三百三十二章 マーメイド
三百三十二章 マーメイド
女王の許可を得て、ヴィオレッタたちはエスメリアにマーマンの棲家を案内してもらった。
洞窟の奥にはいくつか大きな窪みがあって、引き潮の時でも常に海水で満たされていた。
『見て見て、ここは卵の部屋よ。』
エスメリアが指差すので、ヴィオレッタは中を覗いてみた。窪みの中には20cmぐらいの白くて円筒形の卵がたくさん並んでいた。
『こっちは赤ちゃんの部屋よ。』
ヴィオレッタが顔を近づけてみると…数十匹の20cmぐらいの赤ちゃんマーマンが水面に一斉に顔を出して、パクパクと口を動かしていた。
『ご飯をもらえると思っているのよ。一日三回…お魚を細かく刻んで与えているの。』
ヴィオレッタがそっと人差し指を差し出してみると…噛み付かれた。赤ちゃんでも獰猛だった。
『マーマンの赤ちゃんはひと月ぐらいこの窪みの中で大きくなります。サイズごとに別の窪みに移動させて…50cmぐらいまで育ったら浅瀬に放します。三年ぐらいはこの洞窟の回りで暮らしますね。でも、これだけ手厚くお世話をしてあげても…子供のマーマンの生存率は半分ぐらいです…。』
子供のマーマンは小さくて泳ぎがまだ下手なので…鮫やシャチなどの、格好の餌になってしまうらしい。
そうしていると、子供のマーマンがヴィオレッタたちが乗ってきた小舟にわらわらとたかって揺らし…お土産の酒樽を海の中に振り落としてしまって、酒樽は底まで沈んでしまった。
「あらららら…。」
『あははは…問題ありませんよ。引き潮になったら引き上げましょう。』
ひと通りマーマンの棲家を見て回ったヴィオレッタたちは洞窟奥の脇にある細い通路へと案内された。その先には、エスメリアのプライベートルームがあった。プライベートルームといっても…そこは洞窟の小さな空間で、少し小高い場所にあるので海水はここまでは来ず、満ち潮でも浸水はしないらしい。
エスメリアが「ライト」を灯すと、部屋の真ん中に手作りの小さな釜戸があってその周りには古びた凸凹のフライパンやヤカンが散乱していた。その奥には壊れかけた寝台がひとつ…小汚い毛皮が一枚敷いてあるだけだった。もしかすると、海岸で拾った物を活用して生活しているのかも…。
『どうぞ、その寝台にでも腰掛けてください。何かおもてなしをしないといけないのだろうけど…何か…あ、噛み酒が少し残ってますので、それをお出ししましょう。』
それを聞いたヴィオレッタは…
『私はお酒は飲みません。私は六十五歳です。エヴェレットとエドナはお酒を飲みます。』
エスメリアは噛み酒の入った小汚いコップを二つ持ってきて、エヴェレットとエドナに渡した。二人はちょっと嫌そうな顔をして、ヴィオレッタをチラリと見た。
ヴィオレッタは人語で二人に言った。
「失礼にあたるので、我慢して飲んでください…。」
二人は仕方なく…噛み酒を少し口に含んだ。その瞬間…
「…ぶほあぁっ!…ぐはっ…ぐほっ…ひぃぃ…‼︎」
二人は同時にむせて…噛み酒を吐き出してしまった。ヴィオレッタは「うわっ!」っと思った。
「…うう、このお酒…生臭さとエグ味が酷くて…とてもとても…無理…ゴホッ!」
すぐにエスメリアが二人の様子に反応した。
『ど、どうしました⁉︎…お口に合いませんでしたか?』
ヴィオレッタは二人に代わって急いで弁明した。
『いえ、違います。エヴェレットとエドナは噛み酒は初めて飲みます。だからびっくりしました。』
『そうでしたか…私は毎晩、この噛み酒でマーメイドたちと晩酌をしてるので、体に支障はないと思うのですけど…。』
これを…毎晩…⁉︎エヴェレットは、エスメリアが人間の酒を凄く美味しいと言っていたことに改めて納得した。それにしても…慣れとは恐ろしい。
すると、エスメリアの部屋に一匹のマーメイドがやって来た。そのマーメイドはエスメリアに擦り寄ってきて仕切りに頬擦りをしていた。
『あらぁ、甘えん坊さんですねぇ…この子は一番私に懐いているマーメイドで、私が帰ってくると真っ先にやって来るんですよ。…ん…おや?…お酒の匂いがする…』
エスメリアははたと思いついて、自分の部屋を飛び出した。ヴィオレッタたちもそれに続いた。すると…海に沈んでいたはずの酒樽が浅瀬に引き上げられていて、樽の上部の板が割られていた。そして、マーメイドたちが集まって、樽のお酒を手で掬って飲んでいた。
マーメイドの女王がふらふらしながらヴィオレッタたちの元にやって来て、興奮気味に話し掛けてきた。
「キュルルルル〜〜ッ、キュポ、キュポ、キュポッ!キュッ、キュル…キュルキュルル、キュルル。キュッポ、キュル、キュッ…。キュルキュルキュルルル…キュッ、キュッ、キュルルン、キュルッ!…キュッポ、キュッポ、キュッポ。キュルッポ、キュキュキュ…キュルン、キュルン…キュン…‼︎」
「エスメリアさん…何て言ってる?」
『…感動しました…って言っています。この世にこんな美味しいお酒があるなんて…と、驚いています。人間のお酒をもっと欲しいそうです。…それで、是非人間と友好関係を結びたいと…。』
ヴィオレッタたちはお互いに顔を見合わせて…ヴィオレッタは人語でつぶやいた。
「マーメイドの女王…意外にちょろかったですねぇ…。」
約二時間の滞在の後、ヴィオレッタたちは小舟に乗ってマーマンの洞窟を後にした。最も潮が引いた時間帯で、洞窟全体が海中から出ていて…ヴィオレッタはこの洞窟が見た目よりも大きかったことに驚いた。
帰りも同じくマーマンたちに小舟を押してもらった。
小舟の上でエヴェレットとエスメリアは話をしていた。
『エスメリアさんは一年じゅう、あの洞窟で過ごされているのですか?』
『そうですねぇ…もう慣れました。でも、さすがに生魚は抵抗があるので、あの釜戸で煮たり焼いたりして食べております。』
『そうですか…私どもの方で、お酒だけじゃなく、定期的にパンやお肉も差し入れするように手配いたしましょう。…服はどうなさいますか、あの洞窟だと冬は寒いでしょう?』
『ありがとうございます。冬は…そうでもないですよ。洞窟は夏は涼しいし冬は暖かいです。それに…両親から教わった魔法もありますので…』
『…魔法?服の代わりになるような魔法があるのですか?』
『はい。外にいる時は風の精霊シルフィの魔法で…体を包む空気が対流しないように固定してもらうと暖かいですよ。海の中なら水の精霊ウンディーネの魔法で同じようにしてもらうと、水の冷たさは伝わってきませんね。』
『おお…そんなことができるのですね⁉︎』
エヴェレットはその事をすぐに、良かれと思って魔法研究に熱心なヴィオレッタに伝えた。ヴィオレッタは興奮して言った。
「エヴェレットさん、その魔法を是非教えてもらってください!」
「え…しかし、多分その魔法も神代語魔法でしょう…。本人も丸暗記の魔法を…私に覚えられるでしょうか?」
「丸暗記してくださいっ!」
「うっ…ご無体な…‼︎」




