二百六十九章 ボタン無双
二百六十九章 ボタン無双
ユグリウシアから「念話」でセイラムの予知を知らされたマーゴットは、すぐに各方面に連絡を入れた。
その連絡をボタンは女王の居城「鳳凰宮」で受けた。
ボタンは知らせをもたらした魔道士に言った。
「そうか、また妖精が予知をしたのか。西の放牧場ならここから近いな。よし、そちらは私が出よう。東の放牧地はどこの房が近いかな…」
すると、護衛のタチアナが言った。タチアナは射手房の師範で、アルテミスと交代で女王ボタンの護衛任務についている。
「わざわざ、ボタン様自ら動かれなくても…」
「妖精の予知から二日は経っているそうだ…急を要する。私が行くのが早いだろう…。」
「では、私も同行しましょう。それから、武闘家房にも声を掛けましょう。」
「そうしてくれ。」
ボタンのいる鳳凰宮、武闘家房、そして西のヤギの放牧場は同じ「北の五段目」にあって比較的近いのだ。
ボタンとタチアナは馬に騎乗して西のヤギの放牧場を目指した。
前方から人を乗せた馬が駆け降りてきた。それはヤギ飼いだった。
「ああっ…ゴブリンが出たっ、出ました!早く…急いでください…ヤギが食われてしまうっ‼︎」
ボタンたちが早駆けで西の放牧場へ登っていくと…ヤギ小屋の手前でゴブリンの黒だかりと、それに近づいていく大きなトロルが視界に入ってきた。
人が襲われていると思ったボタンは馬に鞭をくれて、全力疾走でその黒だかりの中に突っ込んでいった。
ボタンは剣士のスキル「研刃」「風見鶏」を発動させ、馬から飛び降りると、腰の「ドウタヌキ」を抜いた。
「ドウタヌキ」は東世界のさらに東…極東の国で鍛造された片刃剣で、ボタンの一族に先祖代々受け継がれた「伝家の宝刀」だ。刀身はロングソードより少し短めの剣で、先端に向かうほど細くなっていて折れにくいのが特徴だ。恐ろしいほどの切れ味を持つ一方、乱戦向きの剣でもある。
ボタンはゴブリンの黒だかりの中に着地すると、四方のゴブリンたちの首を一瞬で切り飛ばした。「研刃」のスキルを纏った「ドウタヌキ」の一閃はゴブリンの首を骨ごと断ち切り、わずかに「シュッ」という音がするだけで、ほぼ無音だった。
血飛沫を上げることなくポロポロと仲間の首が落ちていくのを見てゴブリンたちは呆気に取られていた。
ボタンは「ドウタヌキ」を水平に構え、一気に横に払った。すると、前方のゴブリン数匹の首や胴が真っ二つになって、さらにその後ろのゴブリンの腹も裂けて内臓を吐き出した。深度2の剣士のスキル「遠当て:草薙ぎ」だ。
黒だかりになっていたゴブリンをあらかた始末したボタンは、黒だかりの原因となっていた物をチラリと見た。
(…犬か。人ではなかった、良かった…。)
ボタンの隙を見つけたゴブリンたちは、ボタンに襲い掛かろうとした。しかし、遠くから飛んできた矢がゴブリンの頭を貫通し、さらに後方の二匹のゴブリンをも串刺しにした。タチアナの「フルメタルジャケットマグナム」だ。
追いついてきたタチアナは、馬から降りて「フルメタルジャケットマグナム」の「クィックショット」でボタンに近づこうとするゴブリンたちを瞬殺していった。
ボタンが叫んだ。
「タチアナ師範、ゴブリンは任せた!」
「了解した!」
タチアナは近づきながら、ゴブリンをどんどん射殺していき…ボタンは「ドウタヌキ」を構えてゆっくりとトロルの方へ近づいていった。
「む…このトロル、以前東の放牧場を襲ったトロルとは別個体か…?それとも…小さくなったか。」
ゴブリンを射殺しながらタチアナが叫んだ。
「ボタン様、お気をつけください!」
「大丈夫だ。」
ボタンを見とめたトロルは太い腕で殴り掛かってきて…ボタンはそれをバックステップして回避した。
(…動きは遅い。よし…間合いは見切った。)
次にトロルが殴り掛かってきた時、ボタンは回避行動はせずに…腰を深く落として「ドウタヌキ」を袈裟懸けに一気に振り下ろした。
バサッ…!
トロルの左手首が飛んでいった。トロルは手首を失った左腕を不思議そうに見ていた。
そこに、ボタンはトロルの腹目掛けて「遠当て:草薙ぎ」を撃ち込んだ。トロルの腹は大きく裂けて、ゼリー状の有機物を吹き出した。
グアアァ〜〜ッ!
(…意外と硬いな。「遠当て」では両断できないか…ならば、削っていくのみ…。)
トロルは再びボタンを右腕で攻撃した。ボタンはそれを待っていて…トロルの攻撃が当たらないギリギリの位置で、トロルの攻撃に合わせて「ドウタヌキ」で迎撃した。
ビシッ…バサッ…ドスッ…ザッ…
トロルが攻撃するたびに、トロルの腕は切り落とされ…どんどん短くなっていった。
トロルの両腕がほぼ無くなった頃合いを見て、ボタンはトロルの二本の足を一瞬で切断した。トロルはバランスを失って倒れ、起き上がろうにも起き上がることができず、地面の上でもがいていた。
(異常に硬いと聞いていたが…普通のトロルと変わらなかったな…。)
後発の武闘家房のイェルメイドたちが駆けつけてきた。
「ボタン様、お怪我はありませんか⁉︎」
そう言ったのは師範のタマラとペトラだった。
「怪我はない。もう終わったから、後始末を頼む。…オリヴィアちゃんは来てないのか…?」
「…寝てます。」
「…そうか。」
リューズ、ドーラ、ベラも来ていた。必死に敵を探したが、全て終わったことを知るとがっかりしていた。
魔道士たちも駆けつけてきて、切り落とされたトロルの体を集め、まだ動いている胴体もろとも…すぐに「ファイヤーボール」で火葬にした。
武闘家房と魔道士房のイェルメイドたちは辺りに散らばったゴブリンの死体を集めてきて、実証検分を始めた。
魔道士が言った。
「このゴブリンたちは首から表札をぶら下げてます…多分、東の放牧場を襲ったのと同じゴブリンですね…。」
「すると…あのトロルも同じトロルということか。やっと…全部終わったな。」
戻って来たヤギ飼いは犬の死体を見ていた。
「見てください…コイツ、死してなおゴブリンの首に食いついたままです。頭は両目が潰れるほどにズタズタ…腑も半分は食われているというのに…。」
「…ヤギは食われずに済んだな。この犬が囮になってくれたおかげで、私が間に合ったのだ。大した英雄だよ…丁重に葬ってやってくれ。」
ボタンはそう言って、ヤギ小屋の方に歩いていった。中を覗いてみると、藁床の上で母犬が仔犬たちを抱いているのを見つけた。
(…そうか、産まれていたのか。アイツはこれを守ったのかもしれんな…。本当に大したヤツだ。)
タチアナはゴブリンに刺さった矢を回収して回っていて、ふと…英雄となった犬の死骸を何の気無しに見てみた。…大きさと黒い短毛に見覚えがあった。
(おや、このデカい黒犬…見覚えがある。もしかして…ジェニが連れていた犬か…?)




