三百十八章 ルルブの出産
三百十八章 ルルブの出産
その日の朝、斥候のレンド、ガレル、そしてシーラを抱いたピックが家の外にいた。シーラはまだ眠そうで、叔父のピックの腕の中でうとうととしていた。
その時、家の中で赤子の声…産声が聞こえた。
ウ…ギャァ…オギャアァ〜〜ッ…!
しばらくして、ナンシーが戸を開けて出てきた。
「生まれたよ、元気な男の子だよっ!」
三人が中に入ると、ダイニングにはエヴェレットがいて、産湯に使った桶と血のついたリネンの布を片付けていた。さらに寝室に入ると、ルルブが産着にくるまれた赤子を横に…笑顔でみんなを迎えた。
エヴェレットはセレスティシアの指示で、何かあった時のためにルルブの出産に付き添っていた。ルルブはダークエルフのハーフであったが、精霊が見えない側だったので闇の精霊を常駐していない。
エヴェレットが言った。
「初産ではありましたけど、安産でしたよ…私のすることは何もありませんでした…。」
「…エヴェレット様、ありがとうございました。」
ピックが言った。
「姉さん、おめでとう。無事に生まれて良かったな。…ダスティンがいればなお良かったのになぁ…。」
「…仕事だから仕方ないよ。」
ルルブの夫のダスティンは現在エステリック城下町にいて、ヴィオレッタの命で諜報活動をしている。
ピックは腕の中のシーラの頭を突ついて起こした。
「おい、シーラ。産まれたぞ。」
目を覚ましたシーラはカッと目を見開いて言った。
「はっ…女の子だったぁ?」
「…男の子だった。」
「…えええ、女の子が良かったのにぃ〜〜…!」
ピックがシーラを下ろすと、シーラはすぐにルルブのそばに行って生まれたばかりの赤ちゃんを見た。赤ちゃんはしわしわで、目を閉じて口をむにゃむにゃとさせていた。シーラは…可愛くないなと思った。
「ルルブ、赤ちゃんに初乳を飲ませておやりよ。」
ナンシーの言葉に、レンド、ガレル、ピックは気を利かせて寝室を出た。
ルルブは上体を起こして赤子を抱き上げると、乳を出して赤子の口に含ませた。すると、赤子はまだ見えない目をカッと開いて凄い勢いで乳を吸った。
その様子が面白かったのか…シーラは笑った。
「あはははは、赤ちゃん、お腹が空いていたんだねぇ!」
乳を飲んでいる赤子のもみじのような手を、シーラは恐る恐る触ってみた…すると、赤子はシーラの指を握り返してきた。「反射」ではあるけれど…シーラはこの赤子を愛おしく思って、自分の「弟分」であることを許した。
「おい…あたチがチーラだ。あんたの面倒はあたチが見てやるからなっ、ちゃんと言うこと聞きなチャいよ!」
エヴェレットの「念話」を受けて、ヴィオレッタはすぐにグラントを連れ、荷車に血抜きした仔ブタ一頭、小麦粉三袋、地酒一甕を乗せて出産祝いに出向いた。
途中でクロエの家に寄り、シーラと大の仲良しのクロエを拾ってセコイアの懐の村外れの家に向かった。
クロエはシーラの家に到着すると、すぐに家の中に飛び込んだ。
「赤ちゃん、どこ、どこ、どこ⁉︎」
「クロエェ〜〜、こっちこっち!」
クロエとシーラは乳を飲み終えてルルブの腕の中で眠っている赤子を満面の笑みで見つめていて、しきりに人差し指で赤子の頬を突っついた。
ヴィオレッタが家に入ると、レンド、ガレル、ピック、ナンシーが片膝を折って挨拶をしたので、セレスティシアは恐縮して言った。
「お祝いに来たので、お気を遣わずに…。男の子が産まれたそうですね、おめでとうございいます。外にブタと小麦粉とお酒を持って来たので、みなさんで食べてください…」
ヴィオレッタがそう言うと、シーラは大喜びしてブタを見に外に出て行った。
「…それと、少ないですが、これはご祝儀です。」
ヴィオレッタはナンシーの手のひらに金貨を一枚握らせた。
「まぁ、こんなに…ありがとうございます、セレスティシア様!」
ヴィオレッタは寝室に入って行って、ルルブと赤子の様子を窺った。
ルルブが寝台の上で正座をしようとしたので、ヴィオレッタはそれを制止した。
「あっ…ルルブさん、そのまま、そのまま!それよりも、赤ちゃんを見せてくださいよ。」
ルルブが胸に抱いている赤子を差し出して見せてくれた。
ヴィオレッタは赤子というものを初めて見た。
「しわしわですねぇ…。あっ、丸耳ですねぇ。」
「じきに肌に張りが出てきて、ぽっちゃっとしますよ。」
「…そうなんですか。」
赤ちゃんってなんて小さいんだとヴィオレッタは思った。自分も六十五年前はこんなに小さくて、母レヴリウシアに抱かれていたのだ。しかし…今いちピンと来るものがなかった。ヴィオレッタはエルフで、まだ六十五歳の少女だから?それとも、あまり繁殖を行わないエルフの性のせい?
