二百八十七章 春を告げる妖精
二百八十七章 春を告げる妖精
あと数日もすれば四月になる。みんなが待ち侘びた春はもうすぐそこまで来ていた。
房主堂の師範室で目を覚ましたセシルは春の陽気に誘われて…うずうずしていた。
セシルが師範室を出ようとすると、戸口のそばにいた師範のコーネリアが声をかけてきた。
「セシル、どこへ行くのです?」
「用を足して、その後朝食を食べに行こうかなと…」
「食堂はダメですよ。時間になったら、ルイーズが朝食を持ってきます。師範室で待っていなさい。」
「うぅ〜〜ん…そうですか…何と言いますか、最近ずっと師範室に籠りっきりで…魔法の訓練も制限されてるし…」
「それは仕方がないでしょう…セイラムを見てご覧なさいな…」
セシルにピッタリくっついて、横には…ロングヘアーの金髪を伸ばし身長もセシルの腰のあたりまで伸びたセイラムがいた。
セシルとセイラムがエルフの村から帰還してひと月以上が経ち、セシルから養分?を吸収し続けたセイラムは…今では、誰の目にもはっきり見えるようになっていた。顔の目鼻立ちもくっきりして、お目々ぱっちりの美人さんに成長し、体重も1kg近くになっていた。
「どこに誰の目があるか分からないのに、こんなに目立つようになったセイラムを連れて歩いてみなさい…あっという間にセイラムの噂が広がってしまいます。」
すると、セイラムがしっかりした言葉で喋った。
「お外行きたい、お外行きたい、お外行きたぁ〜〜い。」
「むむ…仕方ないですねぇ…。」
コーネリアはセシルたちが修練棟へ行くことは許可した。セシルのわがままであれば許可しないのだが…セイラムに関してはその要求を最大限に叶えるようにと、マーゴット房主から厳命されていた。それはセイラムの予知を引き出すためだ。セイラムの予知能力は機嫌が良い時に発動するのである…セイラムの機嫌を損ねてはならない。
副師範のルイーズが食堂から朝食を持ってくると、セシルとセイラムは師範室で食べた。
「今朝はウシガエルのお肉が入ったお粥だねぇ、いただきましょうか。」
ひとつのお椀に二本のスプーン…この頃になると、セイラムはスプーンを使って食べ物を口に運ぶようになっていた。
朝食が終わると、セシルとセイラムは手を繋いで修練棟へと向かった。久しぶりに歩く外は、空気が暖かで見慣れた雪はどこかに消えてしまっていて、セシルもセイラムも良い気分だった。
「あっ、あれ、セイラムだわ!」
「ホントだ…人間っぽくなっちゃって…あらぁ〜〜、美人さんになったわねぇ!」
あっという間に修練棟で人垣ができてしまい、セシルは不平を言った。
「美人さん美人さんって…セイラムちゃんは猫じゃないんだからぁ〜〜!みんな、邪魔、ジャマ‼︎」
セシルはいつも通り、「瞑想」を始めた。その横でセシルの真似をして、セイラムも坐禅を組んだ。セイラムもセシルの顔色をつぶさに観察するようになって…セシルの感情が分かるようなり、必要以上にセシルの魔力を吸収することを控えるようになっていた。
「おお…今日は調子が良いわ!」
その勢いでセシルとセイラムは実験場に移動した。「実験場」は強力な魔法の練習をするために作られた場所である。
実験場には他の魔道士たちはおらず、セシルとセイラムだけだった。
「一番乗りね、何を試そうかしら…セイラムちゃん、何が良いと思う?」
「アースクエイクやってぇ〜〜。」
「分かった、でっかいのをお見舞いしてやるわ!」
セシルが呪文を唱え始めると…セイラムがセシルのローブの裾を握った。
「美徳と祝福の神ベネトネリスの名において命じる…地の精霊ノームよ、地の底の支配者よ、隊列を組んでその強靭たる足で大地を踏み鳴らし、その轟音をもって敵陣地の岩山を崩し、砦の壁を覆せ…砕け!アースクエイク‼︎」
