四百六十九章 ハインツのプロポーズ その1
四百六十九章 ハインツのプロポーズ その1
次の日の朝、キャシィズカフェの繁忙時間が終わった十二時頃、キャシィとハインツは粉屋のお米5kgと大麦5kgを麻袋に入れてダンの雑貨屋を訪ねた。
「こんちゃあぁ〜〜っ!」
キャシィの元気の良い挨拶に答えたのはオーレリィだった。
「やあ、キャシィ。」
「ダフネさん、産まれたんだってぇ〜〜?お祝いを持ってきましたぁ〜〜!」
「それはそれは…ありがとね。ダフネとサムは二階の左端の部屋にいるわよ。」
「じゃぁ、ちょっと赤ちゃんの顔を見てこようかな…。」
二人は二階に登って行き、ダフネがいる部屋の扉を叩いた。
コンコン…。
「はあぁ〜〜い、開いてるわよおぉ〜〜っ!」
キャシィと同じくらいに元気な声が返って来た。
「…あ、やっぱここにいたのか。」
部屋の中では、オリヴィアが赤ちゃんを抱っこしてあやしていた。そして、ダフネは寝台に寝ていて、その寝台にサムが腰掛けて…二人して苦笑いしていた。
(うっ…オリヴィア姉ぇ、明らかに邪魔になってる!)
「…昨日はオリヴィア姉ぇ、ここに泊まったんでしょ?グレイスさんとセドリックが戻って来ないって、心配してたよ。」
「うんうん、分かってるわよぉ…。でもねぇ、赤ちゃんが可愛くて可愛くて…わたしの母性が爆発しちゃって、立ち去るにも立ち去れないのよぉ〜〜。」
「あんたが母性を爆発させてどぉ〜〜すんのっ⁉︎…ダフネさん、すいませんねぇ〜〜…」
ダフネは言った。
「三時間ごとの授乳は大変だから…ありがたいのはありがたいんだよ。でもねぇ…抱き癖もついちゃうし…ねぇ…。」
昨夜からオリヴィアはオーレリィの部屋に泊まり込んでいる。それで赤ちゃんがお腹を空かせて泣くと、ダフネの隣で寝ているサムよりもオリヴィアが早く起き出して駆けつけて来て赤ちゃんをあやしてくれる…これが三時間毎なのだ。ダフネとサムが二人きりになる時間が全くない!
キャシィは思った。
(グレイスさんに言って…オリヴィア姉ぇを回収してもらわないといかんなぁ…!)
「オリヴィア姉ぇばっかり抱いてないでさ、あたしにも赤ちゃん抱かせてよぉ〜〜!」
「…赤ちゃん、ヤダァ〜〜って言ってるよ?」
「言ってねぇよっ!寝てるじゃんよっ‼︎」
キャシィはオリヴィアから赤ちゃんを奪い取ると、その小さな顔をハインツと一緒に眺めた。生まれてからほぼ一日が経っていて、シワシワの顔にハリとツヤが出て来ていた。
「か…可愛いぃ〜〜っ!…あっと…」
赤ちゃんの顔を至近距離で初めて見たキャシィはあまりの可愛さに大声を出してしまって、赤ちゃんがびっくりしてぐずり始めた。
「ハインツさん、はいパスッ!」
キャシィは抱いていた赤ちゃんをハインツに渡した。突然の赤ちゃんのパスでハインツは慌てた。ハインツは見よう見まねで赤ちゃんを抱っこし、揺らしながら宥めたりすかしたりした。
キャシィはダフネに言った。
「名前はもう付けたんですか?」
「いや、まだだ。それは…サムに任せてる。」
サムは照れながら…
「今ね、思案中なんだ。これぞっていう名前を考えているんだけどね…これがなかなか…。」
オリヴィアが得意満面な顔で言った。
「わたしが名前…付けてあげよっか?」
ダフネが眉間に皺を寄せて激昂した。
「それは絶対ダメだっ!あたしとサムの娘の名前が『サマンサ』とかになってしまうっ‼︎」
「サムの娘だからサマンサ…良いじゃん、ぴったりじゃん。」
「そんな安直な名前、嫌だぁ〜〜っ!」
オリヴィアは自分の息子に「オリバー」と名前を付けている。犬は「ワンコ」だった。オリヴィアのネーミングのセンスが最悪であることをダフネは熟知していた。
ダフネとオリヴィアの口論を聞きながら、ハインツは赤ちゃんをあやしていた。ハインツも赤ちゃんを見るのは初めてだった。
