二百三十九章 ハインツとサム
二百三十九章 ハインツとサム
朝のキャシィズカフェ。
セドリックは早々に仕事に向かい、残ったハインツは朝食を終えて手持ち無沙汰でみんなの様子をぼぉ〜〜っと見ていた。ハインツは邪魔をしてはいけないと思い、とりあえず、初めての地コッペリ村の探索に出ることにした。
「グレイスさん、キャシィさん、ちょっと散歩に出てきます。」
「はぁ〜〜い、行ってらっしゃ〜〜い。」
ハインツがキャシィズカフェの外に出ると、ちょうど店先で床屋の開店準備をしているサムと会った。サムはキャシィズカフェから知らない男が出てきたので少し驚いた。
「あ…おはようございます。」
「あ…どうも、おはようございます。」
サムは、ハインツが着ているゆったりとしたモスリンのシャツと体にぴたりと合ったオーダーメイドらしきカシミヤの上着を見て…
「失礼ですけど、ユーレンベルグ男爵様のご関係の方ですか?」
「はい。息子のハインツ=ユーレンベルグです…よろしく。」
「リヒャルド様の弟さんですか。」
「お、兄をご存知で?」
「以前…ちょっとの間、ここに滞在されてましたので…。」
(へえぇ…兄上もここに来てたんだなぁ…知らなかった。)
「ええと、あなたはコッペリ村の方ですか?」
「まぁ…ちょっと訳あって、この村に住んでますけど、出身はティアークですよ。ティアーク城下町で冒険者をやっていたサムと申します。」
「おおおぉ〜〜っ!なんか…心強い…。僕はここに来たばかりで右も左も分からず…キャシィズカフェでは、ひとり浮いちゃって…。みんなのテンションについていけなくて…グレイスさんとかキャシィちゃんとか…」
「ああ…あははは、気にする必要はありませんよ。あの二人は特別ですから。」
「そうなんですかぁ、それを聞いて安心しました…。」
「これからどちらへ?」
「ちょっとコッペリ村を散策しようかと思って…。」
「良かったら…案内しましょうか?」
「それは助かります、是非お願いします!」
サムはキャシィに「今日は臨時休業するよ」と声を掛けて、ハインツと共に大通りの方に出て行った。
サムは歩きながら言った。
「コッペリ村はこの大通りを中心に広がっているので、この大通りさえ覚えていれば迷子にはなりませんよ。」
「なるほど、なるほど。」
大通り沿いに、粉屋、雑貨屋、鍛冶屋、古道具屋などがたくさん軒を連ねていた。二人の横をすり抜けて、何台もの大きな馬車が大通りを東に向かって走っていった。
「田舎の割には、大通りは結構賑わっているんですねぇ。」
「僕はまだ行ったことないんですけど、この先にイェルマっていう小さな国があって…西の国と東の国との関所になってるんですよ。なので、貿易が盛んで…意外にこの村はお金持ちですよ。」
「へえぇ…。イェルマかぁ、そんな国があったんですねぇ。」
キャシィが言ってたのはそういう事かぁ…イェルマの関所に近いこのコッペリ村を拠点にして、東の国にもワインを広げていく…確かに、コッペリ村を田舎と侮れないな。
ハインツは大通りの向こうから歩いてくる皮鎧で武装した三人を見とめた。
「…憲兵…兵隊かな、近くに駐屯地でもあるのかな?」
「ああ、あれはイェルメイドですね。イェルマの兵隊さんです。休憩時間にはまだ早いから…村を巡回してるんですね。」
二人はイェルメイドの巡回兵とすれ違った。その瞬間、イェルメイドたちはサムとハインツを二度見、三度見して黄色い悲鳴を上げた。ハインツは気がついた。
「い…今の兵隊さん、三人とも女性でしたよっ!」
「…ですね。ハインツさん、ハンサムだしニューフェイスだし…凄く珍しかったんだと思いますよ。…目をつけられちゃいましたね。」
「んん…どういうことかな?」
「…イェルマは女だけの国だから。」
「えええっ‼︎」
二人はさらに大通りを東に東に歩いていった。次第に街並みは消えていき、正面に大きな吊り橋が見えてきた。イェルマ橋だ。
サムが言った。
「ここまで来るのは僕も初めてだなぁ…。」
二人がイェルマ橋に近づいていくと、橋の衛兵…二人のイェルメイドがすっ飛んできた。
「お前たち、イェルマに何の用だ⁉︎」
サムとハインツは衛兵にショートソードを突きつけられてたじろんだ。すると…衛兵のひとりがパッと顔色を変え、声を裏返して話しかけてきた。
「あら?あなた、床屋のサムさんじゃない⁉︎」
「え…あ…はい。」
「あ、やっぱりぃ〜〜。この前は髪をさっぱりしてくれて、ありがとねぇ〜〜!この髪型、凄く気に入ってるのぉ〜〜。友達にも評判よくってさぁ〜〜…今度、友達も切りたいって言ってたわ‼︎」
ハインツが驚いてサムに尋ねた。
「知り合いですか?」
「多分…僕がやってる床屋のお客さん…かな?」
イェルメイドがサムに尋ねた。
「で…サムさん、イェルマに何か御用でも?」
「いや、特に…。ハインツさんにコッペリ村を案内してたもので…すぐに戻りますよ。」
サムはダフネの名前を出そうとも思ったが、問題が起こりそうだったのでやめた。サムとハインツは橋に背を向けて来た道を戻った。
