三百九十四章 雑話 その5
三百九十四章 雑話 その5
夜の七時頃のことだ。珍しくキャシィが厨房に立って、晩ご飯の用意をしていた。
釜戸には二つの鍋が掛かっていて、ひとつは白い泡を吹きながら重石の乗った鍋蓋を持ち上げようとしていた。
グレイスが言った。
「なんか、今まで嗅いだことのない匂いね…これがお米の匂い?」
「違いますよぉ〜〜、この匂いはお味噌汁ですよぉ〜〜。」
キャシィが重石を取って蓋を開けると、もあっと白い湯気が立ち上がった。鍋の中を覗いてご飯の中に「カニの穴」を二つ見つけて…「こんなものか」とキャシィは思った。
人数分のお椀とお皿に味噌汁とご飯を装うと、それをテーブルに並べた。
「今日の晩ご飯はお味噌汁とご飯だけです。どっちもコッペリ村では初登場の食べ物なので、食べてみて感想を聞かせてください。」
スプーンにご飯を少し乗せて、恐る恐る口に運んでグレイスが言った。
「この…ご飯っていうのは味がないのね…。」
「よく噛んで食べてみてくださいよぉ〜〜。よく噛むと、ちょっと甘味が出て来るでしょ⁉︎」
「…そうかしらぁ…?」
グレイスは味音痴だった。フリードランド夫人が言った。
「でも、こればっかりだと…味が薄いから、飽きてしまいますねぇ。」
「だからお味噌汁があるんですよっ!ご飯とお味噌汁を交互に食べてくださいっ‼︎」
ハインツがジャガイモとタマネギの入った味噌汁を啜った。
「んんっ…しょっぱいね、これ。そうか、これでご飯を口に含んで塩気を緩和させるんだね?」
「小麦粉で作ったパンだって、そのままじゃ味がなくて美味しくないでしょ…おかずと一緒に食べるから、二個、三個と食べられる訳ですよっ!」
なるほどな…という顔をして、みんなはご飯とお味噌汁を食べた。
セドリックが言った。
「…見た目がねぇ…。これって、長細くって…蛆…」
「あああっ、それは言っちゃダメッ、想像しちゃダメッ!」
みんなが食べ始めて、少し遅れて四人の駆け込み女たちも自分で装ってご飯と味噌汁を食べた。
ビッキーが発作を起こした。
「はっ…はうあ…はうっ、はうっ!」
「ど…どしたぁ〜〜っ⁉︎」
キャシィと姉のカリンが駆け寄って、落ち着かせようとビッキーの背中をさすった。カリンは身振り手振りでビッキーとの意思疎通を図った。
「…何て?」
「…美味しいそうです。」
「…おいおい。」
すると…ビッキーはご飯のお皿の上に、いきなり味噌汁をぶっかけて食べ始めた。それを見たキャシィは驚いた。
(むむぅ〜〜っ…ご飯とお味噌汁の相関関係をしっかり理解してるじゃないかぁ〜〜っ!…ビッキー、恐るべし…。)
猫まんまを食べ終わったビッキーは、意味不明な言葉を発しながらキャシィに食い下がって来た。
「か…カリンさん、何て言ってる?」
「…お味噌汁の作り方が知りたいそうです。」
「いや…お味噌を溶かし込むだけだから…。」
カリンがそれをビッキーに伝えると…
「…お味噌の作り方が知りたいそうです。」
「いやぁ〜〜…コッペリ村じゃ作るのは無理なんだよねぇ…。稲作をしている場所でないとねぇ…。」
味噌を作るには麹が必要だ。麹は「神様からの贈り物」と言われるように、その昔、稲穂の先っぽに突然現れた。それは小さな黒い塊で、要するに「雑菌」の巣のようなものだった。この中に「麹菌」もいた。
先人はこの雑菌の塊から、麹菌だけを取り出す方法を発見した。麹菌はアルカリ性に非常に強いので、草木を燃やした「灰」をまぶすことで他の雑菌の繁殖を抑え、麹菌だけを繁殖させて「種麹」を作ることに成功した。
この「種麹」を茹でた大豆に撒いて、同時に塩を加えて発酵させると味噌が完成する。
「ビッキー、お味噌を作るには時間が掛かるのよ。お味噌はイェルマからいくらでも持ってくるから心配しないで。あんたはお料理だけを作ってくれたらいいのよ。」
「…はぅ。」
セシルとセイラムは鳳凰宮の外にいた。そして、そのそばにはユグリウシアとライラック母娘、ボタンとアルテミス、そしてマーゴットもいた。
その日、マーゴットは魔道士房の房主堂の自室で神代語の研究をしていて、ユグリウシアに貸してもらったユグリウシア自作の神代語辞書で単語の整理をしていた。そんな時にユグリウシアが房主堂を訪れて、一緒に鳳凰宮に行かないかと誘われて着いて来たのだ。そして、「大精霊」の召喚実験であると聞いて…驚きと興奮を抑えられないでいた。
セシルが言った。
「では…!地の大精霊を召喚してみますっ‼︎」
セシルが空き地の真ん中におはじきを一個置くと、セイラムはセシルのローブの裾を握って神代語の呪文を唱え始めた。
「%#=@<>?=&#&>@#$@#&==?+*&$#@…‼︎(創造神ジグルマリオンの名において命じる…地の精霊ノームよ、大軍勢を率いて布陣せよ、しかして地の軍神を召喚せよ!力強き腕は閉ざされたる門を打ち破り、重厚たる足は地を割って行く手を妨げる者なし…地上にて地響きを轟かせる者…その名はゴーレム‼︎)」
すると、地の精霊ノームが地面からどんどん這い出てきて、巨大な黄色の球体を作った。そしてそれは次第に形を整え、身長5mの巨大な石の人形となった。
マーゴットは手に持った羊皮紙にセイラムの発した呪文を走り書きしていたが、目の前の巨人の出現にペンが止まった。
(神代語の魔法は…こんな途轍もないモノを召喚できてしまうのか…!)