ドゴォォォ〜〜ン‼︎
実験場は大きく縦揺れして、地面には数本の亀裂が走り幾つもの石畳が宙を舞った。そして、実験場を取り囲む耐火煉瓦の壁にもひびが入って…壁の一部が瓦解した。
「…げげっ‼︎」
セイラムはパチパチと手を叩いた。
「凄ぉ〜〜い、凄ぉ〜〜い!」
セシルは一瞬茫然として…
「…セイラムちゃん、逃げましょう。」
セシルとセイラムはコソコソと…実験場を後にした。
実験場から修練棟へと逃げ戻ったセシルとセイラムは、途中で魔道士の一団と出くわした。
「あらぁ〜〜、この子、セイラムね?ちょっと見ないうちに大きくなったわね。それに…美人さんだ!」
「猫じゃないってばぁ〜〜。で…みんな、どこ行くの?」
「食堂よ、私たち朝食を食べそびれちゃってねぇ…。セシルも来る?」
「行く行くぅ〜〜!」
口うるさいマーゴットやコーネリアの命令も忘れて、セシルは魔道士の仲間と共に食堂に行った。
セシルはその日二度目の朝食を食べた。午前十時頃だったので、食堂を利用するイェルメイドは少なく、みんなはセイラムを囲むようにしてワイワイと騒いでいた。
するとそこに、女児を連れたイェルメイドが食堂のカウンターに現れた。女児は五歳ぐらいで、母親であるイェルメイドの腰のあたりに抱きついたまま一緒に移動していた。
セシルが言った。
「あ、あれは?」
「多分、剣士房の人よ。剣士房の人が子供を産んだって聞いたことあるわ。子供って可愛いよね。」
練兵部のイェルメイドが女児を産むとその保護責任者となり、女児が七歳になって「学舎」で集団生活をするまで訓練や賦役が全て免除となる。このイェルメイドも、時間に融通が利くので食堂のすいた時間を狙って食事に来たのだろう。
セイラムは初めて自分と同じ背丈の人間を見て興奮した。セイラムは物凄い速度で女児の目の前まで移動すると、女児の顔をまじまじと凝視した。
母親が言った。
「あら、どこの子かしら…?あれは…魔道士の集団ね。魔道士房で子供が産まれたなんて噂…聞いたことないんだけど…。」
女児はセイラムにちょっと驚いて、母親にしがみついて後ろに隠れ、ちょこっと顔だけを覗かせた。
セイラムは口から舌を出した。舌の上には金貨と銀貨が載っていて…女児は目と口を丸くしてびっくりした顔をしたが…ニコッと笑った。
「面白い子ね…おや?疲れているのかしら…」
一瞬…セイラムの体が透けて見えたので、母親は自分の両目を擦った。
すると、女児が…
「ママァ〜〜、抱っこ!」
母親は女児を抱き上げた。
セシルは朝食を中止して、慌ててセイラムのところに駆けつけた。
「すみません…!」
「いえいえ、いいのよ。…あなたの子供?」
「えっと…そう言う訳じゃないんですけどぉ…」
セイラムが喋った。
「セシル…ママァ〜〜。セイラムも抱っこ!」
「…うおぉ〜〜い!ママって…⁉︎」
「…養母なのね。その若さで立派ですね。」
時として、親のない乳飲み子をイェルマで引き取ることがある。その場合、誰かが保護責任者…養母になってその子を七歳まで育てることになる。
セシルはセイラムを抱っこして、母親のイェルメイドに向かってペコペコと頭を下げながらそそくさと仲間のテーブルに戻った。魔道士の仲間はケラケラと笑っていた。
すると、セイラムもセシルの膝の上で…笑いながら言った。
「きゃははは…お友達がいた!お友達、お友達…すぐにワンコとぉ…ニャンコとぉ…トカゲさんのお友達もやって来るから…みんなで遊ぼぉ〜〜‼︎」
「…お?」
セシルには何のことやらさっぱり分からなかった。だが、そこは博学の魔道士集団…ひとりの魔道士が言葉の暗示に気づいた。
「ああ、それって…。そうか、もう春なのね。はははは、確かに…犬と猫とトカゲが毎年、春にやって来るわね。」




