二百五十八章 三つの事業
二百五十八章 三つの事業
イェルマ渓谷よりも高地のリーン族長区では毎日のように雪が降って、森や野原を雪化粧で白く染めていた。
越冬のための準備は、イェルマやリーンに限らず全ての人間にとって大変な労力を要することだ。この時代、冬を越すことに何の注力もしないで済むのは一部の貴族たちだけだ。
雪が降って、リーンの経済活動が緩やかになったせいか、リーン会堂でのヴィオレッタの事務作業も落ち着いて、以前のような毎日の多忙な日々が嘘のようだった。
兵站管理のベクメルが持ってきた書類を見て、ヴィオレッタは今回の冬は何とかなるなとほっと胸を撫で下ろしていた。これもザクレンが持ってきた穀物のおかげだ。…反省するに、秋に大型船建造のために義倉の穀物を換金したのがまずかったのだが、あれはあれで必要な出費だったと自分に言い聞かせた。
この何日か、スクル、タイレル、ティルムが連行されてきたスパイ周旋人のガンスを尋問したが、何ら有益な情報を得ることはできなかった。スパイたちを使ってラクスマンをペテンに掛けるという手口が瓦解した今、ガンスの価値は「人質交換」ぐらいしかないだろうとヴィオレッタは思っていた。
ヴィオレッタは今日の実務を終えて、エヴェレットと共にリーン会堂の高床で降る雪を見ながら温かいお茶を飲んでいた。ヴィオレッタにとって、リーンで迎える初めての冬だった。
「エヴェレットさん、リーンの冬ってどんな感じですかねぇ。」
「ひと言で言いますと…雪に閉ざされますね。」
「ああ、やっぱり…退屈な日々がやって来るという訳ですね?」
「ものは考えようですよ。冬の間は全てのものが止まりますので、事務処理のお仕事もかなり減るでしょう。エルフ語のお勉強に専念できますよ。他にも、魔法の研究とかされてはいかがですか?」
「…なるほどねぇ。早く、春が来ないかなぁ…。」
「そんなにエルフ語のお勉強はお嫌いですか⁉︎」
「そうじゃない、そうじゃないです…春になったら、色々と事業が目白押しになります。それを考えると、ちょっとワクワク…みたいな?」
「…事業?」
「とりあえず、急務の事業は三つですね。ひとつは『海洋資源の獲得』です。春になったら竜骨を取り入れた大型船の建造が本格化します。これが完成すれば、ドルイン港での漁獲量が跳ね上がってリーン連邦の食糧事情は劇的に改善するでしょう。もうひとつは『情報網の拡充』…春になったらホイットニーさんの一族をラクスマン、ティアーク、エステリックの同盟三国に潜入させようと思っています…」
「…スパイですね?」
「…そうです。『スケアクロウ』の件で、私たちは敵対する同盟三国について何も知らないということを思い知らされました。本気で敵の情報を集めたいと思います。今のところ…ティモシーとレイモンド、ダスティン兄弟をスパイ候補に考えています…三人とも丸耳ですから、うってつけです…」
「ティモシーはまだ幼すぎるのでは…?」
「…ですね。それで、ティモシーには母親のエビータさんを付けようかなと…。エビータさんは尖り耳ですが、私だってティアークで尖り耳を隠し仰せましたから、斥候の彼女なら大丈夫かなと…。そういえば、ティモシーは今、母親のエビータさんにくっついて猛特訓しているらしいですよ…」
「…猛特訓?」
「…『スケアクロウ』のポットピットさんと交わした約束…十年経ったらまた決闘をやろうってヤツです。ティモシーはもっともっと腕を磨いてポットピットさんに雪辱しようと思っているんでしょう。うふふふ…それとは真逆で…ガレルさんが斥候の技術をシーラに教え込もうと躍起になってるみたいですけど、当のシーラは毎日クロエたちと雪合戦して遊んでいるらしいですよ…」
「ふふふふ…それで、最後のひとつは?」
「マットガイスト、バーグ、ベルデンとラクスマンの国境…緩衝地帯に『要塞』を建設します。レンガ造りの頑丈なヤツ…本格的なヤツをです。そんなに大きくなくても良いです…一個師団が駐留できるぐらいで良いでしょう。レンガ造りなら、しっかりした弾除けになるし、兵站の置き場所としてはこの上ないでしょう。三つ同時に作って、うまく連携させることができれば…攻めるに良し、守るに良しで、前線がだいぶ楽になって死傷者が減るんじゃないかと思ってます…」
「…しかし、ラクスマンが指を咥えて黙って要塞を作らせてくれるとは思えませんけど…」
「むふふふ…そこはもう手を打っています。春になれば、私が打った手が発動するのですよ…。」
「あらまぁ、いつの間に…。お茶、もう一杯いかがですか?」
「あ、いただきます。」
エヴェレットはポットからヴィオレッタの湯呑みにお茶を注いだ。すると、お茶の暖かさに誘われたのか…ヴィオレッタの背中からもそもそっとメグミちゃんが這い出してきて毛皮のマントから顔を出した。けれども、冬の冷気を感じたのか、すぐにヴィオレッタの背中の中に引っ込んだ。
「…うへぇっ…くちゅぐったい!」




