三百十九章 ジャネットの献身 その1
三百十九章 ジャネットの献身 その1
キャシィは詳細を綴った書簡を自前の鳩の足につけて飛ばし、すぐにイェルマに出向いて黒亀大臣のチェルシーと話をして、お米500kgとイェルメイドの護衛十人の手配をした。
次の早朝にはイェルマの西城門から、イェルメイド十人に護られた十台の荷馬車を連ねた大輸送団が出発した。
今回の護衛団は中堅のレイラとヘレンを筆頭に剣士房から七人が選抜され、もう一人は連絡係の魔導士だった。
レイラたちは馬に騎乗し、ティアーク城下町までの往復約二週間の道程を先頭を剣士三人と魔導士、荷馬車の側面に剣士二人づつ、そして殿を剣士二人という布陣で出発した。
その頃、ティアーク城下町のユーレンベルグ男爵は鳩屋からキャシィの手紙を受け取って読んでいた。
(護衛をイェルメイドに任せてワインの輸送費を抑えるか…キャシィめ、考えたな…。私としては、ホーキンズとの付き合いがあるから冒険者ギルドに任せたいところだが…まぁ、今回はよかろう。「米」という穀物は初めて聞くな…ん?このレシピは何だ、雑炊?…よく分からんから、冒険者ギルドに丸投げするか…。)
ルカはまだ神官房に入院していて、妊娠中毒症の事後観察中だった。
ジャネットは毎日、ルカのお見舞いと称して神官房を日参していた。そして、ちょろっとルカを見舞うと、神官房でのほとんどの時間をマックスと話をしていた。
「ジャネットさん、イェルマ英雄大抒情詩の出だしを考えたんですが…ちょっと聞いてください、こんな感じです。…世界はまだ黎明の闇にあって、東より希望の太陽が来たる。それは一千年の時を超えて、闇深い西の世界に一条の光を投げかける事となった…どうでしょうか?」
「うわぁ〜〜…かっこいいすねっ!…でも、イェルマってまだ建国して八百年余りっすよ…?」
「四捨五入ですよ、四捨五入っ!こういう英雄詩っていうのは多少大袈裟でも許されるんですよ。」
「へえぇ〜〜…そうなんだ⁉︎…納得っす!」
「それで…イェルマの詳細な歴史は調べていただけました?」
「はぁ…私は七歳から十歳まで、学舎でイェルマの歴史ってのを勉強したっすが、あんまり出来の良い子供じゃなかったんで…そうすねぇ、イェルマを建国したのは…砂漠の民の英雄イェルマとその娘たちで、それからあと二人…東の国の人が関わっていたって話っす…。」
「ほうほう!…名前は?」
「そ…それがぁ…思い出せないのでぇ…これから調べる…っす。」
「よろしくお願いします!」
二人が仲良く話をしている横で、アナは八人の神官見習いの少女に神学の講義をしていた。ここは神官房の講堂だった。
アナは時折チラチラと二人の様子を見ていて、講義に集中することができなかった。それでとうとう…
「マックスさん、ジャネットさん、どうぞ厨房の方へ!」
「あっ、講義の邪魔をしちゃいましたね、あははははっ!」
次の日、ジャネットは槍手房の友人に非番を変わってもらった。丸一日を費やしてイェルの歴史について調べるつもりだ。
ジャネットはまず、食堂で朝食を摂りながら槍手房の仲間たちに尋ねて回った。
「ねぇねぇ、イェルマの歴史って…小さい時に学舎で習ったじゃん、覚えてる?」
「…歴史ぃ⁉︎覚えてる訳ないじゃんか。」
「十数年前のことなんか…もう忘れた。」
「誰に聞いたら分かるっすかねぇ?」
「…カレン房主なら知ってそうだけど。」
「わっ…房主かぁ、聞きにくいなぁ…。」
「あれじゃない、魔導士房の連中なら知ってるんじゃない?あいつら頭が良いからな。…何でイェルマの歴史なんか知りたいんだよ⁉︎」
なるほど、魔導士か…!ジャネットは朝食のお粥を口に書き込むと、仲間の質問にも答えずに食堂を飛び出した。
魔導士…マーゴットの念話ネットワークでイェルマの至る所に配置されているはずなのだが、いざ探すとなるとこれがなかなか見つからない。仕方なくジャネットは北の一段目の練兵部管理事務所に赴いた。管理事務所なら、事務処理の手伝いで魔道士が常駐しているはずだ。
「こんちゃ〜〜っす。」
「はい、ご用件を伺います。」
女が出てきた。駆け込み女だろう。
「ここに魔道士はいませんか?」
「えっ⁉︎魔道士って…どういうことでしょうか?」
すると、事務所の奥からローブの女がやって来た。
「何か問題でもあった?」
「おっ、あんた魔道士っすね?」
「…そうですけど?」
ジャネットは魔道士に向かって一生懸命手招きして、魔道士がカウンターの外に出てくると…無理やり肩を組んで事務所の外に連れ出した。そして、魔道士の手に銅貨十枚を握らせた。
「イェルマの歴史について教えて欲しいんすけど。」
「歴史…何でまた⁉︎」
