二百六十八章 ワンコの子供たち
二百六十八章 ワンコの子供たち
その日の明け方近く、西のヤギの放牧場の犬たちは異変に気づいて、ヤギ小屋の中でソワソワしていた。
ワンコもその異変に気づき、藁床から身を起こして鼻をクンクン鳴らした。微かにオークに似た臭いがする…。
(む、これは…オークが攻めてきたのか?だが、オークとはちょっと違うな…。)
横で寝ていた母犬の乳首に吸いついていた生まれたばかりの仔犬の一匹が、母犬の懐から這い出てきて、ワンコの左足にしがみついた。
(鬱陶しいチビ助だなぁ…!)
気が立っていたワンコはチビ犬に向かって歯を剥き、「ウゥ〜〜…」と唸った。すると、母犬がワンコとチビ犬の間に割って入ってきて必死にワンコの鼻先に自分の鼻先を擦り付けた。
(こいつの大事なチビ助なら…大目に見てやるか…。)
ワンコは母犬を非常に気に入っていたので、母犬がする事を大概は許していた。
ワンコは臭いが強くなったのを感じて、他の犬と一緒に大きな声で吠えた。
ワンッ、ワンワンワン…ワンワンッ!
犬の鳴き声を聞きつけたヤギ飼いは床から起き出した。ヤギ飼いはヤギと犬の鳴き声には敏感だ。
ヤギ飼いは外套を羽織って、しんと冷え切った早朝の放牧地を雪を踏みしめながらヤギ小屋に向かい、上下二段になっているヤギ小屋の上の戸を開けた。
「こらっ、犬ども!何を騒いでいるんだいっ⁉︎…散歩にはまだ早いだろうが…」
ワンコは全体重を乗せて、下の戸に頭突きを敢行した。
ドガァッ…!
「うがっ!」
ワンコは下の戸の小さな閂錠と蝶番もろとも破壊して、十数匹の白黒の犬たちを従えて雪原に飛び出していった。
煽りを食らって尻餅を突いたヤギ飼いは憎まれ口を放った。
「くそっ、バカ犬〜〜…もう戻って来るなぁ〜〜っ!」
ワンコは臭いの主を探した。そして…前方約20m先にそれはいた。
(む…あいつらか!オーク…じゃないな。なんだ、こっちもチビ助じゃないか‼︎)
ゴブリンはオークに比べれば、はるかに小さい。ワンコと比べても半分ぐらいだ。ゴブリンたちを見たワンコは猛然とやる気になった。
(うおおおぉっ…クソチビのくせに、数に頼って俺のサンクチュアリを脅かそうとしやがって!目に物見せてくれるっ‼︎)
ワンコは先頭のゴブリンに体当たりした。ゴブリンは「ギャッ」と叫んでものの見事に吹っ飛んでいった。
それを見た白黒の犬たちは自分たちのリーダーであるワンコの圧倒的な強さに鼓舞されて、ゴブリンたちに吠え掛かり手首や足首に噛み付いた。
このゴブリンたちは人間との接触が非常に少なくて、鋼の武器を持っていなかった。倒木を削って作った棍棒、黒曜石のナイフ、黒曜石の斧…これがゴブリンたちの主力武器だ。それが犬たちには幸いした。
ワンコはゴブリンの喉元に噛み付き、腕や足を噛みちぎった。
(オークやゾンビに比べりゃ、楽勝、楽勝ぉ〜〜っ!…って、こいつら一体何匹いやがるんだぁ〜〜っ⁉︎)
ゴブリンの襲撃に気づいたヤギ飼いはすぐに馬小屋から馬を出して、急報を知らせるべく丘陵地を駆け降りていった。
母犬もヤギ小屋の外での異変に気づいて、自分もワンコの助けに走ろうとした。だが、母犬の温もりを失った仔犬たちが「キュ〜〜ン」と小さく鳴いて、母犬は我に返って仔犬たちを抱いた。ワンコを助けに行きたいけれど…仔犬たちも守らねばならない。二律背反で、母犬はどうしたら良いか分からなかった。
ワンコは数匹を噛み殺して、ぜぇぜぇと息を荒げながら周りを見渡した。仲間の犬も善戦しているが…多勢に無勢だった。そして…ゴブリンたちの後方にひと際デカいゴブリンを見つけた。
(何だ…アレは…?)
2m超のゴブリンが腕を振ると…一匹の白黒の犬が宙を飛んだ。
「キャイィ~~ン…!」
ワンコは思った。
(アレはまずいっ!…逃げないと死ぬっ‼︎)
ワンコは咄嗟に戦線から全速力で後退していった。それを見た仲間の犬たちも急に怖気付いて、ワンコの後を追った。
(あっ…お前ら、来るなよぉ〜〜っ!戦っとけよぉ〜〜っ‼︎)
白黒のボーダーコリーは「牧羊犬」である。ワンコのようにクマやオオカミに果敢に挑んでいくマスチフ系の「狩猟犬」とは違い、「牧羊犬」は常にヤギやヒツジといった臆病な家畜を相手にしていて気性は温和だ…そもそも、戦闘に適した犬ではなかった。
ワンコがヤギ小屋に戻ると、母犬は仔犬たちを抱いてその場から動いていなかった。何度母犬を急かしても、母犬は仔犬を抱いたままだった。ワンコは理解した…。
(…そんなにこのチビ助たちが大事なのか…。)
ワンコにしてみれば、仔犬たちはどうでも良くて…ただ、ただ、母犬が死ぬのが嫌だった。
総崩れとなった犬たちはゴブリンたちに追われて、結果的にゴブリンたちをヤギ小屋に誘導する形となった。
ヤギ小屋に逃げ込んでくる犬たちを押しのけて、ワンコが外に出てみると…数十匹のゴブリンとはるか遠くをトロルがゆっくり歩いてくるのが見えた。
ワンコは怖かった。だが…ゴブリンが近づこうとすると、容赦なく噛み付いた。俺がここで踏んばらないと…大好きな母犬がこいつらに…!
ゴブリンたちに囲まれても、ワンコは母犬を守りたい一心でゴブリンを噛みちぎっていった。…ゴブリンの棍棒が頭に命中した。息が止まりそうになった。それでも、食らいついたゴブリンの喉元を離さなかった。黒曜石のナイフが腹に刺さった。激痛が走った。振り返って、刺したゴブリンの腕を食いちぎってやった。…疲れた。次第に痛みも感じなくなってきた。とにかく…とにかく…噛み付いたら、絶対に離さんっ!
大きな黒い影がゆっくりとゆっくりと近づいて来た。
(ああ…こいつには勝てそうにないな。アイツ…チビどもを放ったらかして逃げてくれないかな…。)
ワンコはそう思った。




