四百二十章 ヘクターの困惑
四百二十章 ヘクターの困惑
オリヴィアとケイトは冒険者ギルドのギルド会館二階の一室に身を潜めていた。エビータとティモシーもまた同じ階の別室にいた。ヴィオレッタの脱出劇で慌ただしくなっているティアーク城下町がもう少し落ち着いたら、隙を見て、オリヴィアとケイトはイェルマへ、そして、エビータ母子はレイモンドの代わりにエステリック城下町に向かう予定だ。ティモシーは面が割れているので、密偵の赴任地を交換しようという訳だ。
せっかく城下町にいるのに、もう三日もこの部屋に閉じ込められて外に出られないことが不満で、オリヴィアは爆発寸前だった。
オリヴィアはユーレンベルグ男爵から差し入れしてもらったワインと、極楽亭からデリバリーしてもらった雑炊を食べながらケイトと話をしていた。
「うぐぐぐぐ…私たち、いつまでここにおらにゃならんのだぁ〜〜…ゴクッ、ゴクッ…。」
「仕方ないじゃん…私はいいとしても、あんたは偽王妃として指名手配されてるでしょうがぁ〜〜。」
「好きでやったんじゃなぁ〜〜いっ!ケイトもコルセット…着けてごらんよぉ〜〜、きついのよぉ〜〜⁉︎…シルクのドレスは許すけど…。」
すると、コンコンと扉を叩く音がした。レイチェルだった。
「極楽亭のヘクターが会いたいそうだけど…いいかしら?」
オリヴィアが答えた。
「極楽亭…?どうぞ、どうぞ…何か、差し入れしてくれるのかしらぁ…。」
しばらくすると、極楽亭の雇われ主人のヘクターが手に岡持ちのような木箱を持って部屋に入ってきた。
「やっ、オリヴィア…それと、ケイトだったかな…。」
ヘクターは義足を引きずりながら部屋に入ると、木箱から鶏モモの揚げ物や豚の野菜炒め、お皿いっぱいに盛ったライスを出して、テーブルに並べた。
「あらまぁ、ヘクター!気が利いてるわねぇ…ありがたくいただくわねぇ〜〜!」
二人が料理に手を出して食べ始めると…ヘクターはぼそりぼそりと話し始めた。
「ええと…あんたたちはイェルマから来たんだよな…?」
「そうだよ、モグモグモグ…」
「んと…ルカっていう女を知っているか?」
「ルカとはお友達よ。よく一緒にお酒を飲むわねぇ…モグモグモグ…」
「そ、そうかっ!…で、彼女は元気にしてるだろうか…?」
「んん〜〜…なんか、悪阻が酷いって言ってたかなぁ〜〜。妊娠中なんで、お酒を控えるとか言って…付き合いが悪くなったって、ベレッタがぼやいていたわねぇ…モグモグモグ…」
ケイトが弁明に回った。
「いやいや、妊婦さんがお酒を控えるのは当たり前でしょ!それはベレッタさんの方がおかしいでしょ…モグモグモグ…」
ヘクターは顔面蒼白になった。
「えっ、ちょっと待て…ルカは妊娠してるのか?」
「そうよ。さっきから、そう言ってるじゃない…モグモグモグ…」
それを聞いたヘクターは様々な考えが頭をよぎって…一瞬、めまいを感じた。
ヘクターは四十近い年齢で、いまだ独身だ。七ヶ月前にティアーク城下町にやってきたルカと、お酒の勢いでひと晩を共に過ごしてしまった。ヘクターにとっては初めての女で、忘れる事ができず…ずっと心の片隅に引っかかっていた。ルカが妊娠…?父親は誰だろう…?もしかして…俺か⁉︎…しかし、たった一回で…そんなことがあるのか⁉︎
ヘクターは勇気を振り絞って、次の言葉を発した。
「…父親の事を…聞いてないか?」
「さぁねぇ…聞いてないわねぇ…ルカったら、相手のことは全然喋らないから…モグモグモグ…」
「で…いつ生まれるのかな…?」
「知らなぁ〜〜い。」
すると、ケイトが言った。
「あ、アナ様から聞いたわ。確か、十月頃だって言ってたよ…モグモグモグ…」
ヘクターは必死で頭の中で計算した…うわっ…可能性はある!もし…もしも、赤子の父親が自分だったら…もう、それは責任を取るしかないっ‼︎
イェルマの風習から言えば…行きずりでも何でも、とにかく「女児」が授かれば良いのである。なので、ヘクターは気に病むことはないのだが…ヘクターにして見れば、この機を逃せば一生所帯は持てず、ましてや子宝など望むべくもない…そう信じて疑わなかった。
「…イェルマって、ここから遠いのか?」
「んと…馬でゆっくり行って、二十日ぐらいかしらぁ…モグモグモグ…」
「…二十日かぁ…。」
ヘクターは冒険者ギルドから極楽亭を任されている。往復すれば四十日、色々考えて二ヶ月近くも極楽亭を留守にするのはまずいなと思った。
するとそこに、ユーレンベルグ男爵とホーキンズが突然現れた。
「オリヴィア、ケイト、元気か?…おっ、ヘクターもいたのか。」
「こんにちわ…男爵様、ホーキンズさん…。」
「オリヴィア、ギルド会館もちょっと怪しくなってきたから、私の屋敷に移ろう。ここは退屈だから、ちょうど良かろう?」
「行く行くっ!…ケイト、行こっ⁉︎」
「ユーレンさんの…あの、おっきな家?…牛のステーキやワインが食べ放題飲み放題の屋敷ね⁉︎行く行く…絶対に行くっ‼︎」
オリヴィアたちが慌ただしく荷物をまとめている横で、ヘクターはイェルマに行くかどうか悩んでいた。




