二百六十一章 変質
二百六十一章 変質
ダフネによって切断されたトロルの両腕は土砂降りの雨の中、それぞれがうねうねとのたうち回りながら地面の上を這っていた。…考えていたことはただひとつだった。
(…仲間と合流したい。仲間と合流して、自分に良くしてくれたみんなの役に立ちたい…。)
仲間とは…ゴブリンのことだ。
早い段階で、片方の腕は力尽き…魔力を失い精霊が離れていき、ただの肉片と化してしまった。しかし、もう片方の腕は魔力を保って…多くの地の精霊のノームと風の精霊のシルフィを集めることに成功し「変質」した。変質したトロルの腕からは翼が生えてきて、肉の中にあった犬の情報を得て…犬の形に変わっていった。
また、切り落とされたトロルの両足は、初めは別々に移動していたが、お互いに呼び合って途中で合体してひとつとなった。そして、雨に流されて近くの小川に運ばれ、そのまま地下水脈まで流されていった。そこで、トロルの両足はたくさんの水の精霊のウンディーネをその体内に取り込み「変質」した。変質したトロルの両足は水の中で馬の形をとった。
(…仲間の敵は俺の敵、人間は仲間をたくさん肉にした…人間を見つけたら肉にして動けなくして…食ってやる!)
朝、オリヴィアは「オリヴィア愚連隊」のリューズ、ドーラ、ベラと一緒に「北の三段目」にある食堂でおにぎりを食べていた。
リューズが二個目のおにぎりを食べながら言った。
「副師範、三日後に結婚式だなぁ…もう準備はできてるのかぁ?」
オリヴィアは三個目のおにぎりを食べながら答えた。
「んん〜〜、全部キャシィに任せてるからねぇ〜〜。…そういえば、新築の養蚕小屋を式場にするって言ってたわねぇ。」
「ほほぅ…キャシィのヤツ、なかなか気が利いてるじゃないか。なんかさ、キャシィって、コッペリ村に行って変わったような気がしないか?」
「どこがぁ〜〜?」
すると、実姉であるベラが言った。
「キャシィは変わったよ…私らと一緒にいる時は、どこか押さえている感じがあったけど、コッペリ村でカフェを開いてから…何て言うか…花が開いたって言うか…積極的になったな。」
オリヴィアは味噌汁を啜りながら言った。
「この四人の中じゃ、一番年下だったからねぇ…わたしたちにどっか遠慮してたのかなぁ?」
「うへっ…オリヴィアがまともな事言ってやがる!」
すると、食堂の外で悲鳴が聞こえた。
「うぎゃああぁ〜〜っ…誰かぁ〜〜…!」
食堂にいたイェルメイドたちはみんな外に出た。すると…巨大なコウモリの翼を持った150cmぐらいの犬に似た怪物が空中を舞って、手当たり次第にイェルメイドを襲っていた。襲われたイェルメイドは怪物の両手両足の鉤爪で頭や肩を裂かれ、夥しい出血をしていた。この時間、食堂に朝食を食べにやって来るイェルメイドは武器を携帯していない者が多い。
オリヴィアたちはすぐに「鉄砂掌」「鉄線拳」「飛毛脚」を発動させた。
リューズが叫んだ。
「オリヴィアァ〜〜ッ!」
「分かってるっ…!」
オリヴィアは左足で強く地面を踏み切って宙を飛んだ。「軽身功」のスキルを持っているのはオリヴィアだけだ。2mの高さまで飛んで…空中の敵の頭部を思い切り蹴った。
「うげっ…硬っ!」
オリヴィアの蹴りで墜落した怪物は、ショートソードを携帯していた剣士たちやリューズたちに取り囲まれ、四方八方から攻撃を受けた。
ガン、ガシッ、ドカッ、ガキィッ…
「痛ててて…何だ、この硬さはぁ〜〜っ⁉︎」
「ぐはぁ〜〜…まるで石だっ!」
拳で殴っていたリューズやドーラたちは悲鳴を上げた。「鉄砂掌」「鉄線拳」でも通用しない相手だった。剣士たちもショートソードで叩いたり突いたりしたが、その皮膚を傷つけるどころか…「護刃」のスキルを持たない剣士のショートソードは刃こぼれを起こしていた。
一瞬の隙を突いて、怪物は再び空に飛び上がり、低空を旋回しながらイェルメイドを襲う機会を窺っていた。
「おぉ〜〜い、誰か、助けを呼んで来いっ!げっ…三段目って、練兵部の房がねぇじゃんかっ!」
リューズの言葉に、剣士のひとりが「北の四段目」に走った。四段目には戦士房と魔導士房がある。
オリヴィアは「軽身功」でピョンピョン飛んで、怪物に攻撃を当てようとしたが、学習した怪物はオリヴィアの限界高度の2mより上を飛んで届かなかった。
剣士たちで「遠当て」のスキルを持つ者たちがこぞって怪物目掛けて「遠当て」を撃ったが、当たっても鈍い音がするだけで、怪物は落ちてくる様子はなかった。