ぐずっていた赤ちゃんはハインツの腕の中でもう微睡の中にいて…小さな口をムニャムニャさせて…スー、スーという微かな寝息を立てていた。ハインツは赤ちゃんから伝わってくる体温とミルクの匂いに、何か懐かしいものを感じた。
(ああ…これが「命」かぁ…。そういえば、妻も…こんな感じだったなぁ…。)
ハインツは妻とベッドを共にしていた頃のことを思い出した。直に伝わってくる妻の体温と匂い…確かにあの時、自分は心の安寧を感じていた。
彼女はとある貴族の三女で、両家の父親同士が決めた早い話が「政略結婚」だった。ハインツは自分の意見を主張するタイプではなく、当時はあまり女性に興味がなかったので流れに流されるままに彼女を受け入れた。彼女もまたおとなしい性格で、そういう意味ではハインツとは気が合った。
十八歳でハインツに嫁いできて共に三年を過ごした。「お見合い結婚」ではあったが、ハインツは彼女をそれなりに気に入り愛した。そして多分、彼女の方も…。しかし、妻はもういない、でも…。
亡くなった妻からすれば、キャシィの性格は正反対だ。ハインツは時折、商売でキャシィに怒られて滅入る事もあったが…キャシィが笑うと、自分の持つ「闇」がその強烈な光によって全て消え去るような気がした。
キャシィは長居しすぎてもいけないと思って、ハインツと共に雑貨屋を出た。
道すがら、キャシィはハインツと話をした。
「赤ちゃん、可愛かったねぇ〜〜。」
「…そうだね。」
「女の子だから、ダフネさんと一緒にイェルマで暮らすことになるんだろうねぇ。ダフネさんとサムさんの子供だから、戦士と魔道士…どっちになるんだろ?…どんな名前を付けるんだろうねぇ…」
「キャシィはさ、自分の子供を欲しいとは思わない?」
「んん〜〜、そりゃ…欲しくないと言ったら嘘になるかなぁ…。でも、まだ私十七だし、相手もいないし。」
「…八月四日で十八歳になるんだよね?」
「おっ、私の誕生日、覚えててくれたんだ。ありゃぁっす!ふふふ…もうすぐだねぇ。」
「十八歳っていったら、もう立派な大人だよね…どうだろう、け…結婚とか…考えてみない?」
「あひゃひゃひゃっ…だからぁ、相手がいないんだってばぁ〜〜。」
「…僕なんか…どうだろうか…?」
「…えっ!…あは、あはははは…も、もしかして…今、私にプロポーズ…した…?」
「した…。」
突然の事で、キャシィはパニックに陥った。
「ん…んんっ、いきなり頭がこんがらがった!ちょっと待って…整理してみるね。ええと、ハインツさんは私に求婚したのかな…?」
「…うん、だめかな?」
「いや、ダメじゃないっ!ダメじゃないんだけどぉ…ええと、要するにね、こういうのってさ…好き合った男女でやったりするじゃん?…ハインツさんは私の事が好きで、それで結婚したいと…そういう事なのかな…?」
「…うん。」
ハインツが私の事を好きだったなんて…キャシィは告白されて初めて気がついた。
ハインツと最初に会った時、ハインツは最愛の妻を亡くして失意のどん底にあり、うんともすんとも言わなかったのでその第一印象は最悪だった。その上、同じ屋根の下のキャシィズカフェで一緒に生活し、あまりにも距離が近かったせいもあってか…キャシィはハインツを異性として見ていなかった。いや違う…好きだと告白されて、生まれて初めての「異性」がキャシィの目の前に突然現れたと言った方が正確かもしれない。告白されて…「同居人」だったハインツが突然、「異性」になったのだ。
キャシィは改めてハインツの顔を見て返答の参考にしようと思ったが、ハインツと目が合ってしまったので慌てて逆の方向を向いてしまった。
(ううっ、まずいっ!ハインツさんの顔がまともに見れなくなったあぁ〜〜っ‼︎)
キャシィは顔を少し紅潮させて、小走りでキャシィズカフェの方に走って行った。
「キャ…キャシィ…⁉︎」
「…ん、んとね…返事は明日するぅ〜〜…。」
その言葉を聞いて、ハインツは粉屋の方に歩いて行った。




