三百六十四章 謁見の間
三百六十四章 謁見の間
カーン、カーン、カーン…
午前八時の鐘が鳴った。
次の日の朝、国王ビヨルム=ティアークは朝議のために王宮の謁見の間に急いでいた。その後を追って、王妃エヴァンジェリン=ローレシアスたちも続いた。
謁見の間に到着すると、ビヨルム国王とエヴァンジェリン王妃は高台の上の玉座についた。そして…エヴァンジェリン王妃のそばにウィルヘルム皇太子を抱いた侍女フランチェスカと、清楚な真っ白のシルクのドレスを着たヴィオレッタが寄り添っていた。
その瞬間、謁見の間に集まった貴族の間に、悲喜交々(ひきこもごも)の緊張が走った。朝議が荒れることを参議たちは知っていた。
憂鬱な顔をしたビヨルム国王が歯切れの悪い言葉を発した。
「…は、始めよ。」
それを受けて、宰相のガルディン公爵が朝議の開催を宣言した。
「…これより朝議を始める。ゴホッ…まずは、人頭税引き上げの件について…」
粛々と朝議は続けられた。いくつかの国政に関わる案件が議論され、一時間ほどの朝議はつつがなく終わるかのように見えた。
「最後に…ジェローム侯爵より陳情がまいっております。ジェローム侯爵、前へ…。」
「はっ…!」
参議たちの末席に控えていたジェローム侯爵が国王の御前に歩でて片膝を折った。
「…国王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく…このジェローム、幸福の至りでございます…」
「…挨拶は良い。」
「はっ…実は私が所有いたしたる奴隷が逃亡を図りました。そして、その奴隷が…」
ビヨルム国王はジェローム侯爵の言葉を遮った。
「はぁ…分かっておる。朝から頭の痛い案件を持ち込みおって…。その件は王妃であるエヴァンジェリンに陳情せよ…。」
「それは、したりっ…!」
国王は右手を横に振って、そっぽを向いてしまった。
エヴァンジェリン王妃がちょっと右手を挙げて、発言した。
「ジェローム侯爵、あなたが所有している奴隷とは…ここにいるヴィオレッタの事ですね?」
王妃はそばで控えていたヴィオレッタを手で招いて、王妃の席に座する自分の前に据えた。
ジェロームはヴィオレッタの姿を初めて目の当たりにして…正気を失いかけた。
(う、う、う…美しい…!齢五十九にしてこの若さとこの姿…。銀色の髪とコバルトブルーの瞳…やっと、やっとまみえる事ができたっ‼︎…まさに、まさに、永遠の美少女…うひゃひゃひゃひゃ…)
それを見てとったガルディン公爵は助け舟を出した。
「そこのヴィオレッタなる奴隷は、昨日…ジェローム侯爵の馬車から逃亡し、王宮に逃げ込みました。どういう経緯で王妃陛下のもとにおるのかは存じませぬが…速やかに、所有者たるジェローム殿にお引き渡し願いたい。」
王妃は毅然として言った。
「…書類は揃っていますか?」
「はい、これに…。」
「…うむ、何とも手回しの良い事ですね。」
ガルディン公爵は王妃に数枚の証明書と売買契約書を差し出した。王妃は書類に目を通した。
「…ヴィオレッタの出身はリーン族長区連邦のバーグ族長区…赤子の時にラクスマン王国の捕虜となり、そのまま終身奴隷…なんと酷い事でしょう、何も知らぬ乳飲み児に対しても慈悲の欠片もないのですね…。」
ガルディンが言った。
「捕虜を終身奴隷にして、国家に貢献させる…ラクスマン王国におきましては、合法でございます。」
「…この売買履歴を見ると、ラクスマンからエステリック、そしてこのティアークに転売されたとありますが…この空白の一年は?」
「アザル盗賊団なる賊どもに拉致されまして…一年の間、ヴィオレッタは消息不明となりました。ごく最近、逃亡中のヴィオレッタを捕獲したのでございます。次の書面をご覧ください…正式な売買契約書で、ヴィオレッタがジェローム侯爵の所有物である事の証明となります。」
エヴァンジェリンはしばし考え込んで…言った。
「法務尚書殿…」
「は…はい、ここに…!」
「ラクスマンでは捕虜を終身奴隷にすることは合法…しかし、我がティアークにおいては終身奴隷は、債務奴隷から終身奴隷に身を落とした者しかいないはず…。この場合、ラクスマンの終身奴隷がエステリック、ティアークと転売されること…それ自体は合法なのですか?そして、ティアークにおいてその終身奴隷の身分は保全継続されますか?」
法務尚書はガルディン公爵をチラリと見て…言った。
