二百五十七章 ダフネの魚璽
二百五十七章 ダフネの魚璽
ダフネは神官房での診察を終えて、次の日の朝には戦士房に戻っていた。もし、悪阻が酷いようであればこれをお湯に解いて飲みなさいと、半夏と茯苓を混ぜた薬をクラウディアから処方された。
お昼頃、ダフネはアナから過度な運動を禁止されたので、集団寮でゴロゴロしていると、戦士房の房主ライヤからお呼びがかかった。
ダフネが房主堂を訪ねると、ライヤがきちんと正座して待っていた。
「ダフネ、おめでとう。まさかお前がこんなに早く母親になるとは思わなかったよ…」
「あ、ありがとうございます。」
「私の先輩であるオーレリィさんは言っていたよ…子を持ち、育て上げてこそ人間は一人前になるのだと…。私は結局、子を持たなかった。そういう意味でも、ダフネ、お前は私を越えていって欲しい。」
「…はぁ。」
「おっと、話が横道に逸れてしまったな…実は、ご祝儀というわけではないが、これを作っておいた。持っていきなさい。」
ライヤは懐から一枚の小さな札を出して床の上に置き、ダフネの方に差し向けた。
「これは…魚璽ですか!」
「その通りだ。特に期限は書き込んでいない…お前は誰かと違って物分かりが良いから、イェルマを出ても行ったっ切りという事にはならないだろう。今は妊婦にとって一番きつい時期だ…気が滅入った時はその子の父親にでも会いに行くと良いだろう。」
「は…はいっ!」
「それから…お前はトロルを撃退した功績により、十八歳班を卒業して『中堅』とする、良いな。」
「ははは…はいっ…」
「…以上だ。下がって良い。」
「ありがとうございましたっ!」
ダフネは魚璽を受け取ると、うやうやしくお辞儀をして房主堂を退出した。そしてそのまま、御璽を握りしめて「北の四段目」を下っていった。ダフネの脳裏にはサムの笑顔が浮かんでいた。
中央通りに降りてきたダフネは、すぐに厩舎で馬を調達しようと思ったが、もしかしたら乗馬もいけないのかなと思いとどまり、徒歩で西城門まで行った。そこで門番の衛兵に魚璽を見せると、城門が開いた。
(うわ…魚璽、すごっ!)
城門をくぐったダフネは城門前広場を歩いて渡り、イェルマ回廊の中をどんどん進んだ。そして、イェルマ橋駐屯地に差し掛かると、仲間から声を掛けられた。
「あら、ダフネ。どうしてこんな所にいるのよ。あんた、呪いで神官房に収容されたって聞いたよ?…ひとりでうろちょろして大丈夫?」
「ああね…呪いじゃなかったんだ。ちょっとコッペリ村に用事があってさ…。」
ダフネは魚璽を見せた。
「おおっ…これを持って用事に出るってことは、体調不良は大したことなかったってことだねぇ。…あれ、馬は乗ってこなかったの?ここの馬使う?」
「いや、いいよ。ボツボツ歩いて行くから。」
そう言って、ダフネはイェルマ橋を渡った。房主堂を出てから歩いてかれこれ一時間…ようやくコッペリ村に入った。
ダフネがキャシィズカフェに到着した時には午後二時を回っていた。
ダフネの突然の訪問にキャシィは驚いた。
「あっれぇ〜〜っ、ダフネさんじゃない⁉︎どうしたんですかぁ〜〜…って、そりゃ、サムさんに会いに来たに決まってますよねぇ〜〜っ、ぐひひひひっ!」
「あ、お前…知ってるな?だ…誰から聞いた⁉︎」
「そりゃあもう、子作りの神様からですよぉ!ダフネさんがサムさんから種付けされたって…。」
「えええ、子作りの神様⁉︎…そんなのがいるのか?」
グレイスのゲンコツが降ってきた。
「痛でっ…!」
「ナーバスになってる妊婦さんをからかうんじゃない!それもなんて下品な物言いを…‼︎」
おかしな踊りを踊っているキャシィを無視して、グレイスは後片付けをしているリンにお遣いを頼んだ。
「宿屋に行って、サムを呼んできておくれ。」
「はぁ〜〜い。」
(あれれ…グレイスさんもあたしの妊娠の事を知っている?…でもって、父親がサムってことも…?)
五分もすると、リンを置いてけぼりにしてサムが駆けつけてきた。
「ダフネッ!」
「…サム。」
サムは我慢ができず、すぐにダフネを抱き寄せると接吻をした。後片付けをしていた子供たちが「おお〜〜!」と感嘆の声を上げた。
「ダフネ、体が冷たいね。ダメじゃないか、身重の体を冷やしちゃ…流れちゃったらどうするんだい⁉︎」
「…妊娠の事…何で知ってるの?」
「ああ…後で説明するよ。それで、体の方は大丈夫なの?」
「悪阻がちょっと辛いけど…アナもいるし、大丈夫だよ。」
「そうかぁ〜〜…とりあえず、座って、座って!」
サムはすぐにダフネのために温かいハーブティーを注文し、横に座ってダフネの背中を一生懸命さすった。ダフネは両耳が真っ赤になった。
「うひひひ…冬を飛び越して、春が来ましたねぇ〜〜〜っ!」
軽口を叩くキャシィにグレイスが再びゲンコツを喰らわそうとすると、キャシィはヒョイっと飛び退いて、おかしな踊りをまた踊り始めた。
すると、二階からハインツが降りてきた。
「こんにちわ…あれ、サムもいたんだね。…おや、その娘さんは?」
ダフネは言った。
「ん…あんた誰?」
慌てたサムはダフネにハインツを紹介した。
「ああ、ダフネは知らないよね。こちらはユーレンベルグ男爵のご子息で、ハインツさんだよ。訳あって、お父さんの男爵と入れ替わりでコッペリ村に来てるんだ。…で、この娘はダフネ…僕の恋人です。近々、結婚したいと思ってます。」
それを聞いたダフネは、両耳だけでなく顔も真っ赤になった。
「それはおめでとうございます!」
サムたちはキャシィズカフェでしばらく歓談し、それからサムが言った。
「ダフネ、僕はコッペリ村に住む事にしたよ。君はイェルマにいたらいい…僕はここでずっと待ってるから、時々会いに来てくれたらそれでいい。だから…結婚しよ?」
ダフネはサムの顔をじっと見つめ、目を潤ませて小さく頷いた。
サムは今度はキャシィに言った。
「キャシィ、この前の仕事だけど…やろうと思う。結婚したら色々とお金が掛かるだろうから…。」
「おおっ…サムのお仕事斡旋所、ついに開設ですねぇ〜〜っ⁉︎」
興が乗ったキャシィはおかしな踊りを再び踊り始めた。




