五百章 イェルマ回廊の攻防 その2
五百章 イェルマ回廊の攻防 その2
キールの傭兵部隊は総勢10名で、斥候5名、剣士5名という珍しい構成だった。
キールは全員に作戦の概要を伝えた。
「あの回廊の両側の絶壁には…必ずどこかに伏兵が来て帰る抜け道があるはずだ。それを使えなくして、今いる伏兵たちを孤立させる…」
「孤立…仕留めなくていいのか?」
「うむ、それは騎士兵団がやってくれるそうだ。それで、左側の絶壁の『物見櫓』も陥とす。そして…『物見櫓』の物見は殺さずわざと泳がせて、回廊以外で城門に至る抜け道に案内させる…」
「…分かった。」
キールの部隊は二手に分かれて絶壁を登り始めた。斥候がほぼ垂直の絶壁にハーケンを打ち込み、カラビナに転落防止用のロープを通して少しづつ登っていった。
約二時間かけて絶壁の頂上に到着すると、そこには身の丈もある雑草や蔦がひしめいた鬱蒼とした森であり、雑草を処理するだけでも30分はかかった。
キールが率いるグループは「物見櫓」の制圧も任務のひとつだ。絶壁の頂上まで登るとそれはすぐに見つけることができた。物見櫓はいたる所に筋交いを渡した5mもの長くて太い四本の柱でできていて、その上には小さな屋根のようなものが乗っかっていた。
キールたちは密かに物見櫓の柱の内側の二本に近づいていった。物見櫓でコッペリ村とイェルマ橋駐屯地を監視しているアーチャーにとって足元は死角になっているようで、キールたちの接近には全く気付いていなかった。
キールたちはちょっと含み笑いをしながら、手鋸で二本の柱を切り始めた。物見櫓が倒れたとしても、崖下ではなく森の中に倒れるので物見は負傷はしても死ぬことはないだろう。
ギコギコギコギコ…
物見のアーチャーには音は聞こえなかった。だが、腰掛けている丸太からお尻に伝わってくる異様な振動に驚き、下を覗き込んで初めてキールたちの存在に気がついた。
(しまった!エステリック軍め…ここまで登ってきたのか⁉︎)
アーチャーは真下に向けて「クィックショット」を放った。三連射がキールたちの頭を掠めていった。
「うわっ…上にいるのは専門職のアーチャーかっ!」
キールたちはすぐに散った。騎士兵団にも弓兵はいるが、ほとんどは牽制射撃をするだけの弾幕アーチャーで、実際の職業は「剣士」だったり「戦士」だったりする。彼らは弓を専門としていないので…狙って射っても外れる事が多い。しかし、専門職のアーチャーともなると、相応のスキルを習得し…目標に対して高い確率で命中させてくる。
敵が散ったのを見た物見のアーチャーは一か八か…二本の柱に両手両足を掛けて一気に下に滑り降りた。櫓の上にいればアーチャーは非常に有利だが、いつかは矢は尽きる…そうなると逃げ場はない。
ドスンという音を立てて地面に着地すると、物見のアーチャーは一目散にイェルマの方向に走った。キールたちはそれを追いかけた。
剣士であるキールともうひとりは「風見鶏」を発動させ、他の斥候職たちは森の木に身を隠しながら素早く移動していたので、物見のアーチャーが時折振り返って矢を放っても命中する気配もなかった。アーチャーにとっては剣士や斥候は非常に相性の悪い相手なのだ。
「やはり獣道があったな…あいつが抜け道に案内してくれる、絶対に見失うなよ!」
キールの言葉に他の仲間は頷いた。
数百mほど走った物見のアーチャーは仲間に警戒を促すための口笛を吹いた。すると、一本の巨木の陰からもうひとりのアーチャーが顔を覗かせた。矢文を中継するアーチャーだ。
「…どしたぁ?」
「敵だ…逃げろっ!」
「ふえぇ〜〜っ‼︎」
しばらく追跡して、キールのグループは少し開けて地面を露わにしている傾斜地に出た。
「…ここは…⁉︎」
キールはそこで停止したが、他の仲間はなおもアーチャーを追跡した。
キールは傾斜地を注意深く調べた。
(なるほど…ここに丸太を積んでおいて、一気に下に落としたんだな…)
キールはその近くで縄梯子を発見し、すぐさま対面の絶壁の仲間に口笛で合図を送った。すると、向こう側で仲間の斥候が顔を出した。キールは手信号を送って、縄梯子の場所を仲間に伝え…二人してナイフでその縄梯子を切って落とした。
(他にも縄梯子を掛けている場所があるかもしれん…)
そう思って、キールは再び物見のアーチャーが逃げていった方向に走り出した。
獣道をさらに数百m走って、物見のアーチャーの仲間はさらに増えて、アーチャー三人で西城門の方向に逃げた。1.5kmあるイェルマ回廊からイェルマまで矢文を飛ばすとなると二回中継させないといけないので、結果、三人のアーチャーが必要だ。
(あっ、まずいな…このままだと、敵を城門まで案内することになってしまう…!)
