五十四章 ワンコの気持ち
五十四章 ワンコの気持ち
夜、宿屋のそばでワンコはオリヴィアに怒られていた。
「真っ先に敵前逃亡するなんて、あんたどういう了見…⁉︎」
ワンコはオリヴィアの左手に握られた500gの分厚い生肉を凝視していた。血抜きされているとはいえ、生肉から漂うほのかな血の臭いがワンコの食欲をそそった。少々ぞんざいに扱われても、分厚い生肉のために我慢をしていた。ただただ、耳を伏せて嵐が過ぎ去るのを待っていた。
そこに夕食を終えたジェニが通りかかった。
「何してるの?オリヴィア…………さん…。」
ジェニとオリヴィアが同じ年齢だということが発覚していた。
「ワンコに教育的指導をしてるのっ!もぉ…信じられない…こらっ、待てよ、待てったらっ!」
ジェニはオリヴィアの持っている分厚い生肉を見て、これで手なづけたのかぁ…と思った。
待てを聞かないワンコにオリヴィアは右の拳を振り上げてみせた。ワンコは耳を倒してころんと転がってお腹を見せた。
「まあまあ…許してあげましょうよ。あのオークの数は反則ですよ、誰でも逃げ出しちゃいますって…」
そう言って、ジェニはワンコのお腹を撫でた。
(む…この女…俺より小さいくせに何しやがる…⁉︎)←ワンコの気持ち
「ワンコッ!お座りっ‼︎」
オリヴィアの言葉にワンコは座り直した。
「いい事っ⁉︎今度はオークのキンタマ食いちぎるぐらいの根性を見せるのよ、分かったっ?」
まぁ…分かる訳はない。しかし、ワンコは分かったふりをして尻尾を振った。ジェニは顔を背けて赤面していた。
ワンコはやっと貰えた分厚い生肉に食いつくと、あっという間に平らげてしまった。ワンコは口から涎を垂らし尻尾を振り右前足を挙げて、もっと頂戴アピールをした。
「ちょっと待ちなさいよぉ…今、厨房に人がいるから…いなくなったら…ね⁉︎」
ジェニは聞かなかったことにした。
しばらく経っても厨房から人の気配は消えなかった。それで、オリヴィアはワンコに我慢しなさい…と言って納屋へ引き上げてしまった。ワンコは物足りなさでク〜ンク〜ンと鳴きながら、なかなか厨房がある宿屋から離れることができずにいた。マスチフ系の大型犬はとにかく…食う!
すると…ジェニが500gの生肉を持って宿屋から出てきた。ジェニは男爵令嬢なのでお金持ちである。銅貨40枚で正当に譲ってもらって持ってきたのである。ジェニが生肉をワンコに差しだすと、ワンコはすぐに食らいつき一気に食べてしまった。それを見届けるとジェニは何も言わずに去っていった。
(む…この女…何の見返りもなしに肉をくれたのか…?待てとか、お座りとかしなくていいのか?)←ワンコの気持ち
良い心持ちになったワンコはオリヴィアやジェニがいる納屋の入り口そばで眠りに就いた。
朝の牧草地。良い天気だった。冒険者のパーティーは散在するオークを狩りながら戦線を徐々に上げ、丘陵地帯を登っていった。見回してみてもオークの影も形もなかった。このままいけば、もうこのクエストも終わりが近い。
左右のパーティーは林が近くにあったが、真ん中に位置するヒラリーのパーティーには直射日光を避ける物が何もなかったため、仮設テントを設営し交替で涼をとった。
ヒラリーとデイブは今後について話し合っていた。ダフネとサムは2mの距離を置いて何やら立ち話をしていた。アナは仮設テントの陰で涼んでいた。アンネリはかなり遠くまで偵察に出ていた。
ワンコにチンチンを教えているオリヴィアにジェニが言った。
「なんか暇だよねぇ…ワンコに何か覚えさせようよ。」
「今、チンチンを教えてるんだけどぉ…こいつ、バカかもしれない…。」
「犬もさぁ、目的が明確な方が覚えるんじゃない?」
「例えばぁ…?」
「物を投げて、持って来させるの…これ鉄板でしょ。」
オリヴィアは履いていた片方の皮ブーツをワンコに見せて投げた。ワンコは見事にオリヴィアの皮ブーツを回収して戻ってきた。
「おおっ…ワンコの新たな才能を発見したわ…バカじゃなくて良かったわねぇっ!」
それを見てジェニはひらめいた。
「ねぇねぇ、オリヴィア…………さん。ワンコにこれを取って来させてみてよ。」
ジェニがオリヴィアに手渡したのは…矢だった。
オリヴィアはジェニの矢を思いっきり遠くに投げた。するとワンコは猛ダッシュで行って、矢を回収して戻ってきた。
「おおおぉ〜〜〜、偉い偉いっ!」
ジェニはワンコの頭を力一杯撫でた。ワンコの眉間の皺が伸びたり縮んだりした。
(む…臭いで分かる…この女、昨日俺に肉をくれた奴だな…。この矢にこの女の臭いもついてる…。)←ワンコの気持ち
「ねぇ、どうかしら?ワンコを私に貸してくれない?」
「ええぇ…ゆくゆくはワンコをわたしの荷物運びにしようと思ってたのに…」
「矢を一本回収する度に…銅貨1枚…どお⁉︎」
「貸しましょうっ‼︎」
ワンコは二人の猛特訓を受けた。すぐに放たれた矢をジェニのところに持って来るようになった。ジェニはワンコが矢を持ってくる度に頭を撫でて褒めた。
ワンコは思った…。
あっちの女は厳しいが、こっちの女は優しいな…。もしかして、こっちの女を主人にした方が幸せになれるかな…?
