三百六十二章 しばしの別れ
三百六十二章 しばしの別れ
ヴィオレッタは考え方を少し変えた。辺りをぐるりと見渡して…高い塔を見つけた。そして…
(メグミちゃん、メグミちゃん…私の言う事を良く聞いてね。ここから先は私たちは一緒に進めないみたい。だから、メグミちゃんは私が戻って来るまで…あの高い塔の中で待っていてちょうだい。私の大切な物をメグミちゃんに預けるから、それをしっかり守ってちょうだいね。)
(ヴィオッタ…ヴィオッタ…メグミちゃん、寂しい…)
(必ず迎えに来るから…その時には「念話」を飛ばすよ。それまで大人しく待っててね。)
ひとりと一匹は塔の近くまで移動した。その塔は「鐘楼」だった。
メグミちゃんは「リール女史」と「神の祝福」が入った肩掛け鞄を糸でぐるぐる巻きにすると、それをお尻に吊ったまま鐘楼の壁をよじ登っていった。
ヴィオレッタは良い判断だと思った。もし、兵士と出会して捕まったら、持ち物は全て没収される。自分の命にも等しいリール女史とあの本だけは…絶対に守らないと!今の私だったら、リール女史がなくてもそれなりに魔法は行使できる!
メグミちゃんが鐘楼の壁をどんどん登っていって闇の中に消えたのを確認すると、ヴィオレッタはすぐに移動してさっきの小さな扉のところに戻ってきた。
ヴィオレッタは慎重にその扉の把手を握って動かしてみた。鍵は掛かっておらず、扉を開けてヴィオレッタは中に入った。扉の先は通路になっていて、人間二人が並んで通れるぐらいの幅しかなかった。やはり、使用人が使う通路だ。
いくつかの部屋があった。使用人たちの部屋かな?ヴィオレッタはひとつの扉に耳を押し当てて、中の人の気配を探り、人がいないのを確認すると音を立てないように扉を開けて中に入った。
そこにはひとり用の寝台と小さなテーブル、椅子があった。多分、使用人がここで寝泊まりしているのだ。
ヴィオレッタはちょっと物色して、水差しを見つけ、その中の水をゴクゴクと飲んだ。食べ物は…見当たらなかった。
使用人の部屋らしく、大きな家具のようなものはなかったので隠れようがなかった。
ヴィオレッタはその部屋を出ると、他のいくつかの部屋に入ってみた。だが、部屋はみな同じで身を隠す場所はなかった。
ヴィオレッタは通路をさらに進んでみた。凄く良い匂いがしてきた。
(…あっ、今は夕食どきなのか…もしかして、厨房が近いのかな…?)
ヴィオレッタは良い匂いに誘われるかのようにフラフラと通路を歩いて行った。そして、行き着いた先は…数え切れないほどの釜戸や石釜オーブン、至る所に吊り下げられた大小の鍋やお玉、大きな調理用のテーブルの上には何本もの包丁と仕掛かりの食材…まさしく厨房だった。
幸いなるかな、人はいなかった。なので…ヴィオレッタは籠に入っていた小麦粉のパンをひとつ掴むと、それにかぶり付いた。パンを齧りながら、ヴィオレッタはパンを喉に流し込むスープのような物を探した。火に掛かった大きな鍋の蓋を取ると、クツクツと煮えたコーンポタージュスープが入っていた。ヴィオレッタはすぐにお玉で掬ってフーフーしながら飲んだ。
「わっ…美味しいっ!」
ヴィオレッタはポタージュスープを一杯、もう一杯と飲んだ。鍋が火に掛かったままということは、すぐに誰かが戻って来るということなのだが…。
「あんた、誰だい?」
ヴィオレッタの後ろで声を掛けてきた者がいた。エプロンを付けて三角巾を被ったおばさんだった。すぐに続々と使用人らしきエプロンおばさんたちが集まって来た。おばさんたちは王宮の貴族…王族たちに夕食の配膳を済ませて戻って来たのである。
驚いたヴィオレッタはパンとスープでほっぺたを一杯にして答えた。
「ふぁはひは…はやひいほごへははひはへんっ!(私は…怪しい者ではありませんっ!)」
「どっから入って来たんだろう。どこの子供だろうね…見てごらんよ、手入れの行き届いた綺麗な銀色の髪…まさか、貴族様のご令嬢?…あれ?ヘンな耳してる…。」
ヴィオレッタは慌ててパンとスープを飲み込んで、おばさんが自分を少女だと思っているのを最大限に利用して…大嘘を捻り出した。
「わ…私はヴィヴィアンって言うの。外国から来たの、遠い遠い外国よ。私のお国では尖り耳が普通なの。このお城は迷路みたいだから、父上母上とはぐれてしまったの…。父上母上のところに連れてってくれる?」
「へえぇ、嬢ちゃんは外国の貴族様なのかい。どうしようかねぇ…差配のシェリルさんに任せるしかないねぇ…」
「…私はお腹がペコペコなの、背中とお腹がくっつきそうなの…。」
それを聞いたおばさんはヴィオレッタにポタージュスープとローストチキンを出してくれた。
(やったぁっ…大好きなチキンだ!)