アーチャーたちは示し合わせ…意を決して木陰に隠れ、追い被さる斥候に向かって矢を放った。ここで踏ん張って…これ以上敵を城門に近づけさせまい、たとえそれで自分たちが犠牲になったとしても…!
しかし、とにかく場所が悪かった…障害物、遮蔽物の多い森の中は斥候職の独壇場だ。剣士職の傭兵はロングソードを構えてズンズンと近寄ってきた。「風見鶏」のスキルを持っているのだろう。
ひとりの剣士と三人の斥候が半包囲して、少しづつアーチャーたちとの間合いを詰めていった。
斥候のひとりが大声で呼ばわった。
「おとなしく捕まれば、殺しはしない。ただし…抜け道の場所は吐いてもらうけどな…へへへ。」
斥候の言葉でアーチャーたちは悟った。
「…捕まったら、拷問必至だな。拷問は嫌だ…かと言って舌を噛みちぎるのは凄く痛いだろうな…。やっぱりここで戦って、サクッと心臓ひと突きで殺される方がいいかも…。」
「くそっ…死ぬ前に男とヤりたかったな…。この前、ランサーたちが『トムソン』とかいう男を捕まえて輪姦したけど…私もカッコなんかつけないで参加すりゃ良かった…」
「おいおい、最後の言葉がそれかよぉ〜〜…」
三人のアーチャーは笑っていた。
先頭を歩いて来る傭兵に矢をくれてやった。その傭兵はその矢をロングソードでいとも簡単に弾いた。
三人は相談した。
「あいつ、『風見鶏』使ってるな…多分、剣士職だ。まず、あいつからだ…」
「…『鶏殺し』をやるか?」
「おうっ!」
練兵部のイェルメイドたちは常に切磋琢磨している。アーチャーは「風見鶏」系スキルを持つ剣士職を苦手にしているが…苦手を苦手のままにしてはおかない。アーチャーは長距離特化型の兵士だが、イェルマのアーチャーはあらゆる工夫をして近接戦闘もこなしてしまう。そういう工夫と研究から編み出したのが「鶏殺し」だ。
巨木の陰からひとりが弓に矢を番て剣士を狙った。すると二人目が、ひとり目が番た矢のすぐ後ろに矢の先端を合わせてさらに番た。そして三人目もそれに倣って、三人が一列にピッタリと並んだ。
「…行くぞ、3、2、1…射てっ!」
同時に放たれた三本の弓は、まるで一本の長い槍のようになって飛んでいった。
剣士の「風見鶏」が飛来物を感知した。剣士がロングソードでそれを横にいなすと…
「ぐはぁっ…!」
二本目と三本目の矢が剣士の首筋あたりに刺さった…致命傷だった。
「風見鶏」は飛来物を立体的に感知するが、それが一本の槍なのか三本の矢なのかを一瞬で判断するのは非常に難しい。盾持ち剣士でも、盾は矢を防いでくれる代わりに剣士の視界も遮ってしまうので、それを嫌って飛んで来た矢を盾で横にいなす剣士も多い。そういう剣士こそ…「鶏殺し」の格好の餌食となるのだ。
「げっ…カルロスがやられたぁっ!」
「何いっ…⁉︎」
後から駆けつけて来たキールは驚いたが、すぐに狼狽している斥候たちを諌めた。
「狼狽えるなっ…あちらは三人、こっちはまだ四人いるっ!じっくりと間合いを詰めて行けっ、接近戦に持ち込めばこっちのものだっ‼︎」
