四章 山賊退治
四章 山賊退治
午後八時。日が落ちて山際の小さな街道は真っ暗だった。皮鎧を着込んだダフネは幌に取り付けた長い釣竿のような棒にランタンをぶら下げて馬車をゆっくり走らせていた。荷台の中のオリヴィアはいつになく真顔で麻のシャツとスパッツに着替え、両脚に皮のブーツ、両手に皮のグローブ、そしてその上からガントレットを装着した。アンネリは敵索行動中だ。
頭上の木の枝から男が降ってきて、馬車のすぐ横の草むらに落ちた。背中にはアンネリの放った矢が深々と刺さっていた。
黒い外套を纏ったアンネリがひょいっと御者台に飛び乗ってきた。
「今の男は山賊の斥候だろうな。他にも伏兵が四人いたよ。」
「挟み討ちにする作戦か。あちらも考えてるな。」
アンネリの職種は斥候。アンネリは十八歳だが、イェルマの斥候房ではすでに中堅である。修練を積んだ斥候だけが会得する「斥候スキル」をいくつか持っていた。
その中のひとつが「キャットアイ」だ。このスキルを発動すると一定時間夜でも星明かりだけで猫のように物を見ることができる。
山賊の伏兵たちは馬車のランタンの明かりに気を取られ、暗がりからのアンネリの攻撃を防ぐことはできなかった。もっとも、もうひとつの斥候スキル「シャドウハイド」を発動中のアンネリを目視することすら不可能だったであろう。「シャドウハイド」は暗闇と一体化するスキルである。斥候の職種を極めた者は「アサシン」と呼ばれる。夜の対人戦において斥候のアンネリに敵うものはそうそういない、同じ斥候を別として…。
かがり火が見えてきた。右に行けばエステリック王国、左に行けばティアーク王国という内容の立て札が見える。ちょうど三叉路の中央あたりか。数は十五人ぐらいか。
ダフネは馬車を止め御者台から降りた。オリヴィアも荷台から降りてダフネの横に並んだ。
ダフネはゆったりとしたマントを羽織り、頭には鋼のカチューシャ、麻のシャツの上に鎖帷子、胸の部分に鋼板をあしらった皮鎧、両手には分厚い皮グローブ、そしてバトルアックスとラウンドシールドという自前の装備だ。オリヴィアも右手のガントレットに短剣を持っていた。
リーダーであろう髭面の大男が大声でダフネたちに喋りかけてきた。
「ん?世間知らずの女三人と聞いていたが、お前ら女だてらに冒険者か?俺たちとやり合うつもりか?」
オリヴィアがにこにこしながら大男に歩み寄った。大男との距離があと2mといったところで、オリヴィアの持っていた短剣が長く伸びて大男の革製のブレストアーマーを貫いて心臓に突き刺さった。
短剣ではなかった。それは槍だった。オリヴィアが槍の矛先を持ち、残りの長い柄を水平に保っていたため、短剣に見えたのだ。
山賊たちは突然の攻撃で怯んだ。だが、オリヴィアは容赦なく近くにいる山賊たちを突き殺していった。
山賊たちの混乱に乗じてダフネが突進して斧を振り回した。女三人と油断してろくに防具もつけていなかった山賊たちはダフネの斧に薙ぎ倒され次々と地面に崩れていった。
中には何人か猛者もいたがダフネと剣を一合するだけで絶命した。ダフネのマントの下に「シャドウハイド」で隠れていたアンネリが隙をついて死角から目にも止まらぬ速度で致命傷を与えていたからだ。
ひとりの山賊が逃走を図ったがアンネリの投げクナイの餌食となった。
「そいつは殺すな。」
ダフネの声に呼応してアンネリは男を後ろ手にして縛った。
時間は午後九時頃か、ダフネたちは農家の敷地にいた。山賊たちと戦闘した場所から2キロぐらい歩いたか。
畑は耕した痕跡もなく荒れ放題だった。50m先に母屋が見えた。明かりがついている。ここが山賊たちのアジトだ。
「はい、案内ご苦労様でした。」
そう言ってアンネリは男の喉笛をナイフで掻き切った。相手は山賊、命乞いしようが何しようが生かしておくつもりはない。
「ちょっと行ってくる。」
アンネリが草むらの中に消えた。敵情視察に行ったのだ。そしてすぐに帰ってきた。
「中に十二人。酒を喰らってやがる。あんなの楽勝だよ。」
アンネリの情報をもとにダフネが簡単な作戦を立案した。
山賊たちは酒を飲みながら談笑していた。
「あいつらそろそろ帰ってくる頃だな。」
「女は久しぶりだな。三人とも美人らしいぜ。ひとりは俺の嫁にしてえな…」
