三百六十三章 エヴァンジェリン王妃
三百六十三章 エヴァンジェリン王妃
「そろそろ、執事長さんの部屋ですよ。」
差配のシェリルが後ろを振り向くと…そこにヴィオレッタはいなかった。
「あれ…えええっ⁉︎」
もし、王宮内でも私の捜索が始まっているとすれば、執事長クラスになると、そのことを知っているかもしれない…そう思ったヴィオレッタはシェリルから離れて王宮の中央区画を隠れながら徘徊していた。
中央区画は基本的に王族の居住区なので、夜ともなると他の貴族はいない。だが…
(あっ、誰か来る…!)
ヴィオレッタは進行方向に松明の光を見て、すぐに物陰に隠れた。幾人かの近衛兵が小走りにやって来て、何かを探す素振りをしていた。
「…いたか?」
「いない。しかし…小さな女の子がここまで入って来るだろうか…。」
それを物陰で聞いていたヴィオレッタは戦慄を覚えた。
(あああっ…お城の中にも手が回ってしまったぁ〜〜っ…!)
ヴィオレッタが逃げたのはお昼頃…城下町じゅうを探しても成果が出なかったので、ガルディン公爵は捜索範囲を王宮にまで広げたのだった。
ヴィオレッタは中央区画をあちこち走り回った。しかし、行く先々で近衛兵の巡回に出会し…追い立てられるように、三階に続く階段を登って行った。
(…まずいわ、上に行けば行くほど…逃げ場も狭まってしまう…!)
ヴィオレッタが三階の階段を登ると…そこには庭園があった。渡り廊下に囲まれたその庭園は床は切り揃えられた花崗岩が隙間なく並べられており、至る所に土を入れて樹木や草花が植えられていた。真ん中には大きな東屋と噴水があって、落下する噴水を受け止める大きな水盤の水面は月光を浴びてキラキラと光っていた。…いわゆる「空中庭園」である。
夜の八時頃だろうか…渡り廊下を二つの人影が歩いて来るのが見えた。
ひとりは金色の長髪を巻き上げて豪奢なドレスを着た上品そうな婦人だった。もうひとりは、ティーセットを乗せたお盆を持ってその婦人に付き従っていた。地味な色のワンピースとエプロン…多分、その婦人の侍女だろう。
「ああ、やはり今宵は満月でしたね…。なんて綺麗なお月様でしょう。」
「王妃様、まだ春先ですので、長く夜風に当たるのはよろしくありませんよ。」
「ふふふ、フランチェスカは心配性ねぇ。」
二人は渡り廊下から降りて、庭園の真ん中近くにある東屋に足を運んだ。
ヴィオレッタは思った。
(…綺麗なドレスね。きっと、位の高い貴族…王族かもしれない。)
二人は東屋の椅子に座って、満天の星とそれに負けないくらいに光を放つ月を眺めていた。その時、その婦人の顔が月に照らされてはっきりと見えた。
ヴィオレッタは思わず大声で叫んだ。
「あっ…!」
その声に気づいた婦人と侍女はヴィオレッタの方向を凝視した。
ヴィオレッタは物陰から飛び出していって…婦人の前に躍り出た。
「オリヴィアッ…私よ、私…ヴィオレッタよっ!覚えてる?…どうして、こんなところにいるの?」
すると、婦人…エヴァンジェリン=ローレシアスは目を丸くして驚いて、それから言った。
「おや…お月様の綺麗な夜には妖精が浮かれて出てくると言うけれど、本当に出て来ましたねぇ、おほほほ…。ご機嫌よう、妖精さん。」
侍女のフランチェスカが慌てた素振りで言った。
「お…王妃様、これは妖精ではありません…人間の少女ですよ。」
「あら、そうなの?…だって、耳が尖ってますよ?」
ヴィオレッタはオリヴィア?が何を言っているのか理解ができなかった。オリヴィアらしいと言えばオリヴィアらしいが…追われる身としては、呑気にはしていられない。
「オリヴィア…私は追われているの!…助けて欲しいのっ‼︎」
「ふふふふ…オリヴィアと呼ばれたのは二度目かしら、ねぇ、フランチェスカ?」
「…確か、ユーレンベルグ男爵とお会いした時でしょうか…?」
「私は、そんなにオリヴィアという方と似ているのかしら?」
それを聞いたヴィオレッタはさすがに気づいた。
「えっ…違うの?…オリヴィアじゃないの?」
侍女のフランチェスカが言った。
「お控えなさい。この方はエヴァンジェリン=ローレシアス王妃陛下ですよ。」
「えええっ…王妃…さま?」
エヴァンジェリンは言った。
「あなたは今…追われている、助けて欲しいと言いましたね。私に追われる理由を聞かせていただけないかしら?」
「えっと…それは…」
ヴィオレッタは王妃が敵なのか味方なのか判断がつかなかった。そこで…
「…悪い奴に追われています。捕まってしまうと…私は売り飛ばされてしまいます!」
「…売り飛ばされる⁉︎それは尋常ではありませんね…。」
売り飛ばされる…その言葉が奴隷解放派のエヴァンジェリンの胸に深く突き刺さった。
「私のそばにいらっしゃい…そうすれば、誰もあなたには手出しはできないでしょう。それで…その耳。あなたは人間、それとも妖精?」