三人のアーチャーはすぐに散らばって、木陰に身を隠した。しかし、四人の傭兵たちは大きな包囲網を作り、巧みに包囲網を縮めていった。
「お…おいっ!敵は…九人なのか?」
「違うっ…斥候職が混じってる…『デコイ』を使ってる…!」
「…みんな、近接戦の準備だっ!」
アーチャーたちは弓を捨て、口に一本の矢を咥えて右手で補助武器のナイフを抜いた。
斥候のひとりが木陰から躍り出て、ナイフでアーチャーを襲った。アーチャーもそれに呼応して木陰から飛び出し至近距離で迎撃した。
ナイフで襲い掛かる斥候をアーチャーは前蹴りで突き放し、口に咥えた矢を左手で持って…相手の目を狙って突き出した。
すんでのところでそれを首を捻って躱した斥候は腰砕けになって三歩退いた。
「あ…危ねぇっ!こいつら…接近戦もできるぞっ!」
するとすぐに、アーチャーたちの左右の方向から投げナイフが飛んできて…一本がひとりのアーチャーの太腿に突き刺さった。
「うぐっ…!」
片膝を突いて痛みを堪えるアーチャーを、二人のアーチャーが背中をくっつけて守った。ゆっくりとキールと三人の傭兵が近づいていった。終わったなと思ったアーチャーたちは左手に持っていた矢を右手に持ち替えて…自分の心臓の位置をチラリと目で確認した。
まさにその時…
ドドド…チンッ…!
キールが「風見鶏」で感知した飛来物をショートソードで撃ち落とした。
「…弓矢だ、どこからか…狙われてるぞっ!」
キールがそう叫んで仲間の方に視線を送ると…心臓に矢を突き立てた三人の斥候が即死したまま茫然と立っていた。
「うわっ…!」
キールはすぐに近くの木陰に飛び込んでうずくまった。
(こ…これ以上はヤバい…狙撃されるっ!他にもアーチャーがいたのか?…しかし、気配は全く感じなかった…。アーチャーごときに仲間を四人もやられるとは…!接近戦ができるアーチャーといい…気配を感じさせない凄腕の狙撃者といい…俺たちは一体何と戦っているんだ…⁉︎)
キールの傭兵部隊は精鋭の集まりだった。何をするにも徹底的に情報を集め、下調べをして事に当たる。そのためこの数年、部隊の仲間を失うような事はなかった…それがキールの誇りであったし矜持でもあった。それが…この戦争に参加して訳も分からないうちに仲間四人が瞬殺されてしまった…。
その様子を見たアーチャーたちは足を引き摺った仲間を支えながら必死で獣道を走った。数百m進んで絶壁の端に辿り着くと、人工的に作られた非常に細い階段を下っていって…城門の方を見た。城門の上にペーテルギュントの姿を見つけて三人は涙ぐんで手を振った。
「ああ…ペーテルギュントさんの『600m狙撃』だぁ〜〜っ!た…助かったぁ…ペーテルギュントさんマジカミッ…尊いっ‼」
アーチャーたちはおぼつかない足取りで、城門前広場に面した絶壁に刻まれたあみだくじのような階段を降りていった。地上5mまで降りてくるともう階段は途切れていて…城門から出てきたイェルメイドが運んできた長い梯子を使ってやっと地面に降りた。