すると、ルルブがかしこまって言った。
「セレスティシア様…この子の名付け親になっていただけませんか?」
「…えっ⁉︎…私が?でも、ルルブさんは二百四十五歳で、私は六十五歳ですよ…若輩の私が大切なお子さんに名前をつけても良いものかしら…?普通であれば、一族の家長が命名するものでは?」
「セレスティシア様はリーンの族長ではありませんか?私たちは今やリーンの民で、その上セレスティシア様は私たちの主人でもあります…何もおかしなことではないと思います。」
ヴィオレッタは迷ってエヴェレットの方をチラリと見た。エヴェレットは微笑んで頷いていた。
夕方、シーラの家では仔ブタの丸焼きが食卓に上った。ヴィオレッタとエヴェレットも是非にと請われてご相伴に預かった。グラントはと言うと…部屋の隅っこで持ってきた地酒をあおっていた。
クロエもいて、シーラと一緒に切り分けられた仔ブタの肉を美味しそうに食べていた。
「ニワトリさんも美味しいけど、ブタさんも美味しいねぇっ!」
「うんうん、今度チーラんちでもブタさんを飼っていっぱいにするぅ〜〜っ!」
父親のガレルが仔ブタのもも辺りを切ってごっそり持っていくと、シーラははっとして、その肉の行方と肉の残りを目で確認した。
「セレスティシア様もどうぞ、遠慮せずにもっと食べてください。」
母親のナンシーがヴィオレッタにブタ肉を切り分けると…シーラがジロッと睨んできた。…怖い。
気を取り直してヴィオレッタは言った。
「これでまた、家族が十一人になりましたね。きっと、ホイットニーさんも天国で喜んでくれてますね…。」
「こうして、子供を産み育てる場所を与えていただき、感謝しております。やっぱり…女としては、食べるに事欠かず雨風が凌げる安全な家があることが一番ありがたいです。私はエビータやルルブと違って、普通の弱い人間ですから…特にそう思いますよ。」
ナンシーはダークエルフではない。エビータやルルブのように数百年を生きて斥候職を極めているわけではなく、むしろ…齢五十を過ぎて人間としても斜陽を迎えている。少し弱気になっているとしてもそれは仕方がない。
日が落ち辺りが暗くなったので、ヴィオレッタとエヴェレットはクロエを連れて早々に祝宴からおいとました。
ヴィオレッタはクロエの手を引いて、満天の星空を見ながら歩いた。色んな事を考えた。
(私も千歳ぐらいになったら、恋をするのだろうか…そして、子供が欲しいと思うのだろうか?クロエの手は暖かい。クロエもシーラも、そして赤ちゃんも可愛いと思う。だけど…まだ自分で産みたいとは思わない。まだ女として未成熟ということかしら…。)
エヴェレットが声をかけてきた。
「セレスティシア様、宿題ができてしまいましたねぇ…。あの赤ちゃんにはどんなお名前を付けてあげるのですか?」
「う…そうでした。忘れていました…。どうしましょうかねぇ、どんな名前が良いでしょうかねぇ…」
その時、クロエが叫んだ。
「あっ、流れ星ぃ〜〜っ!」
ヴィオレッタとエヴェレットは星空を見上げた。星の天球を弧を描いて一筋の流れ星が横断していった。
(満天の星空、星降る夜…漆黒の暗闇にあっても、星は決して消えることはなく…旅人の道標になり、この世の運命を占星術師に告げる…。闇の中にあっても燦然と輝く星々…あの赤ちゃんもダークエルフの中にあって一族を導く希望の星になったらいいな…そうだ…!)
「決めました…」
「…決まりましたか?」
「あの赤ちゃんの名前は…スタリーです!」




