三百七十四章 パトリック近衛兵団長
三百七十四章 パトリック近衛兵団長
ヴィオレッタは気が動転して、何かしなければ!と思い…まず、できる精一杯のことをやった。
賊の男は、担いでいたヴィオレッタが突然消えたように感じた。
「…⁉︎」
男がヴィオレッタを落としたかと思って振り返った瞬間、ヴィオレッタは本当に肩から転げ落ちた。ヴィオレッタが「水渡り」状態になったので、賊はヴィオレッタの重みが消えて、床に落としたのだと勘違いしたのだった。
男は暗闇の中でも目が見えるのか、ヴィオレッタを目視して再び捕まえようとした。ヴィオレッタは咄嗟に「ブロウ」を発動させた。猿轡を噛まされていたので、無詠唱の魔法しか使えない。
近距離で「ブロウ」を真正面に受けた男は大きくのけ反ったものの、体勢を立て直して再度ヴィオレッタに迫った。
(攻撃魔法を使わないと…!)
ヴィオレッタは一か八か、無詠唱で「ウィンドカッター」を発動させた。無詠唱の「ウインドカッター」はリール女史を持っている時には成功するのだが、自力で成功させたのは一度だけだった。ハックとさんざん修行した時のことが思い出される…。
発射されたつむじ風は賊に直撃して…賊は呻き声を上げた。…何と、成功したようだ。
賊は手傷を負い、咄嗟に影の中に隠れた。もちろん、ヴィオレッタには賊が見えていないので、隠れようが隠れまいが関係ない。
ヴィオレッタは無詠唱の「ウィンドカッター」を魔力が尽きるまで自分の前方に向かって盲撃ちした。そして、その後何も起こらず…静寂が流れた。
なかなか戻って来ない二人を心配して、王妃が二人の近衛兵を連れてやって来た。
猿轡と縄で束縛されたヴィオレッタを見て、エヴァンジェリンは悲鳴を上げた。
「まぁっ!何という事でしょう…早く縄を解いてあげてっ‼︎」
猿轡を解かれたヴィオレッタは叫んだ。
「ト…トイレにフランチェスカさんが…!」
王宮で夜を徹して、ヴィオレッタを拉致しようとした賊の捜索が近衛兵たちによって行われた。廊下には賊のものと思われる少なからずの血痕が残されていた。
次の日の朝、エヴァンジェリン王妃は朝議の席にある男を呼んだ。その男の名前はパトリック=コック…王国近衛兵団長だ。エヴァンジェリンが信用できる「もうひとり」の男だ。
ヴィオレッタを側に置いたエヴァンジェリン王妃がパトリック団長に尋ねた。
「賊は捕まりましたか?」
「ただいま、近衛兵団の総力を持ちまして捜索中でございます…。」
「宮中への賊の侵入を許すとは、不手際でしたね…。」
「申し訳ございません…弁解の余地もございません。」
「この王宮の中でさえ、私の奴隷…ヴィオレッタを傷つける者がいようとは…私は安心して寝ることも叶いません…。」
「宮中において…近衛兵団の持ち場において…二度とこのような事は決して起こしません。もし、同じような事あらば…この職を辞する覚悟であります…。」
「そうですか、パトリック殿の覚悟の程は理解しました…。それを踏まえて…ひとつお願いしたいことがあります。」
「…何なりと。」
「パトリック殿自ら…ヴィオレッタの護衛をしていただきたい。」
「…!」
すると、宰相であるガルディン公爵が異議を申し立てた。
「王妃陛下、近衛は王宮王族を護る公的戦力ですぞっ!…それを、個人の所有する奴隷ごときのために使うなどもっての外っ…」
エヴァンジェリンは毅然として反論した。
「私は王族です。そして、ヴィオレッタは私の財産です。王族の財産を守るのも近衛の責務でしょう?」
「それは…詭弁ですぞっ‼︎」
ガルディン公爵はビヨルム国王の方を見た。しかし、国王はそれを予期していたのか、そっぽを向いていた。
ヴィオレッタがちょんちょんとエヴァンジェリン王妃の袖を引っ張った。ヴィオレッタに促された王妃は言った。
「…そう言えば、これは賊を捕まえる手掛かりになるやもしれません。ヴィオレッタが申すには…賊は斥候職だったと。暗闇の中でも夜目が利いており、あれは斥候のスキル「キャットアイ」だったと…。」
それを聞いたパトリックの顔色が変わった。
パトリックには心当たりがあった。今朝、斥候職の近衛兵が急遽、体調不良を理由に「休暇届け」を出したのである。これは偶然の一致かもしれないが、しかし…パトリックの勘が警鐘を鳴らしていた。…近衛の中にもガルディンに阿る者がいる…⁉︎
危うさを感じたパトリックは…
「…そうですか、参考にいたします。それで…先ほどのヴィオレッタを護衛する件、私で良ければ、謹んでお引き受けいたします。」
「それは誠かっ!ああ…安堵いたしました。これで夜もぐっすり寝ることができます…ねっ、ヴィオレッタ?」
「はい、王妃陛下。」
ガルディン公爵はひとり激怒していた。
「何たる事かっ…パトリック、なぜ安請け合いをするっ⁉︎貴様には近衛全体を統括するという重大な任務があろうがっ…!」
