二百七十章 ジェニの涙
二百七十章 ジェニの涙
ジェニたち十五歳班は10kmのランニングを終わらせて朝食を摂り、射手房の訓練場で弓矢の射撃訓練をしていた。
ジェニは五十本の矢が入った矢筒を背負って、一気に五十本を撃ち尽くす耐久訓練をしていた。矢筒から矢を引き抜き、弓につがえて発射するまでに1秒…ジェニの目標はそれを全命中で百本である。五十本で音をあげていたらお話にならない。
ビュッビュッビュッビュッビュッビュッ…
ジェニの速射に、隣で見ているシモーヌたちは驚いていた。だが、三十本を過ぎたあたりで矢が的の丸太を外れるようになり、五十本を撃ち終えて命中率は70%ぐらいだった。
「ジェニさん、凄いですねぇ…。」
「はぁっ、はぁっ、こんなの…全然、凄くないよぉ〜〜…サリーなんか、百本射って百本全命中だもん…はぁ…。」
「…サリーは…特別ですよ…。」
サリーと同期のシモーヌは…寂しそうにそう言った。
ジェニはその時はシモーヌを気に掛ける事もなく、他の人に場所を譲って、腕立て伏せを始めた。
そこに、師範のタチアナが現れた。
「みんな、頑張ってるかぁ〜〜⁉︎」
「あっ、タチアナ師範、うぃ〜〜っす!」
タチアナはしゃがみ込んで、腕立て伏せをしているジェニに声を掛けた。
「おおっ、ジェニも頑張ってるみたいだな…それが五十回できるようになったら、速射五十本なんか楽勝だぞ。」
「ういぃぃ…っすぅ…はぁっ…」
(腕立て中に…声掛けてくるなぁ〜〜っ…!)
「そう言えばさ、ジェニ…お前が射手房に初めて来た時、デカくて黒くてブサイクな犬が一緒だったろう…どうなった?」
「はぁっ、はぁっ、ワンコですかぁ?…えっと…白黒の犬を追っかけて行って…はっ…放牧場に…はぁっ…」
「…そうか。」
「はぁっ…それが…何か…?」
「…その犬は英雄になったぞ。もし、良かったら、非番の日にでも…西のヤギの放牧場に会いに行ってやれ…。」
「…へ?」
タチアナは自分の言いたい事を言ってしまうと、立ち上がってすたすたと房主堂の方に早足で歩いていった。
(…何だったのかしら…?)
イェルマには「非番」という休日のようなものが存在する。これは月に二、三回程度のもので、自己申告で決める。なので、続けて取っても良いし、取らなくても良い。
射手房では、十五歳班から正式なアーチャーと認められて、「非番」を取ることを許される。
ジェニは、タチアナが言った「英雄」という言葉が引っ掛かって、サリーと非番の日を申し合わせてワンコに会いに行くことにした。
五日後のお昼、ジェニとサリーは連れ立って「北の五段目」の雪の傾斜地を登っていった。
サリーが言った。
「私は…ワンコとの付き合いと言えば、ユニテ村のアンデッド討伐からですねぇ。偶然だったけど、ワンコのおかげで命拾いしたんですよねぇ。」
「元々は野良犬だったのかなぁ…オリヴィアさんにいじめられていたのを私が助けてあげたのよ…。」
「えええっ…あのオリヴィアさんからって…よく助けられましたねぇ…。」
「んん〜〜っ…お金で買いました。」
「んんっ…納得です。」
三十分ほどで西の放牧場に到着した。すると、散歩のために小屋から出されていた犬たちがジェニとサリーの周りに集まってきて、尻尾を振りながらワンワンと吠えた。
「あれ…ワンコ、いないねぇ…。」
犬の鳴き声を聞いて、母屋からヤギ飼いと新年で帰って来ていた娘二人が出てきた。
「あんたたち、何の用だい?」
ジェニは尋ねた。
「あの…大きくて黒い犬を探してるんですけど…。」
すると、娘のひとりが驚いたような顔をして言った。
「ああ、あのブサイクな…。あなたたちは?」
ブサイクな…間違いなくワンコだ。ジェニは、ワンコはここにいると確信した。
「その犬の飼い主です。なんか…『英雄』になったって聞いて、会いに来たんです。」
「あああ…本当にあの犬には感謝してるわ。そう…あなたの犬だったのね。…こっち来て。」
ジェニとサリーは娘に案内されて、母屋の裏に回った。娘が指差した先には他の場所と違ってうっすらと新雪を被ったこんもりとした盛り土があって、その上に大きな石と…ちぎれた首輪が置いてあった。
(えっ⁉︎…これはお墓…まさか…?)
アナは、怖る怖る…その娘に尋ねた。
「これって、お墓ですよね…」
「うん…。ゴブリンが襲って来てねぇ…この犬のおかげで、ヤギは一匹も殺されないで済んだんだよ。たった一匹でゴブリンを五、六匹を倒して、時間稼ぎをしてくれたそうだよ。」
英雄って、そう言う意味だったのか…ジェニはワンコとの突然の別れに呆然として、どうして良いのか分からなかった。
狼狽えているジェニにサリーが無言で寄り添ってくれた。
「…ワンコはねぇ、ユニテ村だけじゃなくて…ステメント村のオーク討伐の時も、オークチャンピオンから殺されそうになってた私を救ってくれたんだよ…」
「じゃぁ、ありがとうって言って…手を合わせましょう。」
「…うん。」
ジェニとサリーはワンコの墓の前で手を合わせた。石の上に置いてある首輪は、ジェニが付けてあげた物だった。ワンコは死ぬまで私の首輪を付けていたんだな…そう思った瞬間、ジェニの目には涙が溢れてきて、ひと滴、ふた滴…白い雪を乗せた地面に落ちた。
手を合わせている二人に、娘が言った。
「ヤギ小屋を覗いてみてごらんよ。」
二人がヤギ小屋の上段の戸口から中を覗いてみると、藁床の上で一匹の母犬が五匹の仔犬を抱いて乳を与えているのが見えた。
サリーが気がついた。
「あっ…あの仔犬、ワンコそっくりですよ!」
「えっ⁉︎」
二人は下の戸口も開けて中に入っていった。母犬は尻尾を振って、二人を快く迎えてくれた。
ジェニは五匹の仔犬を順番に手に取って、じっくりと眺めた。
「この仔犬は真っ黒…ずんぐりむっくりしててワンコそっくりね。こっちのは、白と黒の産毛が生えているわね…こっちもそう…。この子たちは…ワンコの子供たちなのね…」
両手で抱き上げた仔犬が大欠伸をしたので、ジェニは目に涙を溜めながら…笑った。