「アホか!女は共有する、これがわしらの掟だ。ひと月楽しんで、飽きたら売り飛ばすのよ。」
「売り飛ばすと言えば、あのガキの話はどうなってるんだ。貴族に高値で売れるんじゃなかったのかよ。あのガキどうも気に入らねぇ、色々と指図してくるんで頭にくる。」
「いま頭目がツテを探してるんだよ。」
その時、音もなく窓が開いて黒い物が飛び込んできた。アンネリだった。アンネリは素早く山賊たちの腕や足をナイフで切り、裂き、えぐった。
「うぎゃああああっ!」
母屋の中はパニックとなった。
そこに間髪入れずにダフネが玄関の扉を蹴破って突入した。アンネリの攻撃で動きの鈍くなった山賊をバトルアックスで次々と殴り倒した。ひとりはダフネの斧がもろに頭部に命中し、脳しょうが激しく飛び散った。
後方にいた山賊四人は逃げようとして武器も持たずに反対側の裏口に殺到した。裏口を開けた瞬間、四人ともオリヴィアの槍で串刺しとなった。こうしてアザル盗賊団の残党は壊滅した。
ダフネがひとり固まっていた。
「ダフネ…またかぁ、いい加減に慣れろよぉ。」
ダフネが人を殺すのはこの旅が初めてだった。斧は剣と違って命中してもそれほど出血しない。相手がゴブリンなら血がいくら飛び散ろうと気にならない。先ほどの山賊相手でも斧が命中して肋骨、鎖骨、首の骨が折れる手応えがあったがどうといことはなかった。しかし、頭が割れて中から大量の血と脳みそが溢れ出るのを目の当たりにした時、罪の意識からか、ダフネの体はどうしてもすくんでしまうのだ。ダフネはそういう性分なのだ。
オリヴィアがけらけらと笑った。
「ダフネもまだまだ甘ちゃんねぇ。わたしなんか王国の兵隊がコッペリ村に来た時…」
「はいはい、その話はまた今度聞くから。」
アンネリは他の人間の気配に気づいて、オリヴィアのおしゃべりをさりげなく遮った。
アンネリは人差し指で下を指した。地下室があるようだ。アンネリが母屋の壁を丹念に調べて継ぎ目を見つけ、隠し扉を発見した。扉を開けると地下に続く階段があった。
三人が静かに階段を降りていくと、そこには頑丈に施錠された部屋があった。扉の隙間から光が漏れている。誰かいる。
三人は目配せし、ダフネがバトルアックスで錠を破壊した。それと同時に扉を開けたオリヴィアが槍を持って突入した。
が、そこにはひとりの銀髪の少女がいるだけだった。
「待ってましたよ。あんまり遅いのでこっちから助けて〜〜って叫ぼうかと思いました。」
「ん…あんた、誰?」
オリヴィアの問いかけに少女は答えた。
「誰と言われても…少なくとも山賊じゃないわ。あなたたち冒険者?その返り血を見るにみんなやっつけちゃったんだ、強いのね。もしかしてS級のヒラリー?」
「ヒラリーって誰。私はオリヴィアよ。」
「そうなのね。」
一本の蝋燭の火が揺らめいていた。その傍で少女は本を片手にベッドの上にあぐらをかいて座っていた。どう見ても十歳前後にしか見えなかった。部屋の中は積み上げられた本でいっぱいだった。彼女の首には鉄製の太い首輪が鈍く光っていた。
「あなた、山賊に拉致られたの?」
「まぁ、そんなところね。」
少女はベッドから降りると、本の山から自分のお気に入りを選びはじめた。
アンネリがある事に気づいた。
「あれ見て…耳。エルフだ。」
「エルフね。」
「エルフだ。」
少女はエルフだった。彼女は振り返ってどうでもいいという顔で答えた。
「私はエルフを見たことはないのだけれど、みんな私のことエルフって言うから私はエルフなんでしょうね。あなたたち、エルフを知ってる人たちなのね?」
「うん。わたしは巡回中に二、三度会ったことがあるのよ。北の五段目のもっと上の方にね、森エルフが住んでてね…」
得意げに喋るオリヴィアの口をアンネリが塞いだ。アンネリのアイコンタクトを受けて慌ててダフネが少女に尋ねた。
「お嬢ちゃん、名前は何て言うの?」
「こう見えても私は今年五十八歳よ。お嬢ちゃんはないでしょう。」
「えええ〜〜…ごめん…ごめんなさい。」
エルフは長命種だ。
「名前はヴィオレッタ。物心ついた頃からずっと今まで奴隷をやってるわ。終身奴隷よ。」
「なんで山賊なんかと一緒にいるのさ…じゃなくて、いるんですか?」
「もともとティアーク王国の奴隷商人の屋敷にいたの。だけど、屋敷がアザル盗賊団に襲われてね。金目の物をごっそり持っていったわ。私も金目のモノだったわけね。」