すると、うんざり顔のビヨルム国王が言った。それは半ば、捨て台詞のようでもあった。
「…良いではないか。ティアーク王国最強の剣士パトリックがヴィオレッタを護衛するのであれば、誰も手出しはできぬ…これで私は王妃のお小言を聞かなくて済むというものだ、はははははは…。」
「むむむむ…!」
王妃が請願し、近衛兵団長が了承し、国王がOKを出したのだ。何人と言えどもこれを覆す事はできない…。
その日からすぐに、パトリックはヴィオレッタの護衛を始めた。
パトリック=コックは年齢は三十二歳。彼の出自は貴族ではなく、お世辞にも裕福とは言えない料理屋の次男だった。
十五歳の時に、父親と長男の代わりに賦役を果たすために王国義勇兵団に参加した。秀でた剣の才能が認められて、すぐに王国騎士兵団への転属が許され、ここでパトリックは軍属…専業兵士となった。見習い騎士兵だったパトリックはここでも多くの武勲をあげ、「騎士」の称号を得て正式に王国騎士兵となった。これが十八歳の時である。
それから五年…研鑽を積んだパトリックは王国近衛兵に選出された。平民からの選出は異例であった。そして、いつの間にかティアーク随一の剣士と呼ばれるようになり、国王の推挙もあって遂には王国騎士兵団の団長に就任し、それと同時に子爵位を賜り、貴族の仲間入りを果たした。
パトリックは平民出身だったのでファミリーネームを持っていない。そこで、家業が料理屋だったので、国王からパトリック=コックと命名された。
パトリックが王妃の部屋に招き入れられると…近衛兵の勇壮な金属鎧を見たウィルヘルムが即座に駆け寄っていった。
「おおぉ〜〜っ、かっこいいっ!フルプレートアーマーをこんなに間近で見るのは、我は初めてだっ‼︎」
「…パトリック=コックでございます、皇太子殿下。どうぞ、よしなに…。」
エヴァンジェリンが言った。
「これからパトリック殿には、ヴィオレッタの護衛をしていただきます。ウィルヘルム、パトリック殿のお邪魔をしてはいけませんよ?」
「それは良いことだ…これでヴィオレッタも安心してオシッコができるな!」
「これ、ウィルヘルム…!」
ヴィオレッタは笑っていた。ウィルヘルムは有頂天でさらに続けた。
「この王宮にも悪者がいるらしい。そやつはヴィオレッタを連れて行こうとしたのだ。ヴィオレッタを連れて行かれると…我は困る。頼んだぞ、パトリック。」
パトリックは尋ねた。
「皇太子殿下、どうしてお困りになるのですか?」
「ヴィオレッタは我の先生だ。一緒に本を読んで勉強しているのだ。ヴィオレッタは何でも知っているのだぞ、フランチェスカよりも物知りだぞ。我がどんな質問をしてもすぐに答えてくれるのだ。」
フランチェスカは眉を八の字にしていた。エヴァンジェリンはクスクスと笑っていた。
パトリックは思った。
(このヴィオレッタという少女はエルフという長命種だったな…。見た目よりも遥かに高齢なのだろう。それで、知識も経験も豊富なのかも知れない。…これは粗相があってはいけないな…。)
ヴィオレッタはパトリックの前に進み出て、ちょこっとお辞儀をした。
「パトリック近衛兵団長閣下、ヴィオレッタです。どうぞ、私を守ってください…よろしくお願いします。」
「閣下などと…パトリックとお呼びください。」
「いえいえ…私はこのティアーク王国の法律では終身奴隷です。身分の違いは明らかですので…。」
(…法律では奴隷…法律がなければ奴隷ではない…か、人並み以上の矜持はあるようだ。それはエルフだからか、エルフは人間以上だと思っているのか…?)
エヴァンジェリンが言った。
「パトリック殿はただ単に兵士というだけでなく、戦術家、戦略家としても優秀な方です…こと荒事において、この方以上に頼りになる方はいませんよ。」
「へえぇ…そうなのですね。」
ウィルヘルムが自分より遥かに背の高いパトリックに上から目線で質問した。
「パトリックは剣士なのだな?『紫電』や『零式』は使えるのか?」
「…どうして、そのような剣士のスキルをご存じなのですか?」
「ヴィオレッタに教えてもらった。」
(ん…?ヴィオレッタは剣士なのか…報告書では、ヴィオレッタは魔法で賊を退けたとあった…魔道士ではなかったのか?)
「そうですか…私は『紫電』を習得しております。」
「おおっ…凄いな!パトリックは『勇者』と同じなのだな…やって見せてくれ!」
「ははは…『勇者』と同じなどと滅相もない。…皇太子殿下、『紫電』を披露するにはこの部屋は狭すぎますので…また次の機会にいたしましょう…」
「嫌だ…今、見たい!…見たい見たい見たいっ‼︎」
エヴァンジェリンがウィルヘルムを諌めた。
「ウィルヘルム、我儘を言ってパトリック殿を困らせてはいけません!」
母親に強い口調で怒られたウィルヘルムは…すぐにヴィオレッタの懐に飛び込んでいって、母エヴァンジェリンの顔色を窺った。




