二百二十七章 対刺客鍋蓋作戦 その1
二百二十七章 対刺客鍋蓋作戦 その1
野ウサギが残り少ない牧草地の草を食んでいると、何かの気配を感じてパッと飛び跳ねた。その瞬間、長細い針がウサギの腹を貫いて、地面でもがいているウサギをカーマインが拾い上げてポキッと首を捻った。
「まあまあのウサギね。」
カーマインは時折、「ウルフノーズ」で風上から流れてくる臭いを探り、包囲しているホイットニー一族を警戒していた。
「こいつら…べったりくっついて離れないわねぇ…。」
カーマインがウサギをぶら下げてキャンプに戻ると、ジェイソンが渋い顔をして言った。
「…カーマイン、お前の毒針で殺したのか…それ、食えるのか?」
「バカねぇ。毒にも色々あるんだよ…これはヘビから取った毒だから、血管に入らない限りは大丈夫だよ。毒は胃袋で消化されちまうよ。」
鍋をかき回していたザックが言った。
「ウサギ…早く捌いてこの中にぶち込め。…さっさと食って、リーンに行くぞ。」
ロイが言った。
「ザック、あいつらに囲まれたまま、このまま進むのか。あいつら…結構強かったよな。包囲して攻めてこないなんて、ちょっと不気味じゃないか?」
「襲ってこないなら、それはそれでいい。俺たちは体力のあるうちに、最速でセレスティアのいる『セコイアの懐』の村に潜入する。村に潜入してしまえば俺たちの独壇場だ。目標がほんのわずかでも隙を見せてくれれば、目標を殺して離脱する…それだけだ。」
クレルが言った。
「セレスティシアって、『黒のセレスティシア』だろ?バケモノ並みの大魔道士って情報だ。…殺れるのか?」
ザックは続けた。
「俺はこう思ってる…セレスティシアは年端もいかないエルフの少女だって情報もあるんだ。デイトンの敵前逃亡は偽情報だった。つまり…セレスティシアは情報を操る術を持っているんだ。おそらくはリーンに潜り込ませたラクスマンのスパイはみな、セレスティシアの軍門に下ったのだろう…。そうなるとだ、セレスティシアがバケモノか、ただの少女か…リーンにとって都合の良い情報こそが偽情報だ。それにだ、バケモノでも魔道士は魔道士…暗殺が生業の俺たちとは相性はいいだろう?」
「…だな、ザックの言う通りだ。」
食事を済ませた刺客たちは、馬に乗って一路「セコイアの懐」を目指して、茶色の草原を疾走していった。
対刺客作戦本部のリーン会堂。
情報担当のティルムが新しい情報を伝えた。
「ハックから『念話』が来ました。刺客たちは馬でまっすぐこちらに向かってます。」
ヴィオレッタはハーブティーを啜りながら言った。
「予定通りですね。スクルさん、刺客たちは、あとどれぐらいで絶対防衛線に到達しますか?」
スクルとタイレルは周辺地図を見ながら答えた。
「そうですね、到着予定は今日の夕方あたりですね。」
ヴィオレッタは、「セコイアの懐」の村の手前100m付近を絶対防衛線としていた。
「では、そろそろ動かしましょうか…武装兵百名、二列横隊で絶対防衛線へ向かわせてください。同じく伏兵として左右にそれぞれ百名…移動を開始してください。二百名は予備戦力として防衛線の後方に待機です。」
ヴィオレッタの対刺客鍋蓋作戦が開始された。
ホイットニー一族は刺客たちを半包囲して、まっすぐリーンに進むように誘導する。誘導された刺客たちは身を隠す場所のない草原で、金属鎧を装備したリーンの武装兵団百名と正面衝突する。多分、刺客たちは武装兵団を回避しようと、右か左に迂回するだろう。だが、左右にも同じ武装兵団の伏兵百名を待機させている。「鍋」の中で逃げ場を失った刺客たちは…ホイットニー一族の包囲網を破って、なんとか後退を試みるだろう。だが、そこでヴィオレッタはもう一枚…「蓋」を用意していた。
マットガイストの族長ザクレンは首都バクレンの野戦病院ににいた。野戦病院といっても負傷者を収容するだけのただの建物である。
そこではマットガイスト族長区に最近新設されたセコイア教会堂から呼ばれた教会主のグラウスが刺客たちによる負傷者の手当てに当たっていた。その様子を見ながら、ザクレンはグラウスに謝意を示していた。
「グラウス、すまんな…助かったよ。なにせ…マットガイストにゃぁ、治癒魔法『神の回帰の息吹き』を使えるヤツはいねえからなぁ…。」
「いえいえ、感謝はセレスティシア様に仰ってください。セレスティシア様はリーン連邦の民が安心して生活できるように、常に心を砕いておられます。マットガイストに教会を作り私がすぐに駆けつけて来られるのも、こうしたことを予想してのことですよ。それより…ザクレン様の傷も診ましょう。」
「俺のはいい。俺は純粋なレッサーデーモンだからな…この程度の傷はすぐに治っちまうからな。」
「そうですか。」
感謝はセレスティシア様に…それができないザクレンだった。グラウスには素直に感謝の意を示すことができるのに…なぜか、セレスティシアにはそれができない。リーン連邦の盟主を争っているライバルだからか?それとも…自分でも知らないうちに、セレスティシアに一目置いているからか?
