三百十五章 小さい恋見つけた
三百十五章 小さい恋見つけた
その日、ルカは非常に体調が悪かった。妊娠して四ヶ月、もう安定期に入っているはずなので…風邪をひき込んだのかもしれない。
朝、なかなか起きてこないルカを心配してベレッタがルカの師範室を訪ねた。
「おぉ〜〜い、どうした?」
「ううん…なんか、調子が悪くてな…。」
「悪阻か?」
「いや…違うと思う。」
「お前なぁ…少しは運動した方が良いんだぞ。流産を怖がって、ろくに動かないじゃないか。そんなんだから、春先だってのに風邪をもらっちまうんだ。」
ルカは黙っていた。
「神官房に行って来いよ。アナに診てもらえ。」
「そ…そうだな。何かあると大変だからな…。」
ベレッタは房主堂の外に向かって大声で叫んだ。
「おぉ〜〜い、誰かいるか?」
「おぃっすぅ〜〜。」
返事をしたのはジャネットだった。
「ルカが神官房に行く、着いて行ってやれ。」
「おぃっす!」
ルカは朝食も摂らずに、ジャネットと一緒に神官房に向かった。二人が神官房を訪れると、なんと神官房の房主堂は空っぽで誰もいなかった。
「あれ、誰もいないな…みんな食堂かな?」
ルカが訝しんでると…神官房の二階で大きな音がした。誰かが荒々しくドアを開けて閉めた音だ。
ガシャッ…バンッ…ドタドタドタ…
二階からひとりの若者がローブの裾を捲って階段を急いで降りてきた。マックスである。マックスはルカとジャネットに気がついた。
「あっ、患者さん?ちょっと待っててね、みんな今、廟で朝のお務めしてるから!」
マックスは全速力で廟の方に走って行った。どうも、マックスは寝坊して遅刻したようだ。
「えええっ…アナたちが入城した時に男もひとり入って来たって噂があったが、こんなところにいたのかぁ。驚きだな、なぁ…ジャネット。」
ジャネットはうわの空だった。心なしか…ジャネットの頬は紅潮していた。
「おい、ジャネット?」
「あ…ああっ、今のは…男だったっすよね…?名前は何て言うんでしょうね…?」
すると…袖を捲ったアナがひとりでやって来た。
「ルカ師範でしたか〜〜、申し訳ありませんでした。朝の祈りの後、廟のお掃除をしてたもので…。お加減はどうですか、お腹の赤ちゃんは順調ですか?」
「…お陰様で。それで、ちょっと風邪をひいたみたいなんだ、良い薬はないかな?」
「ちょっと待っててくださいね、クラウディアさんを呼んできますね。」
アナは外科治療は得意だが、内科治療は薬師のクラウディアの分野である。
クラウディアがやって来てルカを診察した。結果は…
「風邪だとは思うんだけど…手足のむくみが僅かにある。妊娠中毒症の疑いがあるから…しばらく入院してちょうだい。」
「えええ…!」
ルカは即入院となって、奥の病棟に移された。
しばらくして、廟を掃除していた神官見習いの少女たちが神官房に戻ってきた。見習いたちはすぐに厨房に入って朝食の用意を始めた。
アナはぼぉ〜〜っと立っているジャネットに話し掛けた。
「ええと、ジャネットさんでしたっけ。朝食はもうお済みですか、一緒にいかがですか?」
「あ…どうしようかな…。」
すると、遅れてマックスがやって来た。
「腹減ったぁ〜〜…朝食はまだですかね?」
それを聞いたジャネットは…
「いただくっす!…私も朝食をご一緒するっす‼︎」
みんなは厨房でテーブルを囲んで、パンとトウモロコシのスープを食した。
ジャネットはパンをかじりながら…時折、チラッチラッとマックスを見ていた。
アナがジャネットに言った。
「ジャネットさん…」
「は、は、はいっ!何でしょうかっ⁉︎」
「実はですねぇ…マックスさんが神官房にいることは…他言無用にしていただけませんか?」
(…マックス!この人はマックスという名前なんすね…‼︎)
「マックスさんは特例中の特例でイェルマにいます…神官房の外には決して出ません。もし、マックスさんの存在が広く知られるようになったら…色々と問題が起こりそうで…。」
「そ…そうっすね、問題っすね。分かりました、絶対に他言はしないっす!」
マックスがニコッと笑った。
「ありがとうございます、ジャネットさん。」
マックスと目が合って…ジャネットの顔は真っ赤になった。
ジャネットは物凄い速度で思いを巡らせた。
(マックスさんはサムさんよりは背は低いけど、横にがっしりしてるっすね。サムさんはダフネに取られちゃったけど…。ハインツさんと背は同じぐらいかな?見てくれはハインツさんの方が断然良いけど、マックスさんは何か暖かい感じがするっす。ハインツさんはキャシィに取られちゃったけど…。マックスさんの存在を秘密にしてるってことは…マックスさんはまだ誰にもツバを付けられてないってことだよな…⁉︎)
ジャネットは意を決して…声を絞り出した。
「マ…マックスさんは…ご趣味は?」
ベタな質問をしてしまった。
「あははは、よくぞ聞いてくれました!僕は吟遊詩人なんですよ。今ね、このイェルマを題材にして…イェルマの大叙情詩を構想してるんですよ‼︎」
「それは…凄いっすね…。」
マックスはイェルマに来てからこの方、アナの要請でセコイア教の経典をずっと写し取っていた。その仕事が終わってしまって暇を持て余し、本来の吟遊詩人としての本分を全うすべく、夜遅くまでこの構想を練っていた。
「だけどねぇ…これがなかなか進まなくてねぇ…」
「…どうして…ですか…ね?」
「イェルマの歴史に詳しい人がいなくてねぇ…見ての通り、神官房にいる人たちはイェルマにしてみればみんな新参者なんですよ。クラウディアさんはイェルマは長いらしいですけど、元は生産部の人でしょ?…僕が詩にしたいのは練兵部の英雄の歴史…大英雄叙情詩なんですよ。…どこかに協力してくれる人がいないかなぁ…」
「…っす!」
「…え?」
「…協力するっす‼︎」
ジャネットはこの機を逃すまいと即答した。
「ジャネットさんが…本当ですか⁉︎」
「出来ることなら何なりとっ!是非、やらせて欲しいっす‼︎」
「うははは、ありがとうございますぅ〜〜っ!こんなところに英雄詩に理解がある人がいたなんて、嬉しいなぁ〜〜っ‼︎」
朝食のテーブルで、マックスとジャネットだけが勝手に盛り上がって、アナたち他の仲間を置いてけぼりにしていた。アナは二人を注視した。
(マックスさんはいつもこんな調子だけど…ジェネットさんは秋波を出してるわね。問題が起きなきゃ良いけど…。)
色恋沙汰にはとても敏感なアナだった。




