六十四章 興行
六十四章 興行
夜の二回目の興行である。
大きな石造りの屋敷は宿屋で、一階が酒場になっていた。ヴィオレッタはみんなに連れられて、酒場の隅っこに座った。
すると、グラントがリュートを奏でながら一階ホールのテーブルを回った。ホイットニーが帽子を下に向けてその後を歩いた。
「名もなき神ははじめに四つの精霊を造りその力を借りて空を創り、海を創り、大地を創り、山を創り、川を創った…。名もなき神はその箱庭を眺めて良しとされた…。名もなき神はお気に入りの箱庭に色彩を求めた…。草が生まれた、花が生まれた、木が生まれた、森が生まれた…」
グラントの歌は…不評で、銅貨一枚の投げ銭すらなかった。
今度はホイットニーが、バンジョーに持ち替えたグラントの伴奏で三本のナイフのジャグリングを始めた。ナイフは三本から四本になり…五本になった。外套を羽織ったジャクリーヌが帽子を持って構えていた。五本のナイフはホイットニーの手元に戻ると、一本ずつ消えていった。「おおっ」という観客の声が上がり、ジャクリーヌの帽子にぱらりぱらりと銅貨が投げ込まれた。ホイットニーの手品はそこそこ受けて、その度にぱらりぱらりと投げ銭があった。
次からが本番だ…ジャクリーヌは外套を脱ぎ捨て、シックなドレスでバンジョーの伴奏に合わせて踊った。ジャクリーヌがターンをするとドレスの裾が綺麗な輪を作り、右に左にターンをする度に酒場に花が咲いた。優雅な踊りは酔っ払った男達を魅了して、ホイットニーの持った帽子に次々と銅貨が投げ込まれた。
興行は佳境に入る…グラントのバンジョーのゆっくりとした間奏が突然軽快なリズムに変わり、速着替えをしてきたジャクリーヌが現れた。極彩色の派手な衣装を身に纏っていた。胸元が広く開いて短めの大きなフリル付きのスカートで、先程の優雅な踊りから打って変わって激しく官能的な踊りを披露した。ジャクリーヌが右足を高く蹴り上げると、右のスリットから太ももが見えて歓声と拍手喝采が沸き起こった。そして、ホイットニーが持った帽子にバサバサとたくさんの銅貨が投げ込まれた。
この勢いに乗って、グラントが歌い出した。
「冒険者ギルドにこの人ありと謳われた…女侠客オリヴィアはぁ〜〜…」
(んっ…今、オリヴィアって言った?…なにっ、何が始まるの⁉︎)
ヴィオレッタは身構えた。
「悪辣伯爵の屋敷の扉を蹴破るとぉ…『おまえはたれぞ』の声を聞いたか聞かぬか、二階に駆け上がりて脂肪太りの伯爵の体を手すり越しに蹴り落としたりぃ〜〜…」
「おおっ…いいぞっ!」
「待ってましたっ!」
吟遊詩人の真骨頂、グラントの英雄即興詩の始まりである。
「…駆けつけたり、十人の傭兵ども…オリヴィアは身じろぎもせず、伯爵に下りし悪党を恫喝したりぃ〜〜…剣のきっさきや、何するものぞ…オリヴィアは恐れずに進む、その決意の一歩は賊の腐りし魂胆を寒からしめ諸悪を滅ぼすぅ〜〜…」
(決意の一歩って…「大震脚」のことかしら…。)
グラントの英雄即興詩は好評で、アンコールが掛かった。
夜十時。興行が引けて、みんなは馬車の周りで終い支度を始めていた。ジャクリーヌは幌の中で銅貨の数を数えていた。ホイットニーは袖からナイフを取り出して一本一本手巾で磨いていた。グラントは楽器の弦の調律をしていた。
ヴィオレッタはグラントの即興詩が気になっていた。
「グラントさん…」
「グラントでいいよ。俺、二十八歳だし…。」
「いえ、お世話になってるのでグラントさんで…。」
「まぁ、どっちでもいいけど…何かな?」
「さっきの即興詩のことなんですけど…」
「おや、ヴィオレッタ…さんは知らないのかい?オリヴィアの伯爵邸襲撃事件…巷では今一番の旬のニュースだよ!」
「オリヴィアとはお知り合い…?」
「あははは…是非、知り合いになりたいねぇ。知り合いになって、本人から直接、事の顛末を教えてもらいたい!」
ジャクリーヌが寝巻き姿で馬車の幌から顔を出した。
「吟遊詩人はねぇ、見聞きした事を歌にしてみんなの前で披露してお布施を稼いでるのよ…ただ事実を語っても、誰も聞いてくれないでしょ?だから、ちょっと大袈裟に…嘘を絡めて…ね。貴族をやっつける話なら、大衆受けしてもっといい。」
ジャクリーヌは片目を閉じてニコッと笑った。
「ひどいな、ジャクリーヌさん…なんか、ペテン師呼ばわりされているようで嫌だなぁ…。元ネタは噂話だけど、俺なりにちゃんと吟味してるんですよ!それなりに苦労してるんですっ!」
「誰もペテン師なんて言ってないわよ。彼、一応修道僧なのよ。五年だっけ?お布施だけで世界を放浪しないといけないらしいの…。その間、布教活動もしないといけないんだけど…ヴィオレッタも最初のグラントの詩、聴いたでしょ?あれじゃあねぇ〜〜…お布施もらえずに、即野垂れ死によっ!まぁ…こいつ、楽器ができるからつるんで旅をしてるんだけどねぇ…。」
「あ…あれ、経典の一部だったんですね…。」
「何というか…大袈裟は…否定しない。しかし、情報が少なすぎるから仕方がないんだよ。オリヴィアは旬だっ!稼げるっ!…しばらくこれでやっていきたいと思っているっ!…おとといかな?オリヴィアがオークジェネラルを討伐したって噂も流れている…使わない手はないっ!」
「その…オリヴィアって人はオーク討伐クエストの後…どこに行ったとか、噂はありませんか…?」
「さぁねぇ、俺が知りたいぐらいだよ…何でも、ステメント村に憲兵隊が大勢きたから姿をくらましたって話だな…オリヴィアはお尋ね者だからな。」
「…そうですか…。」
ジャクリーヌとヴィオレッタは馬車の荷台に毛布を敷いて寝た。男二人は馬車の下で寝袋を布団代わりにした。
ジャクリーヌが幌の天井を指差した。
「あっ…あそこ、蜘蛛の巣が張ってある。いつの間に…やあねぇっ…!」
ヴィオレッタはすかさず言った。
「蜘蛛は良い虫なんですよ。蚊や蝿、体に悪いダニまで捕まえて食べてくれます…それに、私にとっては縁起の良い虫なんですよ…放っておきましょうよ。」
「珍しいわねぇ…蜘蛛が好きな女の子なんて。あんた、変わってるわねぇ。」
ヴィオレッタは笑いながら…目を閉じた。




