとりあえず、近くで宿をとり封筒の封を切った。
中にはいくつかの羊皮紙の手紙が入っていた。マスターライバックからバクスター宛の手紙を読んだ。
大まかなテイマー戦争の顛末が書かれていた。ロック鳥とバーゲストがモンスターのメデューサに殺されたこと、そのメデューサをテイムしていたのがシーグアだったこと…そして、シーグアこそメデューサ以上のモンスター、アラクネであったこと…。
バクスターは吐き気を催した。
(わ…私はモンスター…アラクネに支配されているのかっ‼︎)
いかなる支配を受けているのか…バクスターには予想できていた。「後催眠」だ。何らかの暗示を受けていて、その暗示によって事あるごとに意に反した行動を強いられる…マスターサイモンを殺したように…。
自分の頭の中に凶悪なモンスターがいるのである…バクスターは気が気ではなかった。
手紙の中には、シーグアと和解し許されたとあった。このことから、敵対行動を起こさない限りバクスターの「後催眠」は発動しないだろうという希望的観測と、念のために徳の高いクレリックに暗示を解いてもらうようにとの提言が、紹介状とともに添えられていた。
バクスターは、すぐに腰を上げてマスターライバックが紹介してくれたクレリックを訪ねてみることにした。急がなければならない…王国からの退去命令は三日以内なのだ。
ティアーク大聖堂は王城の近くにある。大聖堂は誰でも入ることができる。礼拝堂は二十本もの支柱と、色鮮やかなステンドグラスが外の太陽光を優しく迎え入れ大理石の床を美しく照らしていた。そして、その中央には天秤を手にしたウラネリスの女神像が厳かに屹立していた。紹介されたのはここの最高責任者の司祭長だ。
司祭長のカスパーはバクスターを快く迎えてくれた。
「そうですか…ライバック殿は引退なさいましたか…。残念ですねぇ、もっと神聖魔法について議論を戦わせたかったですなぁ…。」
テイマーになるためには、いくつかの神聖魔法を習得する必要があるのだ。
カスパーはすぐにバクスターの頭を両手で触診してくれた。
「んん〜〜…魔法の痕跡は見当たりません…。やはり、暗示ということになるのでしょう…。となると、今すぐというのは…私の技量では難しいですな…。最低でも一週間…私も催眠療法を用いて向き合わねばなりません。」
「そんな…私はあと二日しかティアーク王国に滞在できません。どうしたら…」
「よろしい…ラクスマン王国の経験豊かなクレリックを紹介しましょう。そこでゆっくりと治療されてください。」
「ラクスマン王国…ですか?神官の総本山といえば…エステリック王国の大神殿では…?」
「あそこは…もういけません…。ここだけの話ですが…もう大神殿では神の奇跡は失われつつあります…。悪いことは言いません、ラクスマンの聖堂にいらっしゃい。」
「…わかりました。」
バクスターは司祭長カスパーに紹介状を書いてもらい聖堂を出た。
大神殿で何かが起こっているという疑問はあったが、まずは自分の事…ラクスマン王国に行って、シーグアの暗示を取り除いてもらう事が最優先だ。
十日をかけて、バクスターはラクスマン王国の城下町に入った。城門を通過する時に、身分証の「ティアーク王国追放処分」の文言をめぐってひと悶着あったが、袖の下を渡すことで何とか通過することができた。
ラクスマン大聖堂は東城門のそばにあった。中に入って、大聖堂はどこも同じだな…とバクスターは思った。
「カスパーの紹介ですか…よくいらっしゃいました。私は司祭長のダニエルです。カスパーとは同期で、一緒に修行をいたしました…」
この初老の司祭長はバクスターの事情を聞くと、とても親切に相談に乗ってくれた。
「それは大変でしたねぇ…私の力は微々たるものですが、できる限りの協力はさせていただきますよ…人もモンスターも神がお造りになった被造物です。あなたが神に敬虔であれば…神が良きようにしてくださいます。神に全てを委ねましょう…」
