三百七十二章 ガルディンの陰謀
三百七十二章 ガルディンの陰謀
次の日の朝、ユーレンベルグ男爵は王宮の中央区画を当てもなく彷徨っていた。ただひたすら…彷徨っていた。もう、二十分ほども彷徨っていた。男爵は心の中で思った。
(こんなことで…本当に王妃に会えるのだろうか?)
すると…
「おや、ユーレンベルグ男爵ではありませんか?」
男爵の背中で声を掛ける者がいた。王妃エヴァンジェリンと侍女フランチェスカ、そしてヴィオレッタだった。
「こ…これは王妃陛下。ご機嫌麗しゅう…」
(お…本当に出会えた…!)
「男爵、今はお暇でしょうか?いつぞやのお話の続きを是非お聞かせ願いたいのですけど…。」
「いつぞやの話…はて?…あっ、ああ…あの話ですね⁉︎分かりました、理解しました。い…今からでもよろしいですよ。」
「ほほほほ…では、私の部屋に参りましょうか。みんなで紅茶でもいただきましょう。」
ユーレンベルグ男爵はエヴァンジェリン王妃の後に続いた。そして、歩きながら王妃の隣を歩く少女…ヴィオレッタをとくと眺めた。
(この子がヴィオレッタか…確かに美しい少女だ。だが、この少女奴隷にホーキンズがギルドを挙げて大騒動するほどの価値があるのだろうか?)
ユーレンベルグ男爵とヴィオレッタはこの時が初対面だった。
四人が王妃の部屋に入ると、フランチェスカは三人分の紅茶を用意し、ウィルヘルム皇太子を連れて、気を利かせて隣の部屋に移っていった。
ヴィオレッタが口を開いた。
「ユーレンベルグ男爵様、お初にお目に掛かります。ヴィオレッタと申します。今日は私のためにご足労いただき…ありがとうございました…」
ユーレンベルグ男爵はヴィオレッタのしっかりした挨拶に驚いて…一瞬で理解した。
(…教養がある!ただの奴隷ではないな⁉︎)
「昨日、ベロニカさんから『念話』をいただき、失礼とは思いましたが、このような仕儀とあいなりました。」
エヴァンジェリン王妃が言った。
「私どもも、男爵様を随分とお探ししましたのよ…ふふふふ。」
ベロニカは「念話」で時間指定はしてきたが、場所の指定はしてこなかった…なぜなら、ベロニカは王宮のことは全く知らなかったからだ。
男爵は言った。
「私はホーキンズに頼まれてやって来たのだが…まず聞きたい。ヴィオレッタはホーキンズとはどういう関係なのだ?」
「ホーキンズさんには色々とお世話になりました…オリヴィアの襲撃事件で巻き込まれた私を助けていただきました。それに、私の大切な本も預かっていただきました。」
「ん…待て。ヴィオレッタはオリヴィアの事件の事を知っているのだな…オリヴィア本人も知っているのか⁉︎」
「はい、ほんの少しの間ですが…行動を共にしておりましたよ。」
「と言うことは…⁉︎」
ユーレンベルグ男爵は王妃の顔をチラリと見た。ヴィオレッタは笑って言った。
「オリヴィアと王妃様はどこからどう見ても…瓜二つですよねぇ⁉︎王妃様に、思わずオリヴィア…って声を掛けちゃいましたよ…」
「ふはははは…お前もか…!」
エヴァンジェリンが大笑いした。
「おほほほほほ…私もそのオリヴィアさんに会ってみたいものですねぇ…!」
ヴィオレッタはさらに、オリヴィアたちにアザル盗賊団から救い出された事を男爵に語った。
「すると…ダフネやアンネリとも親しいのだな。そうか、そうか…!」
「私はヒラリーさんとダフネの模擬戦も、その場で見てましたよ。」
「ああ…後でホーキンズから聞いた。その後、オリヴィアがギルド会館の床を破壊したのだろう⁉︎」
「そうです、そうです!…ふふふ、あれは驚きましたねぇ…‼︎」
二人はしばらく、イェルメイドたちの話題で盛り上がった。
そしてその後、事のあらましをエヴァンジェリン王妃から聞いて、今回の騒動の元凶がジェローム侯爵であることを確信した。
ジェローム侯爵の少女愛好趣味は貴族の間では有名で、そして多分、エヴァンジェリン王妃も侍女のフランチェスカから聞いて百も承知の事だろう…。
「…でだ。ここからが本題なのだが、ヴィオレッタはこれからどうするつもりなのだ?」
「…王妃様とも相談いたしました。今の私は…法律的にも実質的にも、王妃様に保護されております。けれど…執拗に私を追ってくる者がおります。私を所有していた奴隷商人もそうなのですが…すぐに王宮にまで手が回ってしまって…」
(ガルディン公爵…だな?)
