四百九十八章 イェルマ回廊の攻防 その1
四百九十八章 イェルマ回廊の攻防 その1
イェルマ回廊を数百のエステリック義勇兵団が進軍していた。
二列縦隊で進む義勇兵たちは、遥か後方で「進め、進め!」と嗾ける馬上の騎士兵団の指示に従い、恐々(こわごわ)ながら足並みを揃えて1.5kmにも及ぶ昼なお暗いイェルマ回廊の中を進んだ。
「…この崖の細道はどこまで続くんだろう…なんか不気味だなぁ…。」
「大丈夫だろう…。なんか、今回の出征は小さな国を征服するためだって聞いた…パッと行ってパッと帰れるさ。」
「ああ…それ、俺も聞いたぞ。だから俺は、兵役はもう果たしてたんだが、お手当が良いからこの出征に志願したんだ。今回は何千人もで攻めて…あっという間に敵を倒してすぐに終わるらしいぞ。」
先頭の義勇兵がもうすぐイェルマ回廊を抜けようとしていたその時、後方で大きな音がして兵士の悲鳴が響き渡った。
「うぎゃああぁ〜〜っ…!」
イェルマ回廊のあちこちで落石があり、行進する義勇兵の頭を潰した。それを見た騎士兵の騎馬は驚いてすぐにイェルマ橋にとって返した。
「敵襲…敵の伏兵だぁ〜〜っ!」
それは落石ではなかった。イェルマ回廊の断崖の両側に潜んでいたイェルメイドの伏兵が両手で抱えるほどの石をエステリック軍の軍列に投げ落としたのである。
義勇兵たちはすぐに盾を掲げて落石を防ごうとしたが、頭上10mから落とされた石は加速度をつけて落下し、盾ごと兵士たちを打ち砕いた。
地上から約10mの断崖に掘られた縦横約1.5mの溝に20人のイェルメイドがいて、あらかじめ準備していた石を次々に下に向かって放り投げていた。
「うへぇ…よりにもよって、あたしたちの番の時に攻めてくるなんて、こいつら碌でもないねぇ!」
「石が重い、こ…腰が痛い!」
「…んじゃ、矢を射ちなよ。」
イェルマ回廊を守っているのは練兵部のOGたちだ。二交代制で番をしているが、イェルマ回廊は普段はイェルメイドか貿易商人しか通過しないので、東城門勤務と同じく何もすることがない非常に楽な勤務地だ。
この勤務地は夏期は涼しいが冬期はちょっと寒い。各々、寝袋を持ち込んで暇な時は昼寝をしているか、ノミで穿って自分たちが潜む溝を拡張しているかのどちらかだ。
彼女たちの10m下では石を投げ落とす度に悲鳴が上がり、パニック状態になっていた。中には上空に向けて矢を放つ者もいたが…当たるわけがない。
伏兵のイェルメイドの中にひとりだけ若い女がいた。彼女は「念話」ネットワークの魔道士だった。
「…あ、マリアさんから指示が来ました。回廊を封鎖して良いそうです。」
「ええ、一度アレを落としたら…復旧には一ヶ月かかるぞ?」
「…コッペリ村に数千もの同盟国の兵士を確認したそうです。」
「数千か…やむを得ないか。」
伏兵のリーダーのガーベラは向かいの崖に潜むイェルメイドに手を振って合図を送った。
手斧を持った二人のイェルメイドがイェルマ回廊のほぼ中央に掛けてある縄梯子を伝ってそれぞれの崖の頂上に登って行った。
登ったすぐそばは傾斜した地形で、その場所には頑丈な二本の杭が打ち込んであって…数十本の太くて長い自然木の丸太がその杭で堰き止められていた。
イェルメイドはその杭の一本を手斧で叩き始めた。
カーン、カーン、カーン…
その音は細長いイェルマ回廊の中で不気味にこだまして、狼狽える同盟国の義勇兵たちの恐怖をさらに駆り立てた。
「な…何だ、この音は…⁉︎」
