六十三章 旅芸人
六十三章 旅芸人
車輪が石を踏んづけて、馬車が飛び跳ねた衝撃でヴィオレッタは目を覚ました。ぼーっとした視界の中で言った。
「…ここは…?私はどうなってる…?」
「お…エルフのお嬢ちゃん、やっと目を覚ましたね。良かったぁ…。これを飲みなさい…」
ヴィオレッタは言われるままに、差し出された陶器のコップの飲み物をひと口飲んだ。すごく苦かった。
「うぐっ…」
「薬だから頑張って飲んで…危ないところだったんだよ。お嬢ちゃん、食中毒で街道のそばに倒れてたんだよ。」
「…食中毒…」
「四日も寝込んでいたんだよ。」
「…四日…」
今度は違う飲み物を渡された。それはヤギの乳だった。美味しくて美味しくて…ヴィオレッタはコップの乳を一気に飲み干した。
安心したら…強烈な眠気がヴィオレッタを襲って…再び気を失ってしまった。
三日後、ヴィオレッタは目を覚ました。もう夕方だった。今度は視界ははっきりしていた。
ヴィオレッタは停まっている大きな馬車の荷台の幌の中にいて、たったひとりで寝ていた。どこからかヤギの鳴き声が聞こえてきた。体を起こして馬車の中を見渡すと、きらびやかな女性の衣装や綺麗な楽器がここかしこに吊るされていた。
少し移動して幌の外を見ると、石造りの建物が並んでいて、どこかの町か村のようだった。ヤギが一匹、木にくくられていてのどかに雑草を食べていた。
「あら、エルフさん起きてたのね。調子はどお?」
「…!」
頭にバンダナを巻いた若い女は馬車の荷台に飛び乗ると、ヴィオレッタの横で服を脱ぎ捨て、吊り下げられていた別の衣装に着替えながら言った。
「もうちょっと待っててね。後で夕食持ってくるからねぇ〜〜。」
女は金や銀のアクセサリーを付けると急いで馬車から飛び降りていった。
夜の八時頃、石造りの大きな屋敷からバンダナの女がパンを持って出てきた。そしてその後から小さめの男が鍋を持って、もう一人の背の高い男はバンジョーを抱えて出てきた。
女は手際よくパンを人数分に切り分け、器を小さめの男に手渡した。男はそれに鍋の中のスープをよそった。バンジョーを持っていた男はヤギの乳を搾っていた。
「さあ、晩御飯にしましょう。エルフさん、ひとりで馬車から降りて来れるかしら?」
ヴィオレッタは馬車の荷台から降りようとしたが、足元がふらついて心許なかった。バンジョーの男が体を支えて手伝ってくれた。
四人は馬車の脇で車座になった。女はヴィオレッタにパンとスープを勧めてくれた。ヴィオレッタはスープを少し飲んで言った。
「あ…ありがとうございます。助けてくださったんですね…だんだん思い出してきました…。」
「運が良かったわねぇ。私たちも光のカーテンがなかったら、あなたに気付かずに通り過ぎるところだったわ。」
運が良かった…言われたのはこれで二度目だ。
「…光のカーテン?」
「そうよ。私たちが街道を馬車で進んでると、枝を張り出した大きな木があったの。その枝の下に何やら光るものが見えて…風が吹くたびに揺れてキラキラ光ってたのよ。不思議に思って近寄ってみたら…多分、蜘蛛の糸ね。無数の蜘蛛の糸が枝から垂れ下がっていて風になびいて光のカーテンに見えたのよ。そしたら…木のそばに倒れてるエルフさんを見つけたってわけ。」
蜘蛛の糸…きっとメグミちゃんだ!メグミちゃんありがとうっ‼︎そういえば、メグミちゃんはどこに行ったのだろう⁉︎
「エルフさん、どうしてあんなところで倒れてたの?」
「ステメント村に行こうと思って…古い調理パンを食べたら…当たっちゃいました…。」
「ステメント村ぁ〜〜?あぁ〜〜ごめんねぇ。五日前に通り過ぎちゃったわ。」
「えええぇ…五日前っ⁉︎」
「何か…どうしても外せない用事でもあったの?」
「冒険者がオーク討伐をしてるって…」
「あ〜〜…もう終わっちゃったみたいよ。」
「あああ…」
なんて間が悪い…。どうする?ダフネ達がもういないのならステメント村に行っても仕方がない…。ティアーク城下町に戻る可能性は低い。もう…彼女達を探すあてがない!
「皆さんはどちらに向かわれているのですか?」
「私たちは…ぼつぼつと、寄り道しながら、村を回って…芸を売りながら…リーン族長区連邦まで行くわ。私たちは旅芸人だから。」
リーン…ヴィオレッタはその名前を知っていた。
「エルフさん、お名前は?」
「ヴィオレッタ…です。」
「どちらのエルフさん?」
「え…?…『どちら』…?どちら、というのは…分かりません…。」
「エルフの故郷は、私の知る限りでは二箇所しかないわ…。山エルフの住むリーンか、森エルフの住むイェルマ渓谷か…。リーンの純血のエルフはもう数える程しかいないとは聞いてるけど…どちらのご出身?」
「私は…生まれた時から奴隷で、自分以外のエルフを見たことがないのです…。」
「そうだったの…。同盟国のやる事と言ったら…エルフまで奴隷にするなんてねぇ…」
バンダナの女は巻いているバンダナを取ってみせた。二つのとんがり耳が現れた。
「あなたも…エルフ…?」
「…ハーフエルフだけどね。ヴィオレッタは多分、純血のエルフね。その白い肌とストレートの髪は純血の特徴よ。私の肌は少し褐色で、髪は少し巻いてるでしょう?」
そう言ってハーフエルフの女は自分の豊かで長い亜麻色の髪を愛おしそうに撫でた。
「私達はみんなリーン族長区連邦の出身なのよ。長い興行を終えて、久しぶりに里帰りするのよ。」
リーン族長区連邦はラクスマン王国の西にある。いくつかの原住民族が集まってできた国で、国境紛争でラクスマン王国とは諍いが絶えない。
ヴィオレッタは物心ついてからの三十数年、ラクスマン王国にいた。もしかすると、私の故郷はリーンだった?
「もし…良かったら…私をご一緒させて頂きませんか?」
「いいわよ。…でも、あんまり快適な旅じゃないかもよ?」
ヴィオレッタは馬車の中で自分の肩掛けかばんを探した…あった。かばんを開けると、中にメグミちゃんがいた!メグミちゃんはヴィオレッタに向かって前足二本を掲げてくるくると回していた。
(メグミちゃん、こんなところにいたのねっ!良かったぁ〜〜っ‼︎)
ヴィオレッタはかばんの中を改めた。何も無くなってはいない…この人達は良い人だ。
ヴィオレッタは銀貨の入った皮袋を取り出すと、それをハーフエルフの女に差し出した。
「さすがエルフ…礼儀を知ってるわね。…いいわ、これは預からせてもらいましょう。後で必要経費を引いた残りを返すわね。…それで…ヴィオレッタは何歳なのかしら?」
「五十八…です。」
「ああっ、良かった。私は六十五歳よ。」
みんなは笑った。
「私はジャクリーヌ、踊り子よ。よろしくね。」
小さい男が言った。
「俺はホイットニー、手品師だ。」
バンジョーを持っていた背の高い男も自己紹介した。
「吟遊詩人のグラント…よろしく。」
グラントは先ほど搾ったヤギの乳を陶器のコップに注いでオリヴィアに差し出した。オリヴィアはそれを受け取り、一気に飲んで言った。
「ヴィオレッタです。よろしくお願いします。」




