表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦乙女イェルメイド  作者: 丸ごと湿気る
237/509

二百三十七章 ハインツ

二百三十七章 ハインツ

 

 ハインツは二十八歳。三年前にさる貴族の令嬢とお見合い結婚をした。「政略結婚」と言えばそれまでだが、ハインツは妻を気に入ってそれなりに愛していた。

 ハインツは「人生の伴侶」を亡くして以来、全ての気力を失って、ただただ「人生の浪費」をするだけだった。寝て、食べて、ボーッとして、また寝る…その繰り返しだった。それを見かねた父ユーレンベルグ男爵はハインツをティアーク城下町とは全く違う環境のコッペリ村へと送った。

 夜七時頃、ハインツはキャシィズカフェの自分の部屋のベッドの上でまだ不貞寝をしていた。

 扉を叩く音がして、外でキャシィの声がした。

「ハインツさぁ〜〜ん、晩御飯ですよぉ〜〜っ!」

「ああ…はい…。」

 ハインツは目を覚ましたが、しばらくの間ベッドの上でぐだぐだとしていた。

 三十分が過ぎて、ハインツが一階のダイニングに降りていくとみんなはもう晩御飯を食べ終わっていて…テーブルの上には食べる物は何ひとつ残っていなかった。

「僕の夕食は…?」

 キャシィが驚いた顔をして答えた。

「ええ〜〜っ…降りてこないから、食べないのかなって思っちゃいましたよぉ〜〜!なので、もうありません…すいませんっ‼︎」

「そ…そんな…!」

「ここの子供たちは朝から晩まで働いて、一日じゅう飢えてますからねぇ…ご飯が残るってことは、まずありませんっ!」

 後片付けをしている子供たち九人が一斉にハインツの方を見た。ハインツはその圧力に負けて、すごすごと自分の部屋に戻っていった。

 ハインツはベッドの上で考えた。これがティアーク城下町なら…みんな自分に優しく接してくれて、何でも言うことを聞いてくれた。食事だって、食堂に行かない時はわざわざ温め直して、部屋まで持って来てくれたものだ。この村の人たちには心ってものがないのか?妻を亡くして傷心の僕にどうしてこんなに辛く当たるんだろうか?


 次の日の朝、空腹で目覚めたハインツはよろよろとしながら一階に降りていった。一階ではハーブティーや焼き菓子の仕込みで、大人から子供までてんてこ舞いだった。

「あの…朝食は…?」

 ハインツに尋ねられてグレイスが答えた。

「ああ、すまないねぇ。うちじゃ朝は手が空いた時にそれぞれ勝手に食べちゃうんだ。ハインツさんもその辺のもので適当に済ませちゃって。」

「…父上はどうしてたのかな…?」

「男爵様はねぇ、卵やら肉やら…食べたい物があれば前の日に用意して、ご自分で料理して食べてましたよ。」

「そ…そうなんだ。父上らしいと言えば…父上らしいな…。」

 あの人は未開の山奥に分け入ったとしても、道がなければそれなりに自分で道を作りながら進んで行く人だった。僕も、もうちょっと父親似だったらなぁ…ハインツはそう思った。

 仕方がないので、言われた通りに適当に…テーブルに置いてある出来立ての焼き菓子と、何やら良い香りのするハーブティーに手を伸ばそうとすると…

「それダメェ〜〜ッ!」

 …思いっきり怒鳴られた。

(ううう…この僕にどうしろって言うんだ⁉︎…こんなとこ、来るんじゃなかった…。)

 すると、キャシィが言った。

「これはねぇ、うちの商品なんですよぉ。お金を払ってもらったら、いくらでも飲み食いしていいですよぉ〜〜。お父さんのユーレンベルグさんも、ちゃんとお金払ってくれてましたからねぇ〜〜。お父さんの仕事を引き継いでここにいるのだから、ハインツさんはビジネスパートナーではあるんですけど…家族じゃないですからねぇ〜〜。」

 グレイスが大笑いして言った。

「あはははは…どの口が言うぅ〜〜っ!キャシィ、あんたも家族じゃないでしょうが‼︎」

「えっ、私は家族『同然』じゃないのぉ〜〜?私…ずっとそのつもりでいたんですけどぉ〜〜…?」

「それじゃぁ、多数決で決めましょうか?キャシィは家族同然だと思う人ぉ〜〜?」

 子供九人のうち…四人が手を挙げた。すかさずキャシィは一番幼いジョフリーのところへ行ってポケットから銅貨一枚を出し、それをちらつかせながら言った。

「…手を挙げなさい。」

 ジョフリーは銅貨一枚と引き換えに手を挙げた。キャシィはジョフリーの買収に成功した。

「よっし!五対四…私の勝ち。私は家族同然です‼︎」

 グレイスは笑い転げていた。

(…この人たち、何やってるんだろう…?)