「詩を作るっす…。」
「…どういうことか、さっぱり分からないわ。」
「それは、どうでも良いから…お願いだから!」
「あのね、まずね…ここで教えたとして、あなた覚えられるの?羊皮紙かなんか…書き留める物は持ってきてる?」
「うっ…。」
魔道士はちょっと笑った。そして…
「魔道士の修練棟に行ってみなさいよ。三階に書庫があるから…歴史の本ならいっぱい置いてあるわよ。」
「本か…そういう物があるんすね。ありがとっ、行ってみるっす!」
「あっ…ちょ…!」
ジャネットは抱え込んだ難題が解消すると思ってか、魔道士の言葉を最後まで聞かずに魔道士房がある北の四段目目指して走り出した。
魔道士房に到着すると、魔道修練棟を見つけて入って行った。すると…
「ちょっと、あなた…あなたですよ!」
「え、私っすか?」
ひとりの魔道士に呼び止められた。
「修練棟は、魔道士以外は立ち入り禁止ですよ!」
「えええっ…私はちょっと三階の書庫の本が読みたいだけなんすけど…。」
「なおさらです!書庫には貴重な文献や記録も保管されています。それを勝手に持ち出されたり、破損されたりしたら重大事です‼︎」
「ど、ど、ど…どうしたら…?」
「…あなたはどちらの房の方か知りませんが、房主の口添えか、人柄を保証する旨の書状を書いてもらって来てください。」
「ぐわっ…面倒臭っ…!」
ジャネットは追い返されて、しょぼくれて北の四段目の階段を下っていった。だが、マックスを喜ばせたいという気持ちが…次第に情熱となり、パトスとなってジャネットに一点突破の覚悟をさせた。
北の一段目の槍手房の房主堂。
ジャネットは房主堂の床に平伏していて、その前には槍手房の房主カレンがいた。
「何…勉学がしたいだと?」
「は…はい、私は勉学に目覚めましたっ!つきましては…魔道士房の修練棟の書庫への出入りができるようにしてくださいっ‼︎」
「…書庫。書庫ということは、何か読みたい本があるのか?」
「はい…歴史に目覚めまして…イェルマの歴史の本が読みたいっす…ですっ!」
「突然、どうしたというのだ?」
「い…いえ、イェルメイドとして…自国の歴史を知らないというのは恥ではなかろうかと思い至りまして…。」
「そのために学舎でイェルマの歴史を学ばせているんだが…?」
「…忘れてしまいました。すっかり忘れてしまいました…。それで、もう一度勉強し直したいと…!」
「うむ…まぁ、その意気は良し…とするか…。」
ジャネットは何とかカレン房主から一筆書いてもらって、魔道士房の修練棟にとって返した。
「はい…確かに。それでは私の後に着いて来てください。ジャネットさんが書庫から退出するまで、私が着いて回ります。」
ジャネットと監視役の魔道士は魔道棟の三階へと登っていった。
魔道棟の三階はフロア全体に本棚が置かれてあり、ちょっとした図書館のようだった。置かれてあるいくつかのテーブルではローブを着た女が座っていて十数冊の本を横に調べ物をする者、本の内容を必死に羊皮紙に書き写している者などいた。
ジャネットは歴史関係の本が並べられている本棚に案内された。
「ここにイェルマや同盟国の歴史に関する本が置いてあります。お好きな本をお持ちになって、テーブルでご覧ください。」
ジャネットはかばんから羊皮紙を取り出して言った。
「…書き写しても…良いんすよね?」
「この区画の本であれば問題ありませんよ。別室の重要資料に指定されているものだと許可が必要ですが…。」
ジャネットは本棚の右端からずっと指でなぞりながら本の表題を見ていった。「精説イェルマ建国史」という分厚くて古そうな本を見つけて手に取った。
「…時に太宋皇帝歴28年、エステリック統一歴前241年、大陸西方に於いて第二次人魔戦争勃発。同じくして太宋の首都開景にて馬鈴誕生す。馬鈴、字は美々、豪商の馬家の次女として生まれ…」
(…パスっすね。)
その本を本棚に戻すと、再び次々と本の表題を辿っていった。すると、「ゴブでも分かるイェルマの歴史の本」という表題の本を見つけた。その本は手頃な薄さで文字が大きく、ジャネットには非常に好ましく思えた。
「…城塞都市イェルマを作った人は主に六人います。マリンはお金持ちの女商人です。ジョアンは女山賊です。そしてイェルマは砂漠の民の女族長で娘が三人いました。みんな、女たちが不当な扱いを受けていることにとても怒っていました…」
(…これだっ!)
ジャネットはその本を持って、テーブルへと移動した。監視役の魔道士が言った。
「その本は学舎で使用する教材ですが…?」
「これでいいっす…これがいいっす!」
ジャネットは一心不乱に本の内容を羊皮紙に書き写していった。