「ん?」
「エルフって珍しいでしょ?貴族に高値で売れるらしいの。今までも貴族の間で何度か転売されたわ。今のところは鑑賞用奴隷ってとこかしら。」
確かによくよく見ると銀色の髪はサラサラと音を立てるようで、瞳は空のような青色、肌はアイボリーのように白く透き通って見えた。
「でもね、私、エルフだから成長がすごく遅いの。私の成長を待ってる間に人間は年寄りになって死んでしまうの。だから転売されちゃうのね。」
「そうか!よっぽどの幼女趣味がないと我慢できないってことね⁉︎」
「オリヴィアさん、ちょっと黙ってて。」
「アザルは墓穴を掘ったわ。私を飼っていた奴隷商人は公爵の御用達だったの。公爵は王族だからね、王国は全兵力で盗賊狩りをやったのよ。落ちのびた盗賊に連れられて、売りそびれて、今私はここにいるわけ。」
ああ、そんな話をオリゴ村でも聞いたなとダフネは思った。
「ヴィオレッタ…さんは、これからどうしたい?」
正直、ダフネは困っていた。筋を通すのであれば、彼女をイェルマの森エルフの里に連れて帰るべきだ。少なくとも自称博愛主義者のイェルメイドが女児…ではないけれど、を見捨てて行くわけにはいかない。旅は始まったばかりだというのに、イェルマに引き返すのか?アンネリの顔も曇っていた。オリヴィアは何も考えていない様子だった。
「イェルマに連れてってよ。」
「……‼︎」
ヴィオレッタの言葉にダフネとアンネリは絶句した。オリヴィアは何も考えてなかった。
「あなたたち、イェルメイドでしょ?女手で二十数人の山賊を全滅させられるなんて、私が知る限りじゃ、ヒラリーの冒険者パーティーか、イェルメイドしか知らないわ。それに…」
ヴィオレッタは手に持っている本をダフネに見せた。
「シーグア=アール=ク=ネイル著、イェルマ滞在記。私のお気に入りの本よ。ここに北の斜面のこと、森エルフのことも詳しく書いてあったわ。」
う…ばれてる。誰だ、シーグアって!
「し…しかし、ですねぇ。私たちにも仕事がありまして…今すぐという訳には…」
歯切れの悪い言葉でダフネは都合の良い展開を探った。
「わかってる。あなたたちお婿さん探しの旅の途中なのね?そういう風習がイェルマにはあるって本に書いてたわ。いいわ、ついて行くわ。」
おお、何とかなった!ダフネとアンネリは安堵した。オリヴィアは何も考えてなかった。
「さぁ、行きましょう。」
数冊の本を両脇に抱えた少女は先頭に立って部屋を出た。
地下から母屋に上がると、ヴィオレッタが天井を指差した。
「あそこにお金があるわ。私の当座の食い扶持として笑納してちょうだい。」
アンネリが天井裏を探ってみると、壺が隠してあった。中には金貨と銀貨がぎっしり詰まっていた。山賊たちが溜め込んだ金だった。
ずっしりと重たい壺とこれまたかさばる本、アンネリは馬車を取りに街道へ戻った。
ヴィオレッタはダフネに尋ねた。
「これからどこへ向かう予定?」
「エステリック王国に行こうかと思ってます。城下町は一番大きい町だしね。」
「エステリック王国か…十年ほどいた事があるけど、人が多いだけのなんの面白味もない国だったわ。」
「そういえば…あたしたちが地下室に入った時、ヴィオレッタさん、誰かと間違えてたよね?」
「ああ、ヒラリーね。ティアーク王国の冒険者ギルドに所属している女性初のS級剣士よ。」
「S級って?」
「冒険者ギルドで使われている強さの階級みたいなものね。五級からS級までの六段階、S級は最上級よ。女性がその認定を受けたものだから、一時期ティアーク王国じゃ話題になってたわ。その上のSS級ってのもあるらしいけど、それは別格ね。勇者の領域よ。近衛騎士兵団の団長がそうだろうとは噂されてるけど、彼は冒険者じゃないしね。」
「ふうん…S級冒険者のヒラリーか。会ってみたいな。」
ダフネはヒラリーという女性に興味を持った。イェルメイド以外にも強い女性がいるものだろうか?あたしよりも強いのだろうか?
「ティアーク王国に行けば?」
晴天の霹靂だった。そうか、エステリック王国に行くというのはあくまで予定であって決定ではないし義務でもなかった。ダフネは旅の予定変更についてアンネリとオリヴィアを説得しようと思った。
アンネリが馬車を牽いてやって来た。