「司祭長様、ありがとうございます。暗示というものは…消せるのでしょうか?」
「暗示の強さによります…。これは治療魔法ではどうにもなりません。心理療法で気長にやっていきましょう…。」
ダニエル司祭長はバクスターを賓客として迎い入れてくれて、聖堂に一室まで用意してくれた。バクスターは泊まり込みでダニエル司祭長の治療を受けた。
バクスターはダニエル司祭長の人柄に惹かれ尊敬した。せめてもの恩返しと思って、毎日の朝夕の祈祷と人々を交えてのミサに参加するようになった。天秤を携えたウラネリス像と対峙するようになって、敬虔な気持ちになり何となく心の憂さが軽くなっていくような気がした。
ダニエルの心理療法を受けるようになってひと月が経った。
その日、ダニエルは自分の執務室兼診療室でバクスターに催眠術をかけ、深層意識の奥深くを覗いていた。
「あなたは誰ですか…?」
「…バクスター。テイマーで、マスターサイモンの弟子…。」
「他には…バクスターでないとしたら…あなたは誰…?」
「…。」
「さぁ、教えてください…私は神ウラネリスに仕える者です。決してあなたを罰することはありませんよ…例えあなたがモンスターであろうと、悪魔であろうと…。」
「…私は…神ベネトネリスの下僕…せいじょを…『聖女』を探さなくては…」
「…なんと…!」
ダニエルはベネトネリスという神の存在を知っていた。これは同盟国が信奉するウラネリス教の教義の秘密の部分…最上位の神官しか知り得ない秘儀の一端であった。
「…次の人魔大戦の前に…既に生まれているであろう『聖女』を…あるべき方向へ導かなくては…」
「それは…誰の指示なのですか?神ベネトネリスですか、それともシーグアですか?」
「…シーグア…シーグアはベネトネリスの親しき友…」
「…。」
ダニエルはある仮説を立てた…シーグアと呼ばれるモンスターは神に選ばれた存在で、バクスターを神の「協力者」として用いたいのではなかろうか。
「生物鑑定」は神に選ばれた者のみが行使できる特権だ。神に選ばれる理由は神官に限ったことではなく、ましてや人間に限ったことでもないことをダニエルは知っていた。シーグアはバクスターを「生物鑑定」して、何らかの「協力者」たる資質を見出したのかもしれない。
バクスターは催眠状態から目覚めた。
「司祭長…どうでしたか?シーグアの暗示は見つかりましたか?」
「いえ…邪悪な暗示は見つかりませんでしたよ。おそらく…マスターサイモンを殺すように仕向けた暗示は、あれっきりなのではないのでしょうか…マスターサイモン殺害が成就した時点で暗示は消えたのでしょう。」
「なるほど…。」
「もう、ひと月になりますね…診療が終わったら、バクスターさんはどうするおつもりで?」
「分かりません…分かりませんが…もし、ダニエル司祭長のご慈悲におすがり出来るのであれば…私をここに置いてはいただけませんか?出来ることなら…神官の末席に加えていただいて、神に仕えとうございます…。」
「あなたはもう四十半ば…今から神官の修行は大変辛いものとなるでしょう…それでも…ですか?」
「…はい…心の内に安息が欲しいのです…。」
「そうですか…分かりました。」
ダニエル司祭長はバクスターを内弟子にした。もちろん、魔道棟と違って神官の体系に徒弟制度というものはない。バクスターを個人的に自分の庇護下に置いたことを内外に知らしめる手段のひとつだ。さらに…バクスターがいくつかの神聖魔法を行使できることを考慮し、司祭長の権限でバクスターの二年の修道院での修行を免除した。
(バクスターの神への献身は…彼の本意なのか、それとも…)
神に全てを委ねる…この事は決して間違いではない、間違った選択ではない…。ダニエル司祭長はそう思った。




