四百十章 バンシー
四百十章 バンシー
ジェニは昔使っていた自分の部屋で朝を迎えた。朝食にはまだ早いと思ったので、屋敷の外に散歩に出た。
すると、偶然にも父親ユーレンベルグ男爵と鉢合わせした。
「おはよう、ジェニファー。今日はいい天気だな…梅雨の中休みと言ったところかな。」
「おはよう、パパ。どうせすぐに雨雲がやって来るわよ…。」
「そう私を邪険にするなよ…。で、どうだろう…これを機に王都に帰ってきては?弓の腕前もだいぶ上達したのだろう…また、ティアークで冒険者を続ければ良いじゃないか。」
やっぱり、そういう魂胆か…ジェニはそう思った。だが、ジェニもちょっと里心がついてしまったせいか…明確な拒否ができなかった。それで、ジェニは話題を変えた。
「そういえば、ユーレンベルグ家には先祖代々の『ユーレンベルグの木』っていうのがあったわよね…どこだったかしら?」
「ああ…ヒッコリーの木のことか。こっちだよ。」
二人は屋敷の正面玄関から十分を掛けてぐるりと回って、屋敷の裏側にやって来た。屋敷の裏側の敷地は西向きで、朝は少し暗く感じた。
ジェニは言った。
「ああ、ここだったのね。小さい頃はよくここで遊んだはずなんだけど…あまり、覚えてない…。」
「そりゃあ、そうだろう。お前が遊んでいたのは四歳の頃だ。その後は…な⁉︎」
そう…五歳になって、ジェニは症候熱を患い…目を悪くした。
「あそこの木は全てヒッコリーだ。真ん中の一番大きいヤツが先祖代々の木…我がユーレンベルグの元の領地から持ってきた木だ。」
「ふうぅ〜〜ん…」
二人は一番大きなヒッコリーの木に近づいていった。すると、数匹のリスがじっとこちらを見ていて、それから枝を伝って梢の方に逃げて行った。
不意に…ジェニは足を止めた。先祖代々の木のそばに人影が見えたからだ。それは輪郭が定かでなくぼぉ〜〜っとしていた。それで、ジェニは深度2の「イーグルアイ」を発動させた。…はっきりと見えた。それは、両目を閉じて長い黒髪を胸元に垂らした女だった。
ジェニは…声を掛けた。
「…あなたは…?」
すると…
「おや…あなたには私が見えているのですね…ユーレンベルグ家の方ですか?」
「私はジェニです。…ジェニファー=ユーレンベルグです。」
「おお…ジェニファー=ユーレンベルグ、お帰りなさい。顔色が良いですね…健康になりましたねぇ。」
黒髪の女は目を閉じたままなのに、ジェニの様子が判るようだった。
「…もしかして、あなたが私に目をくれた妖精…さんですか?」
「ふふふ…そんな事もあったかしら…。」
ユーレンベルグ男爵は、ジェニが突然ヒッコリーの木に話し始めて…その様子を不思議そうに見ていた。
ジェニは続けた。
「私に目をくれたせいで…目がないのですか?それで、ずっと目を閉じたままなのですか?」
「ジェニファー=ユーレンベルグ…気にしないでください。目がなくても精霊や魔力は見えます…なので、本来、私たちには目は必要ないのですよ。目は飾り…人間に近づきたいという妖精の『願望』のようなものです。ただ、私の…目をあげてしまったという『認識』が目を閉じさせているのですよ…。それよりも…ユーレンベルグ家の役に立てたことが、私にはとても嬉しいのです。」
「あなたのお陰で…私は失明を免れました、ありがとうございました…。」
「あああっ…ユーレンベルク家の者に感謝された…!私は報われた…少しばかりの恩返しができた!」
どうしてだろう…目をもらって感謝してもしきれないと思っているのはこちらなのに、どうしてこの妖精はこんなに喜んでいるのだろう。ジェニは父親ユーレンベルグ男爵に訊いてみた。
「パパ…パパにはこの妖精さんは見えてないよね?」
「…ん?そんなものがいるのか、目の前に⁉︎」
「…まぁ、いいや。この先祖代々の木って、何か曰わくがあるの?」
「んん…詳しいことは知らん。私も祖父から話を聞いただけだからな…」
ユーレンベルグ男爵は先祖代々の木について語り始めた。
その昔、ユーレンベルグ家は辺境の村の領主だった。ユーレンベルグ家の指導の下、村を挙げてブドウを栽培しワインを作っていた。ユーレンベルグの初代当主は、後継の男子が産まれた時にその祝いと一族の繁栄を願って、ブドウ園のそばにヒッコリーの苗木を植えた。やがてそのヒッコリーの木は巨木に成長し、ユーレンベルグ家の象徴となった。そして、それから…ユーレンベルグの代々の当主は新しいワインが出来上がる度に、その年に出来た最良のワインをコップに一杯その木に捧げるようになった。