「嬢ちゃん、食べながらちょっと待ってておいでね。」
そう言うと、おばさんは小走りでどこかへ行ってしまった。
これから長丁場になるかもしれない…そう思って、ヴィオレッタは必死でチキンとスープを口に詰め込んだ。
程なくして、おばさんは差配役のシェリルを連れてやって来た。差配役とは使用人を統括する役柄だ。
「お嬢さんは王宮のどちらからいらっしゃったの、東区画?…それとも中央区画かしら?」
ヴィオレッタはチキンを頬張りながら言った。
「私はこのお城は初めてだから、分からないの…。」
シェリルは困ったような顔をした。
「執事長さんのところに連れて行くしかないわねぇ…。」
シェリルはヴィオレッタが料理を食べ終わった頃合いを見て手招きした。それで、ヴィオレッタはシェリルの後を着いていった。その時、ヴィオレッタは籠の中からパンを両手に一個づつ掴んでいった。
それを見ていたエプロンおばさんたちは思った。
(…手癖の悪い子だねぇ。本当に貴族様のご令嬢なのかねぇ…?)
ヴィオレッタとシェリルは長い廊下を歩いていた。途中、数人の近衛兵とすれ違った。ヴィオレッタはドキッとしたが、近衛兵はヴィオレッタをチラッと見ただけで通り過ぎていった。
(ふふふ…シェリルさんと一緒に歩いているから、怪しまれないのね…。)
王宮は本当に迷路のようだった。十五分ぐらい、通路を右に行ったり左に行ったり階段を登ったりしてもまだ執事長のところに到着しないので、ヴィオレッタはちょっと探りを入れた。
「シェリルさん、ここはどの辺りですかぁ?」
「ここは王宮の東区画ですよ。もうすぐ中央区画に入ります。…はい、ここから中央区画になります。」
通路を抜けると、突然大広間が現れた。床は全て大理石で、数え切れないほどの豪奢なテーブルや椅子が並んでいた。
「ここは中央区画の二階で『サロン』と呼ばれる場所です。王宮を訪ねて来られた貴族たちの社交場のようなところですね。」
ここに来て、ようやく外を眺めることができる大きな窓を見ることができた。その窓も全て硝子張りだ。
ヴィオレッタは窓に駆け寄って王宮の外を見てみた。巨大な石造りの建物が重なり合っていて、王宮が想像以上に大きな建築物であることをヴィオレッタは悟った。南通用門を走っていた時は城壁しか見えなかったから…。左手の方にメグミちゃんが隠れているひと極高い塔…鐘楼が見えた。
「あれは鐘楼ですかぁ?」
「そうです…礼拝堂の鐘楼ですね。朝の八時、正午、夕方の四時に三回ずつ鐘が鳴って時間を教えてくれますよ。」
「へえぇ…。」
(鐘が鳴るのか…!メ…メグミちゃん、大丈夫かしらっ⁉︎)