「はぁっ…ラクスマンは我が国の同盟国であり、この場合はラクスマンの法律に準ずるものと考えます。これを違法といたしますと…ラクスマンと我が国間の貿易に多大な支障が出てくるかと…」
エヴァンジェリンは再び考え込んで…言った。
「分かりました。では…こう致しましょう。…フランチェスカ!」
フランチェスカが一枚の羊皮紙をジェローム侯爵に手渡した。正気を失いかけているジェロームは何だろう?…とただ、書面を眺めるだけだったので、代わりにガルディン公爵が書面を引ったくって内容を確認した。
「むむむっ…これはっ…!終身奴隷ヴィオレッタに関する新しい売買契約書っ⁉︎」
「その通りです。ジェローム侯爵殿…署名をお願いいたします。古い契約書ではヴィオレッタの転売価格は…金貨百枚でしたね?」
フランチェスカが重い皮袋を持ってきて、エヴァンジェリンに手渡した。そしてそれを…エヴァンジェリンはジェローム侯爵の前に放り投げた。
ガルディン公爵は声を荒げて…ビヨルム国王に訴えた。
「国王陛下…王妃と言えど、これは余りにも横暴ですぞっ!ジェローム侯爵殿の意志を蔑ろにしておりますぞっ‼︎」
すると、エヴァンジェリン王妃はニコッと笑って言った。
「私は王妃です…これくらいのわがままは許されましょう、ねぇ…我が君?」
エヴァンジェリン王妃の強権発動だった。ビヨルム国王は頭を抱えながら、渋々と言った。
「むうぅ…今朝、王妃にどうしてもこの奴隷が欲しいとせがまれてな…普段、王妃は何も欲しがらないので…たまには良いかなと思ったのだ。どうだろう、伯父上…ここは私の顔を立ててはくれぬか…私も板挟みで辛いのだ、私を楽にしてはくれまいか?」
「…。」
国王にそこまで言われては…是非もなかった。さすがにガルディン公爵といえども、国王を敵に回してまで…これ以上エヴァンジェリン王妃に楯突くことはできない。
が…それでも…ガルディン公爵はあまり持ち出したくはなかったが…切り札を出した。
「実はですな…そのヴィオレッタなる奴隷は、ロットマイヤー伯爵邸襲撃事件の首謀者…オリヴィアの関係者なのでございます。事情聴取をせねばなりません…是非とも、是非ともお引き渡し願いたく…。」
エヴァンジェリンはニコッと笑ってヴィオレッタに尋ねた。
「ヴィオレッタ…そうなのですか?」
「オリヴィアは確かに私の友人です。ですが、事件の三日前のあの日…筆写事務所で別れたのを最後に一度も会っておりません。」
「ふむふむ…では、ヴィオレッタはロットマイヤー伯爵邸襲撃事件に関与していますか?」
「いえ、私は関与しておりません…ロットマイヤー邸に行ったこともなければ、伯爵本人に会ったことすらありません。」
「…だそうですよ、ガルディン公爵。これで、事情聴取も終わりましたねぇ…おほほほ。」
結局、ジェローム侯爵はヴィオレッタの新しい売買契約書への署名を強いられ、正式かつ合法的に、ヴィオレッタはエヴァンジェリン王妃が所有する終身奴隷となった。奴隷反対の立場にあるエヴァンジェリン王妃にとっては、やむを得ない緊急避難的な措置であった。
夜、ガルディン公爵はジェローム侯爵を自分の別宅「色魔殿」に招待して、上等のワインを振る舞って慰めた。
下腹部に焼印を押された全裸の女奴隷が二人の給仕をして、空いたワイングラスにワインを注いだ。
「侯爵…まぁ、気を落とすな。」
「しかし…これは酷い!餌を目の前にしてお預けを食らった犬の気分ですぞ…うううっ‼︎」
「やりようはいくらでもある。そのうち、王妃もヴィオレッタに飽きて放り出すかもしれんし…突然、ヴィオレッタが神隠しに遭うかもしれん…。」
「神隠し…⁉︎」
「ふふふ…王宮の内だろうが外だろうが、何の前触れもなく証拠もなく…忽然とヴィオレッタが消える…これが神隠しですな。」
「そ…そんな事をして…王や王妃の怒りを招かないか…?」
「証拠がなければ良いのです。ジェローム殿も、ヴィオレッタを我が物にしたら…別宅から決して外に出さず、幽閉する事をお勧めします…それなら問題はありませんな。」
「むうぅ…」
「儂にお任せあれ。…どうぞ、今宵はこの屋敷に泊まっていかれるがよろしかろう。どれでも好きなのを寝所に連れて行ってください。」
その言葉を聞いて、ジェロームは椅子から立ち上がると部屋の中で立ちんぼをしている「人間燭台」を物色し始め…一番若い十六歳ぐらいの少女奴隷の手を引いて来客用の寝室に向かった。