 ハインツは今まで経験したことのないおかしげな雰囲気の中で、ただ茫然とひとり立ちすくんでいた。

 すると、二階からセドリックが目を擦りながら降りてきた。セドリックが無言でダイニングの椅子に座ると、グレイスは仕込みの手を止めニコニコしてセドリックの前にハーブティーとパンを用意した。

 セドリックはハーブティーをひと口飲んで大きな溜息をひとつついて、それからやっとハインツに気づいた。

「あ、初めまして。…ユーレンベルグ男爵様の息子さんのハインツさんですね?僕はセドリックと言います。昨日、ご挨拶に伺おうと思っていたんですが、疲れちゃってすぐ寝ちゃったもので…すみません。」

「ああ、お構いなく…。」

 セドリックは母グレイスにハインツの分の朝食も出すように促した。グレイスはハインツの目の前にもパンとハーブティーを置いた。

 ハインツは、この少年だけはみんなと違って上流の雰囲気を持っており洗練されてるなと思った。

 ハインツはハーブティーをちょっとすすった。すると、なぜか体の芯から温かくなって、憂さのようなものが消えていく気がした。

(何だこれ…凄く美味しい。こんなの、ティアークでも飲んだことないな…。)

 目を丸くしているハインツの様子を見て、セドリックは言った。

「エルフのハーブティー、美味しいでしょう?」

「本当に…。こんな美味しいお茶、飲んだことありません。」

「…奥さんの話は聞いてます。コッペリ村はのんびりとした村なので、傷ついた心を癒すのにはうってつけだと思いますよ。僕は仕事が忙しいので、あまりハインツさんのお相手はできないかもしれませんが…。」

「へえぇ…セドリック君はどんな仕事をしてるんだい?」

「…男爵様の息子さんなら、内緒にしておく必要はないかな…。シルクの紡績工場をここに建設しようと思ってましてね…」

「おおお、それは凄い。」

「手始めに、養蚕場を作ろうと思っているんですけど…今の時期、村の大工さんが集まらなくてねぇ…説得やらスケジュール調整やらで、一日じゅう村を走り回ってますよ。なので、キャシィズカフェのみんなとはすれ違いの生活というか、僕だけ別世界というか…あははは。」

 ハインツは感心した。この少年はまだ十五か十六にしか見えないのに…シルク工場を建設しようとしているのか、大事業じゃないか⁉︎

 気後れしたハインツはポツリと言った。

「…うまく行くといいですねぇ。」

 すると、キャシィがやって来て言った。

「うまく行くといいですねぇ?何、呑気なコト言ってんですかぁ〜〜。セドリックのシルク工場にはあなたのお父さんも出資してるんですよ!」

「え…そうなんだ?」

「このお店のワインだって…私だってユーレンベルクさんとはいくつか事業提携してるんです。ポシャったら…あなたのお父さんも大損こきますよぉっ!」

 な…何だ、こいつら!セドリックもキャシィもまだ子供じゃないか…それなのに、もう父上と対等に取引きをしてるっていうのか?父上は商売には厳しい人で、一流の商人としか取り引きをしない。ということは…この二人は父上のお眼鏡に適って一流の商人と認められているということだ。そんな人材が、どうしてこんな田舎村に…?

 ハインツはティアーク城下町にいた時はラクスマン王国のワインの流通を任されていた。だが、部下が優秀すぎるせいもあってか…実際には煩雑な書類に目を通してサインするだけで、「稟議書が回ってきて何かを決定する」といったことは全くなかった。要するに、父親のユーレンベルグ男爵が敷いたレールの上を走っているだけだった。

 今回は転地療養のついでに父に代わって、コッペリ村のワインの流通を任されたが…何をどうして良いのかさっぱり判らなかった。

 そこに宿屋の主人がやって来た。

「キャシィ、いるか〜〜い?」

「はいはい、はいはいはいはいぃ〜〜っ!」

「ワインを二樽…いつも通り、ツケで月末払いで頼むよ。」

「了解っすぅ!」

 キャシィはキャシィズカフェの倉庫の大扉を開けて、宿屋の主人の荷車を中に入れた。宿屋の雇われ人がワイン樽を荷車に積み始めた。

「どうですか、三等級のワインも扱ってみません?」

「いやいや…そんなお高いワインは売れないよ〜〜…。五等級でいいや。」

「えぇ〜〜…贈答用に結構需要があるんですけどねぇ。そうだ、そろそろ空になりそうな三等級の樽があるんですよ。見切り価格で提供しますよぉ〜〜。」

「んん〜〜…考えとく。」

 そのやりとりを聞いていたハインツは舌を巻いた。そして、帳簿に売上げを書き込んでいるキャシィのところに行って尋ねた。

「キミがうちのワインを回しているのか…」

「そうですよぉ〜〜!」

「どのくらいの量を捌いてるの?」

「ここの倉庫が九十樽で満杯になるんですよぉ。帳簿を見れば一目瞭然だけど、そうですねぇ…月に六十樽ぐらいは売れてるんじゃないかなぁ?」

「…六十⁉︎…こんな小さな村で?」

「えとですねぇ、近くにイェルマっていう大きな都市?国?…があるんですよ。そこにも卸してるんでっ!まぁ、そのうち…倍の百二十とか、売りたいですねぇ…。」

「え…それって、需要も供給もキャパを超えてるんじゃ?」

「嫌ですねぇっ!砂漠から来る商人…東世界に売るんですよぉ〜〜っ‼︎冬になったら『砂漠交易路』が使えなくなりますけど…何人かの商人に声を掛けましたから、うまくいけば来年の秋ですかねぇ…。ワインは高温に弱いから、冬直前に何とか中継地点のオアシス国家マーラントまで運び込めたら良いですねぇ。」

 おおお…この女の子はワインの販路の拡大もやってるのか!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