時が移り…ティアーク王国が成立すると、ユーレンベルグ家は辺境の領主から辺境伯となり…そして、男爵位を授かるまでになった。それを機にユーレンベルグ家は王都に移住した。その時に…巨大なヒッコリーの木の近くに生えていた、多分この木の種から生まれた若い木をユーレンベルグの屋敷に一緒に連れて来た。それがこのヒッコリーの木だ。
妖精の女は言った。
「あの辺りにはたくさんの仲間がおりまして、お供えのワインを美味しくいただいておりました…その頃、私は地中にいて、村人と共にブドウの収穫を手伝っておりました…。」
「ああ…ユグリウシアさんが言ってた…。ノッカーとか、ブラウニーとか…?」
「村人は私のことを『ご近所さん』と呼んでくれて、パンや焼き菓子を振る舞っていただきました…幸福の日々でした。それで…私はユーレンベルグ家に大変なご恩を感じております。そして、このご恩をいつか返さなければと…ここまで着いてきたのです。」
この妖精はユーレンベルグ家に恩返しがしたいという強い「想い」から、ブラウニーから変質して…ユーレンベルグ家の守護妖精の「バンシー」に昇格していたのだ。
バンシーは言った。
「ジェニファー=ユーレンベルグ…私に着いて来てください。」
「…え?」
バンシーは歩き始めた。ジェニがその後に着いていくと、ユーレンベルグ男爵もそれに従った。
バンシーは屋敷に近づくと、その壁のひび割れた部分を指差した。
「…ここ。」
「え…何、ここに何かあるの?」
ジェニがひび割れの中に指を入れて探ってみると…なんと、金貨が一枚出てきた。
「ええっ…何で⁉︎」
それを見たユーレンベルグ男爵は大笑いしながら言った。
「ははははは、そうか、すっかり忘れていた…!」
「…パパッ?」
「ジェニは覚えていないかな?お前やリヒャルド、ハインツと一緒に『宝探し』ごっこをやったじゃないか⁉︎ユーレンベルグ家では、庭に金貨を隠して子供たちに宝探しをさせる遊びをよくやるんだよ。多分、この金貨は先代か先々代が隠して回収し忘れたものだ。」
バンシーはさらに歩いて行って…敷地の隅の苔むした石を指差した。
「…ここ。」
ジェニが石を持ち上げてみると、その下にもやはり金貨が隠されていた。
バンシーはユーレンベルグ家の庭を歩き回って…結局、八枚の金貨をジェニに見つけさせて、そして…言った。
「ジェニファー=ユーレンベルグ…その八枚の金貨はしっかり持っておいてくださいね。必要になる時が必ずきますよ。もう…ここにあなたの未来はありません、さぁ、来たところに帰りなさい。」
バンシーは自分のなすべき事をしてのけて、自慢げな顔をしてジェニに手を振った。そして、表の広大な庭園に歩いていくと、庭の草むしりを始めた。きっと…今までずっと…人に知られる事もなくユーレンベルグ家への奉仕を続けていたのだろう。
ジェニは思った。イェルマに置いてきてはいるけれど…今、自分が持っている金貨は全部で三十二枚。八枚を足して…丁度四十枚…。私はいずれ、金貨四十枚という大金で何かをするのだろうか?…それとも、何かを買うのだろうか?もしや…この妖精もセイラムと同じような「予知」の能力を持っているのかしら⁉︎
ジェニははたと思い付いて…父親の男爵を置いてけぼりにして急ぎ足で自分の部屋に戻った。そして、再び庭にやって来ると、草むしりをしているバンシーにプレゼントをした。それは自分の部屋のワードローブから持ち出した「柘植の櫛」だった。
「…これを私に⁉︎ああ…ジェニファー=ユーレンベルグ、ありがとうございます、ありがとうございますっ!…あなたに幸福が訪れますようにっ‼︎」
バンシーは感激してしまって、草むしりの仕事を放り出すとすぐに庭園の中央にある噴水のところまで走って行って、そして、水鏡で自分の姿を見ながら、ジェニからもらった櫛でずっとずっと…自分の長い黒髪をくしけずっていた。
バンシーは言った…あなたの未来はここにはない…と。ジェニは里心を振り切って、イェルマに戻る決心をした。




