二百七十三章 魔法のスクロール
二百七十三章 魔法のスクロール
ティアーク城下町の冒険者ギルド会館。冒険者が少ない午後三時頃。
ギルドホールのテーブルにひとりの老人が座っていてお茶を啜っていた。老人の名前はヨアヒム…元国家上級魔導士で、引退後は冒険者として活動していた。
しばらくすると、もうひとり老人がギルドホールにやって来て、ヨワヒムの対面に座った。
「ライバック、どうじゃった?」
「魔道棟の元教え子に探りを入れてみたんだが…噂は本当らしい…。」
「なんとっ…!ゼウスの奴、ついに『魔法の転写』を成功させたのか…‼︎」
「こりゃぁ、魔法の歴史が変わるかもしれんな…。」
「いやぁ…変わらんじゃろ。」
「ゼウスは魔力が滞留する『魔法の羊皮紙』を完成させたらしい。高山地に住んどるバーバリーシープの上位種…エルヴンシープの皮を使うんだと…。」
「なるほどな…エルヴンシープは魔力を持っておって、エルフのように風の精霊のシルフィを捕まえて、どんな険しい崖でも登っていくな…。」
「その皮に魔力の滞留の効率を高める秘密の液体を染み込ませるそうな…。その上に、耐水性のインクで神代語の魔法陣を書き込むらしい…。それで、魔力を吹き込んで定着させる…」
「…神代語で『発動』と叫ぶと、魔力を持っていない者でも書き込まれた魔法陣の魔法が使える訳か…」
「ヨワヒムよ…どうする?」
「うむ…冒険者に頼んで、今のうちにエルヴンシープをたくさん捕まえて…エルヴンシープの皮が高騰したら高値で売るか。それとも…繁殖させるか。」
「どちらにしても…先立つ物がなぁ…お主が民間の魔法学校などと言わなんだら、蓄えも十分にあったのに…!」
「何を言うかっ!お前こそ、せっかくの爵位までも返上しおってからに…でなければ、これほど食うには困らんかったものを…!」
ヨアヒムとライバックはティアーク王国の魔導棟のテイマーの最高位「マスター」だった。しかし、シーグアとのテイマー戦争で大敗し…責任を取って引退した。
その後、野に下った二人は退職金を注ぎ込んで、冒険者のための民間の魔法学校を始めた。だが、元「マスター」の二人の教えは非常に厳しく…生徒たちはどんどん離れていって、魔法学校は潰れてしまった。
現在は、冒険者登録をして、時折冒険者のパーティーに加わって日銭を稼ぐあり様だ。二人ほどの魔道士なら引くてあまたと思われるが…年寄りでパーティーの行軍速度についていけず、その上我が強くて…冒険者仲間からそれとなく敬遠されていた。
「まぁ、ええわい…こういのはどうじゃ?なんとか、その…『魔法の羊皮紙』を安く手に入れて、儂らで魔法を詰めて売る…どうじゃ?」
「おおっ、妙案じゃな。それで行こう。…それと、黒水晶もそろそろ実用化されるらしいぞ…」
「…黒水晶、確か…ソロモンが研究しておったな。黒水晶に光を閉じ込めて、景色を保存しておく魔道具か…。」
「うむ…以前だと、閉じ込めた光…景色を出してしまうと黒水晶の中身は空っぽになって、一回こっきりしか観ることができなかったそうだ。それを…景色を自然系四精霊で…どうとか、こうとか…。繰り返し観ることができるようにしたらしい…。」
「…『賢者』の階層は花盛りかっ!それに引き換え…『調伏師』は落ちぶれたものよ…」
「愚痴るな、愚痴るな。なんとかこの冬を乗り越えて…春になったら良いこともあるだろうて。」
そこに、女魔道士の冒険者ベロニカが現れた。
「あらぁ〜〜、マスターヨワヒム、マスターライバック。こんなところで何してるの…寂しく二人でお茶?」
「放っとけぃ!…お前こそ何じゃ、今売れっ子の女魔導士がこんな時間にギルド会館とは…ヒラリーのパーティーでゴブリン狩りに行っとったんじゃなかったのかい⁉︎」
「そんなの…あっという間に終わっちゃったわよぉ〜〜。…で、何のお話をしてたの?聞かせて、聞かせて…美味しい話なら、私も混ぜてよぉ〜〜!」
ベロニカは約二ヶ月前に冒険者ギルドに突然現れた。身元は不明だったが火と地の魔法を得意とし、気が利いていて腕も確かだったのでどのパーティーでも引っぱりだこだった。それなのに…なぜかこの二人の老人を邪険にせず、時々は親しそうに話し掛けてあげるという奇特な面も持ち合わせていた。二人の名前に「マスター」を付けて呼ぶのは彼女だけだった。
「まぁ、お前さんも魔導士じゃからな…。関係がない話ではないか…」
「聞かせて、聞かせてぇ〜〜っ!」
ベロニカはヨワヒムに顔を近づけて…妖艶な二十六歳の大きな胸をその背中に押し当てた。
「うぉ…おほんっ!な、なんだ…魔法の転写って…判るかい?」
「ええ〜〜…判んなぁ〜〜い。」
「…魔法のスクロールってもんが出来たそうじゃ…これからは、魔道士でなくとも魔法が使える時代がやってくるぞぃ。」
「えっ…それは一大事じゃない⁉︎…私たちは、失業ってこと?」
ライバックが答えた。