怪物が剣士のひとりを襲った。急降下してきた鉤爪で皮鎧を引っ掛けられた剣士はそのまま地上3mまで持ち上げられ、そしてそのまま落とされて肩口から地面に激突した。さらに、怪物は両足の鉤爪をオリヴィアを狙って突き立ててきた。
「おにょれ、怪物ぅ〜〜っ!不遜にもわたしに挑み掛かって来るとはぁ〜〜…目に物見せてくれりゅぅぉ〜〜っ‼︎」
オリヴィアは怪物の両足の鉤爪を「鉄砂掌」と「鉄線拳」で強化された両の手のひらの五本指でがっちり受け止めた。怪物はもがいてオリヴィアを引き離そうとしたが、オリヴィアはそれを許さなかった。
怪物はオリヴィアを持ち上げて飛ぼうとしたので、オリヴィアは怪物の股間を高蹴腿で蹴り上げ、怪物が怯んだ隙に両足で挟んでそのまま膝十字固めに捕らえた。
「ありゃん?…こいつ、膝関節がないぞぉ〜〜っ!」
怪物はコウモリの翼をバタつかせ地面をジタバタと転げ回った。その様子を見ていたリューズは叫んだ。
「と…とにかく、飛ばせるなぁ〜〜っ!」
イェルメイドたちは怪物の翼に攻撃を集中させた。それが功奏して、薄い膜のような翼を引き裂くことに成功した。みんなはこの機を逃すまいと怪物の頭部に攻撃を集中させたが、やはり硬かった。
「あっ、ヤバいっ!翼が再生してるぞっ‼︎」
みんなは再び翼を集中攻撃した。
「おぉ〜〜い…早くなんとかしてぇ〜〜っ!…十字固めが外れそぉ〜〜っ‼︎」
オリヴィアは怪物の足に必死にしがみついていて…怪物が暴れるたびに後頭部を強かに地面にぶつけていた。
怪物を飛ばせないために翼を痛めつけるも、すぐに再生してしまう…先の見えない闘いだった。
するとそこに数人の魔導士と十数人の戦士が駆けつけてきた。すぐにリューズは詰め寄った。
「こりゃ、どうしたら良いんだよっ⁉︎硬すぎて、刃も通らねぇ…」
「とりあえず…魔法攻撃を試してみます…!」
魔導士たちは呪文を唱え始めた。
「美徳と祝福の神ベネトネリスの名において命じる…水の精霊ウンディーネよ、同胞たちを呼び集め、風の精霊シルフィと共に進軍せよ。敵を包囲し雨の如き矢を射て、敵をことごとく殲滅せよ…穿て!ハードスプラッシュ‼︎」
呪文が完成するや否や、怪物の足に自分の足を絡めているオリヴィアを無理やり引き剥がして、イェルメイドたちは怪物から退避した。
魔導士たちは大量の水を空中に作り、それを物凄い勢いで怪物にぶつけた。強力な圧力で水の飛沫は怪物を数m吹き飛ばし…水は怪物の硬い表皮に浸透していった。すると…コウモリの翼を構成する骨組みの一部が折れて、ポロリと地面に落ちた。
「おおおっ、効いてるぞっ!」
「これは…怪物が水を吸って柔らかくなった!」
剣士たちと応援に来た戦士たちは怪物を剣と斧で斬りつけ、刃はザクッ、ザクッという音を立てて怪物の体にめり込んだ。オリヴィアたちがポカーンと見ている間に…怪物は細切れになってしまった。
魔道士の「念話」をマーゴットはエルフの村で受信した。
「何じゃと…翼の生えた犬じゃと⁉︎…で、うむ…うむ、そうか。…良いか、切り刻んだ怪物の骸は必ず焼き尽くすのだぞ…。」
マーゴットは「念話」を終わらせると、ユグリウシアに言った。
「多分、トロルの体が変質したのでしょう…イェルマの『北の三段目』に出ました。セイラムが予知して十日…当たりましたな。」
ユグリウシアは言った。
「翼を持つ犬…『ガーゴイル』でしょうか…これ限りであれば良いのですが…。」
「セイラムはあれ以来、新たな予知をしておりません。とりあえず、全軍を撤収させたいと思います。念のため…セシルはここに残していきます。もし、セイラムが何かを予知したならば…再び参りましょう…。」
「…分かりました。」
セイラムは自慢の宝物、金貨と銀貨を手に持ってセイラに見せびらかしていた。
「こっちが…黄色のピカピカで…こっちが白のピカピカ…セイラムの宝物…。」
「光ってるね、輝いてるね!…いいな、いいな…私も欲しいな。」
「セシル…欲しい?じゃ…黄色のピカピカ…あげる。」
「えっ、金貨を…⁉︎セイラムの宝物でしょ?…それに、金貨は銀貨の百倍も価値があるんだよ…⁉︎」
「セイラムはギンカ持っとく…だから…セシルは…キンカ持っとき。…キンカは…セシルの宝物…。」
「分かったぁ…この金貨は使わずに大切にするよぉ〜〜!」
セシルはセイラムから金貨を受け取った。すると…セイラムはセシルの手のひらの上の金貨をじっと見つめて…言った。
「…とりかえっこ…。」
「えっ?」
セシルは自分の金貨とセイラムの銀貨を交換した。すると、またじっと見つめてきて…
「…とりかえっこ…。」
「はやっ!」
セシルとセイラムは何度も何度も金貨と銀貨を交換した。