ユグリウシアは言った。
「これは初期格の地の大精霊…クレイゴーレムですね。」
「ほえええええぇっ…大きいですねぇっ‼︎」
「地の大精霊はゴーレム…初期格でクレイゴーレム、中位格でストーンゴーレム、上位格でアイアンゴーレムを召喚できます。以前召喚したバルキリーは空中戦が得意ですが、ゴーレムは地上での防衛戦や城砦攻撃などに向いていますねぇ。」
「なるほどぉ…あ…目眩が…」
セシルの様子を見て、セイラムは叫んだ。
「&%$><=##〜&@『』&&$!(ゴーレム、引っ込めっ!)」
ゴーレムは土煙のようになって消えた。
「ううう…大精霊の召喚に成功しても、三分も保たないなんて…屈辱…!」
笑いながらボタンが言った。
「これで…三十分保つようになれば、イェルマの国防の要になるやもしれん…。セシル、頑張ってくれ。」
(…イヤですっ!)
…と思ったが、セシルは口には出さなかった。
一時間ほど休憩して、魔力が回復したセシルにユグリウシアが言った。
「今度は火の大精霊を召喚してみましょうか?」
「…水じゃなくて?」
「水の大精霊を召喚する時には、近くに大量の水があった方が良いですね。水の大精霊の召喚は雨の日にしましょう。火の大精霊の召喚にも火種が必要ですが、かがり火があれば…。」
それを聞いて、ボタンは門番のアーチャー二人に合図を送った。アーチャーたちは夜に使うかがり火のための鉄柱を持ってきて、上部の鉄の籠に薪木を入れて火をつけた。
そして、再びセイラムが神代語で呪文を唱えた。
「%#=@<>?=&#&>@#$@#&==?+*&$#@…‼︎(創造神ジグルマリオンの名において命じる…火の精霊サラマンダーよ、大軍勢を率いて布陣せよ、しかして地の軍神を召喚せよ!逆巻く炎は汝の肢体、煮えたぎるマグマは汝の血潮…炎の王国の門番にして全ての物を灰燼に帰する者…その名はスルト‼︎)」
かがり火からゾロゾロと火の精霊サラマンダーが這い出てきて、ひとつ所に折り重なるように積み上がっていった。2mほどの高さになると、それは人の形になっていき…炎の体に片手に炎の槍を持った顔のない魔人が現れた。
ユグリウシアが言った。
「おお、これも初期格ですね。マーゴット殿から聞いておりますが、人間の魔道士は四精霊の中から二つを選択してその魔法を習熟するとか…。セシルさんは…風と水を選択されたのですね?」
「はい、その通りです。」
「それで…。セシルさんは風と水の精霊とは親和性が高いので風の大精霊の時は、中位格の大精霊を召喚できたのですねぇ。地と火の精霊とは親和性が低いので初期格のクレイゴーレムとスルトということですねぇ。」
「スルトって…弱いんですか?」
「そんなことはありません。汎用性の高い大精霊ですよ。攻めて良し守って良し…物理攻撃には火属性の追加ダメージがありますので、炎の槍は鉄の盾をも貫き通します。」
「ほおおぉ…あっ…また目眩が…」
セイラムがすぐに火の大精霊を引っ込めた。
「中位格ではフェニックス、上位格ではイフリート…どちらも強力な火属性の攻撃魔法が得意です。」
セシルはもう、自分の理解の領域を遥かに超えたと思って、半ば興味を失ってしまったかのようだった。実際、イフリートを召喚できれば、人間の一個師団の軍隊と言えども魔法攻撃の一撃で終わらせてしまう…。
マーゴットはクレイゴーレムとスルトを目の当たりにして、どっと疲れを感じ…辞書を閉じた。
自分の代わりにセシルとセイラムが大精霊の召喚に成功したという達成感、それと同時に神代語魔法はこんな恐ろしい魔法兵器を召喚してしまうのかという焦燥感…。セシルとセイラムがいれば…自分は必要ないのではないか。セシルとセイラムはすでに自分の域を凌駕している。これからは、この二人が神代語魔法を極めていけば良いだろう…私は、これ以上焦って神代語を覚える必要もないのかもしれない…マーゴットはそう思った。