ビキィ…
一本の杭が折れて、数十本もの丸太の圧力でもう一本の杭も折れ飛び…丸太は傾斜を転がって雪崩を打ってイェルマ回廊の下へ吸い込まれるように落ちて行った。
両側の断崖から突然降ってきた丸太は大轟音を立てて数十人の義勇兵たちを押し潰し、十数mに亘って絡み合って積み上がり同盟国軍の軍列を見事に分断した。
二つに分断されて辛くも生き延びた義勇兵たちの半分は我先にイェルマ橋の方向に逃げていき、もう半分はイェルマ西城門前広場の方向に逃げた。
回廊を抜けて城門前広場に辿り着いた義勇兵たちは目の前の視界がパッと開け、眩しい太陽光と共に降り注いできた無数の矢に貫かれてバタバタと絶命していった。
「ひとりも生きて帰すな…射てっ!」
無慈悲なアルテミスの号令で城壁のアーチャー隊の第二射が城門前広場で逃げ惑う義勇兵を確実に仕留めていった。イェルマ回廊の入り口には数十の義勇兵たちの骸が転がった。
宿屋の「作戦本部」ではエステリック軍の幕僚たちが中央のテーブルに座って三等級のワインを飲んでいた。
そこに騎士兵団の伝令がやって来て報告を入れた。
「回廊に侵入した我が軍が敵の攻撃に遭いました!」
伝令から詳細を聞いたレンブラント将軍は言った。
「やはり、あの回廊には罠が仕掛けられていたか…義勇兵を先行させて良かったな。」
カイル参謀が言った。
「そうですね…騎士兵団には貴族やその子弟も多いですから。それで、被害状況は?」
「…義勇兵103名、騎士兵1名が犠牲に…。」
「向こうの損耗は?」
「…確認されておりません。」
「そうですか。現在、累計で死者は敵11、我が軍104…ほぼ1:10ですね。なんとかこれを1:5でキープしていきたいですね。」
レンブラント将軍は笑って言った。
「はははは…カイルくん、まだ序盤だ。これから、これから。」
そう言うと…将軍はまずそうにグラスワインを飲み干した。
「しかし、どうしたものかな…。あの回廊を突破しないと先に進めぬ…。」
カイル参謀は言った。
「…丸太は何とかなるでしょう。問題は壁にへばり付いている伏兵ですね。」
「ふむ…もう一度、奴らに働いてもらうか。おい、伝令…キールを呼んでくれ。」
キールと言う男が呼ばれて、宿屋の幕僚たちのテーブルに着席した。キールは傭兵グループのリーダーで…実は、最初に幌付きの馬車でイェルマ橋を制圧したのは彼のグループの傭兵たちだった。
「レンブラント将軍、何のご用でしょうか?」
「…君たちに回廊の伏兵を始末してもらいたい。」
「我々の仕事は…初手の橋の制圧と、占領した村の警戒のみって言う約束だったでしょう?」
「君たちの腕を高く買っているのだ…手当は倍払うから、すまんがもう一度だけ頼む。」
「ぶっつけ本番は困りますねぇ。橋の時でも、準備期間を一日もらいました。下調べなしで突っ込んで死んでいった傭兵仲間をたくさん知っていますからねぇ…。」
「そこを何とか頼む。…兵役や賦役に手心を加えてやって私の子飼いにしているのは、お前たちのようなプロ集団が無駄死にしないようにとの私の心遣いなのだ。」
「…んんん、仕方ありませんな。分かりました…これっきりにしてもらいましょう。本当にこれっきりですよ⁉︎」
「うむ、ありがとう。」
「となると…断崖の上の『物見櫓』も陥とした方が良いですね。」
「よろしく頼む。」
キールは宿屋を出ると、すぐに村周辺の警戒をしている仲間を呼び集めて「回廊攻略」の計画を練った。