(…あの人、ハインツって言うのね…ハインツ、ハインツ、ハインツ、ハインツ…。)
二人の後ろで…イェルメイドたちは新顔の若者の名前を忘れまいと、念じるように頭の中でひたすら名前を復唱していた。
ここで、サムはある事を思い出した。
「ユーレンベルグと言えば…そうか、ハインツさんはジェニのお兄さんでもあるのか…」
「おや、妹のジェニファーもご存知でしたか。」
「ジェニは今…さっきの橋の向こうのイェルマにいますよ。」
「あっ…自分のことでいっぱいいっぱいでジェニの事を忘れていた…そうか、コッペリ村って、ジェニが修行してる村だったか…妹は元気にしてるんだろうか?」
「今頃はイェルマでしごかれてるでしょう…」
「…会いたいなぁ。ジェニと会うことはできませんかね?」
「あははは…それが簡単にできたら、僕も苦労しないんですがねぇ…。」
サムの脳裏にちらりとダフネの顔が横切った。
サムとハインツは大通りから少し外れて、民家が建ち並ぶ裏通りを抜け、村外れまできた。
「おぉ〜〜っ!ここは綺麗ですねっ‼︎」
緑色と褐色の自然の絨毯が見渡す限りに続いていて、ところどころに遅咲きのコスモスや彼岸花が咲いていた。まばらに樺の木が散在していて、すでに落葉していたが焦げ茶色と白の木肌が見事なコントラストを映し出していた。
二人は秋の風景を右に見ながら、しばらく歩いた。
すると、少年がひとり草むらの中に立っているのが見えた。セドリックだった。
「やあ…サムさん、ハインツさん。お散歩ですか?」
「はい、ハインツさんにコッペリ村を案内してました。」
ハインツはセドリックに尋ねた。
「何をしてるんですか?」
セドリックは指差して言った。
「…これですよ。これが悩みの種です。」
セドリックが指差した先には、基礎工事までは済んだ敷地と積まれたまま放置された材木があった。
「ああ、養蚕場ですね、人手が集まらないんですね?」
「はい…雪が降るまでに終わらせたいのですが、これ以上進まなくて…。雨でも降ったら、せっかく集めた材木が腐ってしまう…」
サムが言った。
「これからどんどん寒くなります…みんな冬支度で、家の修繕で大工さんは引っぱりだこですよねぇ…。」
(大工かぁ…いることはいるんだけど、これ以上マーゴットに借りを作りたくないなぁ…。)
サムはふと名案を思いついたが…どうしたものかと迷っていた。
セドリックは続けた。
「…手間賃を増やしてお願いしてるんですけど、村人優先ということで…困ったなぁ…」
人の良いサムは…セドリックの苦悩を看過することができなくなった。
「ちょっと…ここで待っててください。」
ここはもうキャシィズカフェの裏手だ。サムは少し歩いてキャシィズカフェに戻った。時間は午前十一時を回っていて、すでに…お客が待っていた。
「あ、サムが来たわ!臨時休業って聞いて、どうしようかってみんなと話してたのよ…今から床屋さん開くんですかぁ〜〜?」
「うん…ちょっと待っててね。」
サムはキャシィズカフェの中に入り、倉庫の隅っこで…イェルマの魔道士マリアに「念話」を送った。
キャシィはハーブティーセットを配膳しながらその様子を見ていた。
しばらくすると、リューズが馬でキャシィズカフェに乗りつけてきた。キャシィは久しぶりに「オリヴィア愚連隊」の姉貴分に会って驚いていた。
「うひゃっ!リューズ姉ぇ、なんでここにっ⁉︎」
「呼ばれたから来たんだよぉ〜〜!大工の仕事があるらしい…。サム…サムはどこだ?」
サムがキャシィズカフェから出てきて、リューズをセドリックのところに連れて行き紹介した。リューズは武闘家房の中堅だが、副業として「大工」仕事ができる。
リューズは養蚕小屋の図面を見ながら言った。
「ふむふむ…雪が降る前に木造の小屋を建てたいんだな。そうなると、工期は二週間ぐらいか…。駄賃は弾んでくれると聞いたが…?」
「…日当で銀貨一枚でどうですか?」
「他に十人ぐらい連れてくるが、いいか?材料はあるみたいだから…大雑把に見積もって、釘代や金具代を入れて、銀貨百五十枚ってとこか…それでいいかな?」
「それで行きましょう!」
「よっしゃっ!今から仲間を連れてくるっ‼︎」
そう言って、リューズは疾風の如く去っていった。
「サムさん、ありがとうございます…これで何とかなりますよ!…サムさんはイェルマと昵懇なんですねぇ…一体、どんな方法を使っているんですか?」
サムは平身低頭して言った。
「ああ、いやいや…大したことはしてないですよ…。緊急的な措置でして…あまり僕に期待されても困りますけど…。」
サムとセドリックの会話を物陰でこっそり聞いていたキャシィは確信した。サムはイェルマの魔道士と「念話」で連絡をとっているに違いない…それで、その魔道士よりも何かしら優位な立場にあって、イェルマの人的資産をある程度自由に動かせるのだ…と。キャシィはうすら笑いを浮かべていた。
(うひひひひ…これはもう、商売にするしかないっしょっ‼︎)