ユーレンベルグ男爵はジェローム侯爵がガルディン公爵主宰の「耽美会」のメンバーである事を知っていたのですぐに察したが、王妃の手前…はばかられてその名前を口には出せなかった。
「その者は強大な権力を持っているので…王妃様のそばを離れると、どうなるか分かりません。それで…もうしばらく、王妃様のそばに留まろうかと思います。…そして、逃げる機会を窺おうかと。…ティアークから逃亡できる状況が整うのを待とうかと。」
「そうか…なるほど、分かった。その旨、ホーキンズやその仲間に伝えておこう。」
「…ありがとうございます。」
最後に…ユーレンベルグ男爵は、王妃エヴァンジェリンに進言した。
「怖れながら王妃陛下…実は私はヴィオレッタ同様に、オリヴィアなる女性とは懇意にしております…。オリヴィアは天真爛漫、天衣無縫な女で、決して理由なくして人を殺める者ではございません…」
ヴィオレッタが口添えをした。
「オリヴィアは真っ直ぐな人です…。私をアザル盗賊団から救ってくれました。そんなオリヴィアが誰かの家に強盗に入って、家人を惨殺するなんて…私には到底、信じられません…!」
「ふむ…と言うことは、オリヴィアは無実と言いたいのですか?誰かに濡れ衣を着せられたと…オリヴィアとは何者なのですか?…冒険者なのですか?」
「はい…まぁ、その様な者です…」
ユーレンベルグ男爵は「イェルメイド」とは言わなかった。言ったとしても、エヴァンジェリンは理解できないだろうし、話をややこしくするだけだと思ったからだ。
「冒険者ギルドのギルドマスターのホーキンズは私の親友でございまして、信用に足る男でございます。彼もまたオリヴィアとは昵懇の間柄で、彼が申しますには…ロットマイヤー伯爵が誰かにオリヴィアを献上するために言葉巧みに別宅に招いたのだと、そうオリヴィアが証言したのだと…申しておりました。」
「…献上…?」
「私はオリヴィアの手配書をこの目で見ました…。通常の手配書であれば、必ず犯人の人相書きがあるのですが、それがなかったのでございます…」
「…よく分かりません。どういう事でしょう…?」
「オリヴィアの顔が公になるとまずいと思った者が手配書に細工をしたのですよ。」
「む…つまり…?」
「手配書を細工した者は、オリヴィアが…王妃陛下とそっくりである事を知っているのです。つまり…王妃陛下のご尊顔をよく見知っている者、貴族の中の誰かです…。王妃陛下と瓜二つの顔を持つオリヴィアを…貴族の中の誰かが欲しがっているのですよ…」
「…そういう事でしたか…!」
「手配書に細工ができる者など…国政の重職にある者以外には考えられません。その者がロットマイヤー伯爵邸襲撃事件も裏で糸を操っていると考えれば辻褄が合います。多分…あっ、いえ…私のような者が口に出して名指しすることなど畏れ多い…」
「憲兵隊長には無理ですね…法務尚書のエルガー侯爵、もしくは…宰相のガルディン公爵…。」
「…英明でございます。かの者は何やら良からぬ事を考えているように思われます…どうか王妃陛下、かの者に油断召されぬように…。」
「ガルディン公爵…義伯父上の醜聞はよく耳にします…これからなお一層、気をつけなくてはいけませんね…。ユーレンベルグ男爵、ご忠告痛み入ります。」
ユーレンベルグ男爵は王妃、ヴィオレッタと別れて、ひとり王宮三階の廊下を歩いていた。そして、ヴィオレッタが言った最後の言葉の意味を考えていた。
(…ティアークから逃亡できる状況が整うのを待つ…か。なんか回りくどい言い方だったな…。もしや、現状では自分は何もできないから…他の誰かが逃亡できる状況を整えてくれるのを待ってます…そういう意味か?)