エヴァンジェリンはヴィオレッタの耳が気になるようだ。
「私は…エルフという種族です。エルフの先祖は風の精霊シルフィとも言われていますので、もしかすると…妖精なのかもしれません…。」
エヴァンジェリンはコロコロと笑って侍女のフランチェスカに目配せをした。するとフランチェスカはエヴァンジェリンの耳元で何かを囁いた。
「ほおぉ…なるほど。エルフはみんな尖った耳をしているのですねぇ。ここティアークから北西にリーンというエルフの国があるそうです。ヴィオレッタ、あなたはそこからいらしたの?」
「は…はい。」
「人間とエルフは何が違うのかしら…耳だけかしら?」
すると再び、フランチェスカがエヴァンジェリンの耳元で囁いた。
「ほおぉ…人間よりもはるかに長生きする種族で、その上魔法が得意なのね?」
「は…はい。」
フランチェスカは才女だ。非常に博学で、この少し間伸びした王妃の侍女兼補佐役兼お目付役として職を賜っている。
「ヴィオレッタ、何か魔法を見せてはいただけないかしら?」
「わ…分かりました…。」
ヴィオレッタはここが分水嶺だと思った。ここで、この王妃エヴァンジェリンに気に入られるか、そうでないかで自分の運命が決定するのだと思った。
ヴィオレッタは風の精霊シルフィを纏って「水渡り」状態になると、サテンのワンピースの裾をちょっと摘んで小さくお辞儀をした。左足を真横にすっと伸ばすと一歩踏み込んで空高く跳躍し、くるくるくるくるとスピンして着地した。王妃エヴァンジェリンがパチパチと盛大に拍手した。
「この子、凄いわ…フランチェスカ、今の見ましたか⁉︎」
「まぁ…本当に…。」
ヴィオレッタは、プリエ…スシュー…プリエ…エシャペと繋いで後方に移動すると、ピョンと噴水の水盤の水の上に乗った。そして、そのまま沈むこともなく、つま先で水面の上を移動した。
「まぁっ…何という事でしょう!あの子…水の上を歩いているわ、ねぇ、フランチェスカ‼︎」
「これが魔法なのですねぇ…!」
そして最後に、ヴィオレッタはさらに跳躍して、瓶から水を吐き出している噴水の「水瓶の乙女」の頭の上に片足でちょこんと着地して、パッセを決めてぴたりと止まった。
パチパチパチパチ…!
王妃エヴァンジェリンはヴィオレッタの「妖精の踊り」に拍手を送って、たいそうご満悦の様子だった。
するとそこに、松明を持った近衛兵数人が駆けつけて来た。
「ここにいたぞっ!」
「捕まえろっ!」
近衛兵たちがヴィオレッタがいる噴水を取り囲んだ。
エヴァンジェリンの叱責の声が飛んだ。
「何事ですか、騒々しいっ!」
近衛兵たちは王妃の御前であることに気づいて、みんな片膝を突いた。
「これは…王妃様…!曲者でございます、これより捕縛いたします‼︎」
「曲者だと…曲者はどこにおるのだ?」
「は…そこの…噴水の上に…」
「その少女が曲者だと言うのか…その少女は私の顔見知りですよ。」
「えっ…しかし…銀髪で尖った耳の十歳ほどの少女…曲者の特徴と一致しておりますが…?」
「こんないたいけな少女が曲者のわけがないでしょう…お前たちは誰の命令で動いているのですか?」
「…ガルディン公爵様の命です…。」
ガルディンという名前を聞いて…エヴァンジェリンの顔が少し歪んだ。
「お前たちは近衛であろう。なぜ、公爵の命令に従う?我が夫、国王陛下の勅命は下っているのですか?」
「…確か、書状にて国王陛下の承認を得ていると…団長のパトリック殿が確認済みですが…。」
「おやおや…我が君は盲印を押しましたかぁ…我が君にも困ったものですねぇ…。それでは、私が新しい命を下します…すぐにこのバカバカしい捜索をおやめなさい。」
「しかし…」
「このヴィオレッタの身柄は私が預かります。苦情があれば私の元に…。私は逃げも隠れもいたしませんよ。」
「…はぁ。」
近衛兵たちは後ろ髪を引かれながらも、その場を去っていった。
その夜、侍女フランチェスカの反対を押し切って、王妃エヴァンジェリンとヴィオレッタは寝室を共にした。二人は王妃の寝室のソファに腰掛けて話をした。
「いいですか、ヴィオレッタ。ガルディン公爵は大変執念深い男です。どんな卑怯な手を使ってくるやもしれないので、片時も私のそばから離れてはいけません。」
「…分かりました。」
「ガルディン公爵が絡んでいるとなると、あなたは…もしや、貴族に買われた奴隷なのでは?」
「…。」
「ヴィオレッタ、私を信頼してください。私は奴隷制度には反対の立場をとっております。…もし良ければ、身の上を聞かせてもらえないかしら?決して、悪いようにはいたしませんよ?」
その言葉を聞いて気が緩んだのか、ヴィオレッタは自分の身の上をエヴァンジェリンに話して聞かせた。もちろん、リーンに辿り着く前までの「愛玩奴隷ヴィオレッタ」の身の上話を…。そして…悟った。シーグアが王宮に逃げ込めと言った真意がここにあることを。