「いやいや、そんな事は起こるまい。魔法のスクロールに封入できるのは…せいぜい中級の単一魔法までだろう。上級魔法や複数の精霊を使った魔法は、神代語と魔法陣が複雑になりすぎて…羊皮紙一枚で制御するのは無理だろう…」
ベロニカは今度はライバックの後ろに移動して…吐息が耳元で感じられるぐらいに近づいて喋った。
「ふむふむ…その魔法のスクロールって、魔導士としてはとても興味があるわ…どこで手に入るのかしらぁ?」
「むふっ…今はまだどこにも売ってないだろうが…そ、そうだな…何とかツテを頼って手に入れてみるか。それで…実験してみようじゃないか。」
「わぁっ、マスターライバック!是非お願い、楽しみだわぁ〜〜っ‼︎」
数日後、三人は城下町の繁華街から少し離れた空き地にいた。
ライバックが怪しい笑みを浮かべて、肩掛け鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ふふふ、見よ…これが魔法のスクロールだ。私の昔の弟子に頼んで、一枚都合をつけてもらった。」
都合をつけた…無断拝借したという意味だ。
ベロニカは興味津々という顔で言った。
「ねね、早くやって見せてよ!…どうやるの⁉︎」
「まぁ、待て。ベロニカのために、ちょいと説明をしてやろう…このままだと、ただのエルヴンシープの皮なのだ。これに何をしても…魔力は定着しない。そこでだな…」
ライバックはヨワヒムの方を見た。ヨワヒムはニタリとして…自分の鞄から硝子の小さな壺を取り出した。
「これは、儂の元弟子に用意させたものじゃ。水属性の妖精の『何か』らしい…これをエルヴンシープの皮に塗るのじゃ…。」
ヨワヒムはライバックが持っているエルヴンシープの皮に、イタチの毛で作った筆で硝子の壺の液体を塗った。そしてそれを、天日で約三十分程乾燥させた。
ヨワヒムはペンとインクを取り出した。それを見たベロニカは…尋ねた。
「ねぇねぇ…何の魔法を転写するの?」
「…『ライト』じゃ。」
「うへぇ…初歩中の初歩じゃん!」
「仕方あるまい…儂らは『賢者』ではなく、『調伏師』だったのじゃ。魔法陣やら神代文字やらは研究課題ではなかった。なので…最も簡単な魔法の『ライト』しか判らなんだ。…それにじゃ、どうも魔法の規模によって、妖精の『何か』の量がもっと必要らしい…あいにく、これだけしかちょろまかせんかったからのぉ…。」
ヨワヒムは慎重に魔法のスクロールに『ライト』の魔法陣と神代文字を書き込んだ。
「よし…魔道士ではない誰かを捕まえて来い。」
三人は空き地をちょっと離れて、人探しをした。ベロニカが十歳ぐらいの少年を連れて戻って来た。
「うむ、子供であれば、魔道士でもなくクレリックでもないな。」
四人は空き地にある空き家に入っていった。空き家は昼なお暗く、「ライト」を使うにはうってつけだった。
「ねぇねぇ、ボク、お姉さんの言う事を聞いてくれたら…銅貨を一枚あげちゃうわよ。」
「三枚がいいぃ〜〜っ!」
「…じゃ、三枚。」
ベロニカはヨワヒムの顔を見た。ヨワヒムは魔法陣を起動させる言葉を言った。
「アヴァル オド…じゃ。」
「ボク…この羊皮紙を持って、大きな声で『アヴァル オド』って叫んでみて。」
少年はヨワヒムから魔法のスクロールを受け取ると…大きな声で叫んだ。
「アヴァル オドッ!」
すると、スクロールの上の神代文字や魔法陣が消えて…代わりに少年の手に光が宿り、暗い空き家を明るく照らした。
「おおっ…‼︎」
その日の夕方、ベロニカは馬を借りて南城門が閉まる前にティアーク城下町を出て、夜通し走って一番近いオリゴ村に昼過ぎに到着した。
オリゴ村の宿屋に入ると、すぐに二階にひと部屋とった。そして…
「美徳と祝福の神ベネトネリスの名において命ずる。風の精霊シルフィよ。虚空を飛びて、彼方の同胞…イェルマ情報担当の大きなマリアに我が便りを届けよ…念話。…聞こえるかしら…?」
「…同盟国で魔法のスクロールなるものが発明されたわ。これを使うと、魔道士でなくても魔法が使えるようになる魔道具よ。材料はエルヴンシープの皮と水属性の妖精の『何か』、それと神代文字の魔法陣…確か、神代文字はエルフの村のユグリウシア様が詳しかったんじゃないかしら?まだ、試作段階だけど、実用化されたら十分イェルマの脅威になると思う。マーゴット様に気をつけてって言っといて…できれば、イェルマでも作れたら良いわね…以上、ベロニカ。…マリア、ちゃんとメモっとけっ!」
ベロニカは「念話」を遠くへ飛ばすことを得意としていた。そして、このオリゴ村がイェルマに「念話」が届くギリギリの距離だった。
「念話」を受け取ったマリアは大変驚いた。ベロニカがティアーク城下町に潜入してから初めての連絡だったからだ。
「うわあぁっ…イェルマ次期房主の巨乳のベロニカ…じゃなくて、ベロニカ師範から『念話』が来たぁ〜〜っ!あっと、メモメモ…‼︎」




