二百四十五章 フェアリー
二百四十五章 フェアリー
日もまだ登り切らぬ早朝、天井の慌ただしい騒音でジェニは目覚めた。アーチャーの集団寮の二階と三階で何かが起きている。
ひとりのアーチャーがドタドタと一階まで階段を降りてきた。
「十二歳班、十五歳班っ!今日のスケジュールは全てキャンセルだ…十二歳班は集団寮で待機っ、十五歳班は通常装備で本隊と合流しろっ‼︎」
クレアは質問した。
「…先輩、一体何が起こったんですか?」
「ゴブリンの襲来だ。」
「あ…なるほど。」
クレアたちは理由が分かると、やれやれといった顔で二度寝を決め込んだ。
だが、そうはいかないのがジェニだった。
「ねぇねぇ、クレア…ゴブリンが攻めてきたの?」
「ああ、毎年のことだよ。どうってことないわ。」
「そうなのね…まぁ、そりゃそうか…。」
ジェニはオークジェネラル率いるオークの軍勢と戦ったことがある。アンデッドの大群やオーガとも…。それに比べればゴブリンなんて…このイェルマの強力な武力を持ってすれば、即殲滅か…。
「おいっ…そこの…えっと、ジェニさんか、あんたも来て。」
「え…?」
「今回は、総動員…弓を使える者には全員召集がかかってる。」
二度寝をしようとしたクレアをはじめとする十二歳班全員が飛び起きた。
「おおおっ…ジェニ姉さんにお声が掛かったあぁ〜〜っ!これは十二歳班の誉れだっ‼︎」
「頑張ってえぇ〜〜っ!」
「ジェニのお姉ちゃん、いってらっしゃ〜〜い!」
みんなは寝台の上に立って、両手を大きく振りながらジェニの出立を見送った。
とりあえず、ジェニは今まで使っていた自前の装備…コンポジットボウ、鎖帷子、皮の胸当てなどを持って百五十人を超えるアーチャーの本隊に合流し、本隊と共に行軍した。すると…
「ジェニさん、おはようございます。」
「サリー…久しぶりぃ〜〜っ!ああ…良かったぁ〜〜、ちょっと心細くなってきたところだったのよ…。」
「今年はねぇ、トロルが目撃されまして…大ごとになってます。」
「トロル…?」
「ははは、私たちが倒したオーガ…『デスウォーリアー』よりは弱いから、大丈夫ですよ。」
「ならいいけど…。」
「基本的に、私たちはゴブリンやトロルが発見されるまでベースキャンプで待機です。長期戦になったら、多分…二交代制になるでしょうね。」
「ふむふむ…。」
アーチャー本隊は師範アルテミスを先頭にして、射手房のある「北の二段目」からどんどん斜面を登っていき、込み入った原生林の間を縫って約三時間かけて北の斜面の中腹のベースキャンプに到着した。以前のジェニであれば、体力的に到底辿り着けなかっただろう。
ベースキャンプにはいくつもの幕屋が設けてあり、すでに百人以上の剣士と幾人かの魔道士が詰めていた。ベースキャンプにはところどころに大きな切り株があって、そのままテーブルとして使用されていた。また、巨大な樹木の枝々に大きな何かが引っ掛かっていて、それぞれに戸口?らしき物がくっついていた。ジェニはベースキャンプの様子を見て…不思議に思った。
「こんな山奥に、よくもまあこんな広い平坦地を作ったものですねぇ…。」
それを聞いたサリーは、ジェニの注意を喚起してあちこちを指差した。
「ジェニさん、見て見て…。」
ジェニが「イーグルアイ」を発動させ、サリーが指差した先を注視してみると…長い耳を覗かせた美しい直毛のロングヘアーの男女たちがいて、剣士たちに何やら指示を与えていた。
「あ…あれは…⁉︎」
「ジェニさん、見るの初めてですか?エルフですよ。…ここはエルフたちの村なんですよ。」
「…エルフ?」
「私たちとは違う、別の種族の人間…私たちよりもはるかに古い種族だそうですよ。」
「へえぇ…。」
イェルマ渓谷に先住していたエルフとイェルメイドの間には、条件付きながら戦時協定が結ばれている。戦時における互いの拠点の提供もその協定の中のひとつだ。
ジェニがふと見ると、アルテミスがひとりの男のエルフに深々と頭を下げて慇懃丁寧な挨拶をしていた。
「…あれ?」
「ああ、あのエルフはペーテルギュントさんですねぇ。アルテミス師範曰く…アーチャーの最高峰…だそうです。」
「ええええ…!」
あのアルテミス師範にして「最高峰」と言わしめるとはっ!
