六十五章 奴隷制度
六十五章 奴隷制度
その日、ユーレンベルグ男爵はティアーク王国城のサロンにいた。サロンとは王宮に出入りする貴族達の休憩室のような場所で、役職持ちの高級貴族達の社交の場でもあった。
ユーレンベルグ男爵は国王への謁見を申し出ていた。朝議の時に謁見したかったが、諸事情により、昼を過ぎてからの謁見となった。ガルディン公爵あたりが横槍を入れたのだろうと男爵は思っていた。
それで、謁見までの暇な時間をサロンで潰していたのである。サロンの二人掛けのテーブルに座り、自分のワイナリーから納められたワインを飲みながら、まぁまぁの出来だな…と自画自賛をしていた。
礼服を着たひとりの年配の貴族が男爵に声をかけた。
「ユーレンベルグ男爵、お久しぶりで…。」
「おお、これは法務尚書殿!」
「ははは…『殿』はやめてくださいよ…エルガーで結構ですよ。」
「丁度良かった。実は、貴殿にお話ししたいことがいくつかありまして…。」
「どんなことでしょう?私にできることであれば、何でもいたしますよ。」
「辺境に散らばっているワイン工場の倉庫が手狭になってまして…今度、城下町の一角に巨大なワイン倉庫を作ろうと思っております。いくつか好立地の場所に目星をつけているんですが、先住民の反対が必至のようです…何とか穏便に行かないものかと…」
「なるほど、なるほど…」
「倉庫が完成すれば、そこをティアークで扱うワインの集積地にして、流通を一括管理したいと思っております。流通を一括管理する部門を新設しないといけませんなぁ…。時に…三男のオズワルド君、まだ勤め口をお探しですか?…そこの責任者にと思ったのですがね…」
「おおっ!…うちのオズワルドを⁉︎願ってもない話だっ!是非ともお願いしたい…」
「倉庫建設の件…法的な処置はお願いしてもよろしいですね…?」
「もちろん、お任せくださいっ!」
「それと…これは些細な事なのですが…ロットマイヤー伯爵殿の襲撃事件…冒険者が犯人だからといって、冒険者全体を目の仇にする風潮があるようです。…どうしてですかね?冒険者ギルドには少なからず肩入れをしているもので、ちょっと気になっておりますよ…」
「ああ…それは非常に繊細な問題でして…」
「もしかして…公爵が絡んでいる…?」
「おっしゃる通りです…その話はここではちょっとはばかりがあるので…別の場所で…」
「…貴殿もそろそろ身の振り方を考えて、立場を明確にした方が良いのでは?宰相派か…王妃派か…中立と言えば聞こえは良いですが、八方美人というか優柔不断というか…」
「…耳が痛うございます…。」
ティアーク王国の貴族社会は二つの派閥に二分されていた。宰相派と王妃派である。これはすなわち奴隷容認派と奴隷解放派と言い換えても良い。
ユーレンベルク男爵は王妃派である。しかし、終身奴隷には反対だが債務奴隷には賛成している。これも男爵流経済活動の一環だった。
はじめ、奴隷と言えば戦争捕虜だった。その多くはリーン族長区連邦の戦争捕虜であったが、経済の発展に伴い、労働力としての奴隷の需要が高まり、債務奴隷制が法制化した。経済破綻した自国の平民が債務の返済のため一定期間、奴隷として働くのである。しかしそれは次第にエスカレートしていき、債務奴隷の自発的契約のもと、終身奴隷に身を落としてしまう制度も法制化してしまった。
自発的契約というのは建前で、貴族の強権的な要求に屈する者や浮浪者、戦災孤児など…とにかく書類さえ揃ってしまえば制度としての効力を発揮してしまうのである。奴隷商人なる職業も現れる始末だ。
それに反対する旗印がエヴァンジェリン王妃である。事なかれ主義の国王を説得し、容認派のガルディン公爵のこれ以上の跳梁跋扈を何とか抑えていた。
王妃派は良識の夫と呼ばれている。貴族のみならず平民にも顧客を持つユーレンベルグ男爵は王妃派に与することにした。終身奴隷制がなくなれば、終身奴隷を労働力にしている競合相手を出し抜くことができるという目算もあった。