その時、ザクレンの頭の中に言葉が響いた…「念話」だ。
(…ザクレン…ザクレン…様…。…ギガ…ギガレス…です。)
ザクレンはその言葉を聞いて、あまりの驚きに血の気が引いてしまった。そして、すぐに「念話」を返した。
(ギガレス…本当にギガレスなのかっ⁉︎お前、生きていたのか…生きていたのなら、なぜ、知らせて来なかったんだっ⁉︎い…今、どこにいるんだっ‼︎)
(…ラクスマンと…マットガイストの…国境…検問所…。)
ザクレンはグラウスに「急用ができた、失敬!」と言って、取るものも取らずに馬に跨った。
ギガレスはザクレンと同じ純粋なレッサーデーモンで、マットガイスト軍では師団長…その強さと賢さで、ザクレンの右腕を務めていた男だ。ザクレンはその漢気に惚れ込み、義兄弟の盃を交わしたほどの男である。だが、五十年前のラクスマンとの苛烈な戦闘の中、消息を絶ってしまったのだった。
ラクスマンとマットガイストの緩衝地帯のマットガイスト側の検問所。
ザクレンが到着すると、そこにはマットガイストの衛兵によって留め置かれた一台の馬車があった。馬車の側には不気味な覆面をした三人の男がいて…その中の大柄の男がザクレンを見とめて近寄ってきた。
ザクレンの頭で「念話」が響いた。
(…お久し…ぶり…です…ザクレン…様…。)
「お前…本当にギガレスかっ⁉︎なぜ、喋らない?なぜ、『念話』を使うんだっ!…その被り物をとって、顔を見せろやっ‼︎」
(…ラクスマンに…ご…ごご、拷問を受けた…みんな…潰された…顔…見て欲しくない…)
「え…拷問っ?…みんなって…⁉︎」
ザクレンは思い余って…ギガレスの覆面を無理やり剥ぎ取った。ギガレスは呻き声を上げて両手で顔を隠し、その場にうずくまった。
ザクレンは悶絶の声を上げた。
「…な…何てことをおおぉぉ〜〜〜っ…‼︎」
ギガレスの顔には目と耳は無かった。その代わりに…火傷の後のケロイドだけがあった。口はかろうじてあったが、ケロイドの中に裂け目がある…その程度だった。レッサーデーモンの誇りとも言える二本の角は…根元からヤスリか何かで切断されていた。
その場に泣き崩れそうなザクレンに、覆面の小男が言った。
「…酷な事をするのぉ。ギガレスはお前さんだけにはこの顔を…情けない姿を見られたくなかったのだ…。だから、生きておることを伏せておったのに…。儂は見ておったよ…儂の足の指を四本ほど切り落とされた頃だったかの…奴らは捕虜になったギガレスの両目、両耳、口に煮えたぎった水銀を流し込んだのじゃ…。それでも、こいつは何も喋らんかったよ。レッサーデーモンでなければ死んでおったな…大した男じゃのぉ…。」
ザクレンはうずくまるギガレスの背中に抱きついて…泣いた。
「うおおおぉ…義兄弟よぉ〜〜…許してくれぇ〜〜ぃ!すまんかったあぁ〜〜…」
それを見ていたレヴィストールはパニックを起こしていた。
「ひいぃ〜〜…俺の覆面は剥がさないでくれぇ〜〜!剥がさないでくれぇ〜〜っ、俺の顔は見ないでくれえぇ〜〜っ…‼︎」
そう叫んで、レヴィストールはポットピットの小さな背中の後ろに隠れた。ポットピットはレヴィストールの頭を子供のように優しく撫でながら言った。
「で…じゃ、儂らはこの先に用がある。ギガレスのこの顔に免じて…儂らをこのまま通してくれんかな?」




