二百七十九章 粉屋 その1
二百七十九章 粉屋 その1
雪の降る寒い朝だった。
午前八時、キャシィがキャシィズカフェの店の扉を開けると、そこにはひとりの中年男性が立っていた。
「おはようござぁ〜〜っす。…おりょ?粉屋のおじさん、今日はめちゃくちゃ早いですねぇ。冬だというのに何か穀物の取り引きでもあるんですかぁ?…ちょっと待っててくださいね、取り急ぎひとつだけハーブティーセット作っちゃいますねぇ〜〜。」
「あ…いや、いいんだ…。サムが来るのを待ってるんだ。掲示板に用があってね…」
「掲示板…お仕事の依頼ですかぁ?」
「いや…広告を載せたいんだ。」
「…ほうほう。でも、サムさんはいつも九時にならないと来ませんよぉ〜〜。」
「…そうなのか、じゃぁここで待つよ…。」
粉屋の主人は寒い外で突っ立ったまま動かなかった。キャシィが組み立て式のテーブルと椅子を持ってくると、「ありがとう」と言って腰を下ろした。
キャシィは粉屋のただならぬ雰囲気を感じた。なぜなら、約一時間の待ち時間があるのに…自分の家に帰ろうとしないからだ。粉屋はキャシィズカフェの五軒隣なのだ。
キャシィは思い切って声を掛けてみた。
「そこ寒いでしょ、中に入ったらどうですかぁ?」
「そ…そうか、じゃぁ、そうさせてもらうかな…。」
キャシィはすぐにワイン倉庫の空いた場所に椅子とテーブルを用意し、ハーブティーセットも持ってきた。
「俺ぁ、注文してないよ…⁉︎」
「いいから、いいから…おじさんにはいつもご贔屓にしてもらってるから、私の奢りだよ。で…おじさん、何か困ったことでもあるの、このキャシィさんが相談に乗っちゃうよ?」
粉屋はハーブティーをひと口飲んで、はぁ〜〜っと大きなため息を吐いた。
「…ここのハーブティーはいつ飲んでも、心と体があったまるねぇ…。」
そして…十秒ぐらい間を置いて、粉屋は喋り始めた。
「…実はさ、粉屋の店をたたもうかと思っているんだよ。それで…店と穀物の在庫を高く買ってくれる人を探そうと思ってな…サムの掲示板に広告を出したいんだ…。」
「粉屋を閉店するの…どうしてっ⁉︎まぁ…冬場はお客さんいないけど、一年を通したら悪くない儲けのはずだよ。春まで我慢したら、東の商人がやって来てごっそり買ってってくれるよぉ〜〜っ!」
「そういう事じゃないんだよ…。」
「…じゃ、どうゆう事?」
「鳩屋がここで仕事を始めただろ?…俺のところに娘から手紙が来たんだよ。俺の娘はエステリック城下町の小さな粉屋に嫁に行ったんだが…婿さんが大怪我しちまってな、それを治すのに大金が要るらしい…大神殿のお布施ってやつだ。」
「えええぇ〜〜…都会のクレリックはお金を取るんだ…⁉︎」
アナに頼めば?…とキャシィは思ったものの、この雪の中を重傷の人間を何日も掛けてエステリックからコッペリ村まで運ぶ事自体…難しいだろうと思い、言及するのをやめた。
「それでな…店を売って、エステリックに引っ越すことにしたんだよ。…どうせ、あと二十年もすりゃぁ、跡取りのいないうちの粉屋は潰れちまう。だったら、いっそ…ってね。孫の顔も見たいしな…良い潮時なのさ。」
「そっかぁ…。」
粉屋…穀物を扱う商売人だ。農家から穀物を買い付け、それを挽いて粉の状態にして小売りをする。簡単そうだが非常に難しい商いだ。と言うのも、穀物は生産地の出来、不出来に敏感に反応してその値段が変動するからだ。穀物に限らず、野菜でも何でも…農作物は天候に左右されるが、穀物の場合は年単位の長期保存が可能なため少し特殊である。例えば、来年は不作だと予想が立てば、より多くの穀物を買い付け、来年の不作の時に値段が高騰するのでその時に売れば儲けは大きい。
キャシィは考えた。コッペリ村の粉屋の商いは、コッペリ村の村人への小売りとイェルマを通過する貿易商人が旅の食糧として買い付けていく…この二つだ。コッペリ村での競合相手は…強いて言えばイェルマだろう。しかし、イェルマで生産した穀物はほぼ自国で消費してしまうので、村人に小売りすることはない…たまに、イェルマを通過する貿易商人が西世界にはない米を帰りの食料として買っていくことはあるけれど。そう考えると、イェルマは競合相手にはならない。
コッペリ村には粉屋はただ一軒だけである。それを考えると、得にはなっても損にはならないだろうとキャシィは思った。
「おじさん、お店を見せてくれる?」
「…お?」
「もしかしたら…私が買っちゃうかもっ!」
キャシィはグレイスにひと言断って、おじさんにくっついて五軒隣の粉屋に赴いた。
中に入ると、香ばしい匂いがした。粉屋の奥さんがイェルメイドに売る焼き菓子を焼いていた。キャシィは奥さんに挨拶をした。
「一階が店舗で、二階が住居になってるんだ。」
おじさんの案内で、キャシィは店舗の中を調べた。建物は古かったがまだまだいけそうだ。店舗自体は二十畳ぐらいでそこそこ広く、小麦、大麦、ライ麦などいくつかの穀物の粉が麻袋の口から覗いていた。ここから枡で計って売るのだ。
「おじさん、倉庫はあるの?」
「ああ、裏手にあるよ。こっちだ…」
二人は店舗の裏口を通って、粉屋の倉庫に移動した。
「…ありゃ。」
思わずキャシィが落胆の声を発した。粉屋の倉庫は大きかったが、雪に埋もれて…半壊していた。
「こ…これは…」
「うぅ〜〜ん…柱が一本腐っててな…雪の重みでこうなった。小麦粉の袋が10袋あるはずだ。掘り出したら、多分大丈夫だと思う…。」
「…で、これももろもろ込みで…おいくらで…おじさんの希望額は?」
「んん〜〜…金貨五十枚…。」
「んんんん〜〜…それはない!うちのキャシィズカフェの建築費が金貨四十枚だよ〜〜。それに倉庫…あれはあちこち腐っててもう作り直さなきゃだし、雪に埋もれた小麦粉も雪解け水を吸ってダメでしょう…ちょっと見りゃ分かるよ。」
「…いくらなら買う?」
「金貨十枚…?」
金貨十枚…実は、これは今現在のキャシィの全財産だった。
「それじゃ、まるっきり土地代だけじゃないか…最低でも金貨二十五枚は欲しい!」
「…二十五枚かぁ〜〜…うぅ〜〜ん。」
キャシィは残りの金貨十五枚をどうやって工面しようかと、一生懸命頭を捻った。キャシィの商人の勘が…この店は絶対に手に入れなければならないと囁いていた。