考えてみれば…今までの俺の人(犬)生は辛いことばかりだった…。
物心ついた時にはもう母犬のおっぱいから引き離されて、兄弟や仲間と一緒に厳しい訓練をやらされた。仔犬の頃はライバックがよく遊んでくれていい奴だと思った。はっきり言って大好きだった。こいつがご主人だと思った。
だが、成長すると弟子とかいう奴が割って入ってきやがった。まぁ…それはいい、ちゃんと魔道棟の犬舎で朝晩飯を食わせてくれたからな…まずかったけどな。
しかし、何だよ今回の仕事は!いきなり六時間も走らされてよ!どんどん魔道棟から離れていって…俺、大丈夫かぁ?飯は食わせてくれるのかぁ?って思ったよ!そしたら案の定、飯は現地調達とか…ありえねぇだろ⁉︎命令されるまで人は襲うな、家畜は襲うなって散々訓練してきたけどよ…どーやって飯を調達したらいいんだよ?ブラック過ぎるだろーがよ!
宿屋でゴミ漁りをしてたらよ…いきなり意識が飛んで、気がついたら俺、全然別の場所に居たりするんだよ、どーなってるんだよ!全然分からねーよ!
訓練は飴と鞭って言うけどよ…俺の人(犬)生、鞭ばっかりだよ!飴が欲しいよ!
この村に来て、弟子とかいう奴の声が全然聞こえなくなっちまったが、俺は自由になったのか?それともみなしごになっちまったのか?俺の飯は誰がくれるんだぁ⁉︎
そしたらさぁ…オリヴィアとかいう頭のおかしい女にまとわりつかれたんだよ。凄げぇ美味い肉を食わせてくれるから、こいつがご主人でもいいかなぁ〜〜って思ったけど…こいつもやっぱり鞭なんだよなぁ…。
で、今俺は人(犬)生の岐路に立っているわけよ。ひょっとしたら、このジェニとかいう女…俺にとっての飴かもしれない。こいつにくっついてた方が俺は幸せになれそうな気がする、どうだろうか…?
ワンコは新しいご主人候補のジェニの要望に力一杯応えた。
ジェニはワンコの頭を撫でながら言った。
「ワンコ、賢いわねぇ。…なんかさ、ワンコって名前、安直すぎない?もっとふさわしい…かっこいい名前がいいんじゃないかしら?」
「ワンコでいいんじゃない?…ワンコだし。まぁ、今はレンタル中だから、ジェニの好きなように呼んだらぁ~~?」
「よしっ…かっこいい名前つける…矢を回収してくる犬だから…あ、『アーチャーレトリーバー』ってどうかしら!かっこいい響きだわっ!」
ジェニは、ワンコ改めアーチャーレトリーバーに命令を下した。
「アーチャーレトリーバー、矢を取って来るのよっ!」
ジェニは矢を放った。…しかし、アーチャーレトリーバーは微動だにしなかった。
(アーチャーレトリーバーって…誰だよ…。)←ワンコの気持ち
ジェニは少し困惑して…言い直した。
「わ…ワンコ…?」
ワンコはもの凄い勢いで矢の飛んで行った方向に走っていった。
ジェニはほぞを噛む思いで悔しがった…
(くそっ…オリヴィアに真名を刻まれてしまったかぁ~~っ!)
ジェニがオリヴィアの方を見ると…オリヴィアは牧草を一本、また一本と抜いて、ワンコの稼働回数をカウントしていた。
「ま…まだ練習中よっ!」
「…だめですっ!」
アンネリが偵察から帰ってきた。そして、少し慌てたふうにヒラリーに言った。
「ここから南西に5km行ったところにオークの大群がいたっ!中にとびきりでかくてごつい装備してる奴もいる…オークジェネラルか、オークロードだよ…アレッ‼︎」
「ここまで巣分かれで来てるってことは…新しいオークジェネラルが産まれてたってことか…!」
オークジェネラル…非常に厄介な相手である。