ユーレンベルグ男爵と王妃は直接の面識はない。年に一度の新年祝賀会で貴族達の最後列から遠く眺めるぐらいである。爵位が低いため、一番後ろなのだ。
ユーレンベルグ男爵は、謁見の間にてビヨルム=ティアーク国王に拝謁した。当然ながら、宰相のガルディン公爵が同席していた。
「国王におかれましては、本日もご壮健であられ悦ばしい限りであります。」
「おお、ユーレンベルグ男爵、固い挨拶は抜きでよい。今日はどうしたのだ?」
「陛下の御生誕の折に献上しましたワインひと樽…今が飲み頃でございますよ…。」
「おお…そうなのか!もう四十年も経つのだな…。」
ユーレンベルグ男爵は、毎年国王の誕生日にワインひと樽を献上し、自分のワイナリーで保管していた。
「いかがなさいますか?ワインは年齢を経るごとに味がまろやかになってまいります…もうしばらく寝かせるという手もございますが…?」
「うむ…あと二週間で私の生誕祝賀会だ。その時にみなに振る舞うとしよう。」
「かしこまりました…では、その時に王宮にお持ちしましょう。」
ガルディン公爵が苦言を呈した。
「そのような些事で、国王陛下の玉体を煩わせるとは…ユーレンベルグよ、国王陛下に可愛がられているのをいい事に、少々図に載っておるのではないか⁉︎」
「いえいえ…それだけではございません。陛下、此度の冒険者のオーク討伐の件、すでにお耳にされておりましょうや…?」
「うむ…宰相の報告は聞いたぞ。残念であったなぁ…。例年になく二十三人もの犠牲者が出たそうではないか。宰相はなぜにこのように犠牲者が多いのかといぶかしんでおるが…。」
「此度は例年とは違います…。なんとオークチャンピオン三匹を従えたオークジェネラルが出現したのでございますよ…。」
「それは初耳じゃっ…!」
「私めが冒険者ギルドに少なからずの援助をいたしておることは陛下もご承知のはず…なので私のところには詳細な報告が届くのでございます。冒険者達は我が身の犠牲を顧みず、国土の安寧のため…勇猛果敢にオークジェネラルに挑み、討ち果たしたのでございます。むしろ…犠牲者を最小に止めたと賞賛すべきであると思われます…。」
「なるほどなっ!…その話、もっと詳しく聞きたい…私の部屋に参ろう。冒険者の武勇を聞かせてくれっ!」
「ははっ…。」
ガルディン公爵は、「してやられた!」と思った。これで…冒険者ギルドへの攻撃がしにくくなる…。
ユーレンベルグ男爵はひとしきり国王と歓談した後、王宮の廊下を歩いていた。男爵はいろいろな気忙しい根回しで少し疲れていた。少しうつむいて歩いていたため、廊下の向こうからやって来る三人の女性に気づかなかった。向こうから声を掛けられてはじめて気がついた。
「ユーレンベルグ男爵様…?」
男爵ははっと顔を上げ、声の主を見た。驚いて、咄嗟に言葉が出た。
「…オリヴィア…どうしてこんなところに…?」
「オリヴィア?…私、オリヴィアと呼ばれたのは初めてです。普段はエヴァンジェリンと呼ばれておりますので…ふふふ。」
あっ!…と男爵は我に帰り、片膝をついて平伏した。
「し…失礼しました、王妃陛下っ!」
「そんなに似ているのですか?…その、オリヴィアに…ふふふふ。」
「はい…い、いえっ…!」
二人の侍女も王妃と一緒にくすくすと笑っていた。
「それでは、ユーレンベルグ男爵様…ご機嫌よう…。」
王妃は男爵とすれ違って、去っていった。
ユーレンベルグ男爵は狐に摘まれたような顔をして、しばし考え込んだ。
(こんな偶然があるのか…?このことを知っているのは私だけか…?)
人相書きのない手配書…ガルディン公爵のオリヴィア捕縛に対する執念…。
ユーレンベルグ男爵は…ガルディン公爵の背景にある何やら陰謀めいたものを感じた。
 