「エルフは長命種で、ペーテルギュントさんは三千年以上生きてるらしいです。その間、鍛錬に鍛錬を積み重ね…あの人、深度5をコンプしてるらしいですよ、最上位職種の『サジタリウス』、凄いでしょっ⁉︎」
「ひぇえええええええええぇ〜〜〜〜っ‼︎‼︎」
いくつかある焚き火のひとつに近寄ると、お湯の入った大鍋が掛かっていてその中には小さな陶器の壺がたくさん入っていた。また、切り株のテーブルの上には戦時非常食のチーズが塊で置いてあった。
「チーズ、適当に食べていいよ。」
中堅の剣士のイェルメイドの言葉に甘えて、二人はチーズを塊からナイフで切り分けて食べた。
「あの鍋の中の壺は何なの?」
「あれは湯タンポですよ。」
「…?」
「もう冬でしょ?アレを手拭いで巻いて懐に入れると暖かいんです…水筒にもなるしね。」
「…良いアイディアね。」
二人はチーズを食べながら焚き火にあたった。この辺りはカウリマツの常緑針葉樹が多いようで、聳え立つ樹々がずっと天まで伸びて空を狭くしていた。地上は魔道士の灯した「ライト」のおかげで明るかったが、頭上はもう朝日が昇っているはずなのに今なお暗かった。
「おや…あれは何かしら?」
「なになに?」
ジェニは暗い空でいくつかのぼんやりした光点が動いているのを見た。
「ほら…あの木の枝の…光ってるでしょ?」
「…何も見えませんけど?」
その光点のひとつが色んなところに寄り道しながら、ゆっくりとジェニに近づいてきた。近くでみると…それは蝶々だった。
「…なんだ、蝶々か。ぼぉ〜っと光る蝶なんて、珍しいわね。」
「そんな訳…もう冬ですよ⁉︎」
「だって、ほら…。」
ジェニは目の前の不思議な蝶々を指先で突こうとした。するとその蝶々はすっと後退して…再び近づいてきた。そして、ジェニの指先の周りをくるくると回り始めた。
「…見えない?くるくる回ってるよ。」
「…何が?」
ジェニの背中で、誰かが声を掛けてきた。
「あなた、フェアリーが見えるのですね。…ということは、あなたは魔道士?それとも…他の人よりも感受性が高いのかしら?」
「いえ、アーチャーです。感受性は…分かりませんけど。この蝶々…フェアリーって言うんですね。」
銀色の髪の女エルフ…ユグリウシアに気づいたサリーは慌てて会釈をした。
「ジェニさん、挨拶して。この方はエルフの村の代表…ユグリウシア様ですよ。」
サリーに急かされて訳もわからないまま、ジェニも急いでペコッと頭を下げた。
「不思議ですねぇ。子供の頃から思春期までの感受性が高い時期に妖精が見える人間はおります。それか、修練を積んで『魔力』を感じ取れるようになった魔道士が妖精の存在を感じる場合があります。…しかし、アーチャーでフェアリーが見えるなんて…。ちょっと…失礼いたしますね。」
「…?」
ジェニの背中に強烈な悪寒が走った。
「…あひゃんっ!」




