二百十八章 ルカの都見物 その2
二百十八章 ルカの都見物 その2
ルカはユーレンベルグ男爵の客間のベッドの上で目覚めた。
「うおっ…ここはどこだ⁉︎」
ルカが見回すと…ベッドを囲んでいる薄いサテンのカーテンが視界を遮っていたので、それを掴んで引っ張るとカーテンはいとも簡単に引きちぎれてしまった。
「な…なんだ、こりゃぁ…?」
ルカは柔らかいベッドから起き上がって部屋の中を歩いた。見たことがないような綺麗な調度品が部屋のいたるところにあったので、ルカはワードローブの引き出しを開けてみたり、クローゼットの扉を開けてみたりした。
ふと横を見ると、楕円形の大きな姿見に自分が映っていた。
「うほっ…!」
ルカは丈の長いモスリンのピンクのネグリジェを着ていた。
その時、扉をノックしてキャスターを押したメイドが入ってきた。
「お客様、お目覚めですか?…これをどうぞ。」
メイドはキャスターの上のコップをルカに手渡した。ルカはそれをぐいっと飲んだ。
「む…苦い、何だこれは⁉︎」
「酔い覚ましのハーブティーでございます。」
「酔い覚まし…?」
ルカは次第に昨日の事を思い出した…ああ、そうか、ワインをたらふく飲んで酔い潰れてしまったのか…。
「お客様、洗面道具をお持ちしました。あちらで顔をお洗いください。」
「いらんっ!それよりもだなぁ…カネをくれ、金貨十四枚だっ‼︎早く帰らないと、ベレッタの癇癪が爆発するんだっ‼︎」
「一階のダイニングで男爵様がお待ちです。多分、お金は…」
それを聞くと、ルカはメイドを置き去りにして早足でどんどん歩いて一階に降りていった。
ダイニングに入ると、ユーレンベルグ男爵と冒険者が朝食のベーコンと卵を食べていた。
「おう、オッサンッ!金貨十四枚…早くくれっ‼︎」
ユーレンベルグ男爵はベーコンを頬張りながら、執事に合図をした。すると、執事が皮袋をルカに手渡した。ルカはすぐに中の金貨を数えて確認した。
「確かに…では、私は帰る。私の皮鎧と服はどこだ⁉︎」
「ちょっと待って欲しい…。」
ユーレンベルグ男爵が頭を抱えながら…懇願するように言った。
「…色々と気忙しい事が山積していてな…妻を亡くしたハインツは気落ちして部屋に籠ったままだし、そのせいでティアークのワインの流通も滞りがちだ。今回のことで…コッペリ村にいざという時の連絡網がないことの不便さを痛烈に思い知った…」
ユーレンベルグ男爵の次男ハインツとその妻が熱病にかかり危篤状態だったが、何とかハインツは一命を取り留めたものの…妻は助からなかったのだった。
「こらっ、何を喋っているんだ⁉︎…さっぱり分からんっ!」
「ああ…これはすまない…。要するにだ、もうひと晩待ってくれないか?カネは余分に出す。今、ちょいとある筋と交渉中なのだ。交渉次第では、君たちの帰りの便にある男を便乗させたい…コッペリ村まで連れて行ってくれ。」
「なるほど…理解した。しかしだなぁ、ベレッタが何と言うかだな。待たされるのが何を差し置いても大嫌いな奴だからな。」
「どうしたものかな…。」
ルカはテーブルの上に置いてあるワインのボトルを見て、グッドアイディアを思いついた。
「使いを出してくれ…」
「それはもう…」
「その使いに山ほどワインを持たせてやってくれ。」
「ん?」
「ベレッタは無類の酒好きで…特にワインは大好物だ。ワインさえその場に置いておけば、半年でも一年でもそこから動かないだろうよ。」
「わははははっ、そうか、分かった。では、そうしよう…二人は屋敷でゆっくりくつろいでくれたまえ。」
朝食を食べ終えた冒険者が言った。
「お心遣い、ありがとうございます。しかし、俺はすぐに冒険者ギルドに帰って、事の顛末を報告しないといけない。これで失礼しますよ…」
ルカが冒険者の言葉に興味を示した。
「冒険者ギルド…何だ、それは?」
「冒険者で集まってグループになっているんだ。それで、みんなで協力したり助け合ったりする組合を作っているんだよ。」
「面白そうだな…私も連れて行け。一日じゅうここにいてもつまらんからな。」
ルカたちの馬車はティアークの冒険者のギルド会館前に停まった。
二人がギルド会館に入ると、そこには野郎どもが溜まっており、朝っぱらからビールをあおっている輩もいた。
ルカを連れてきた冒険者はすぐに受付嬢のレイチェルのいるカウンターに行ってしまった。
ルカが右手に持つ大きな槍…方天戟が冒険者たちの興味をそそったようで、注目が一斉に集まる中、ルカは冒険者たちの視線を睨み返して思った。
(イェルマとは逆で、男ばかりだな。…女の冒険者というのはいないのか?)
女を探すルカの視線と、ひとりの冒険者の視線がカチリと合った。冒険者は驚嘆のあまりビールを宙で止めたまま、口をぽかんと開けていた…ヒラリーだった。
ヒラリーは思わず大声で叫んだ。
「ああ〜〜、ルカ師範…何でここにっ⁉︎」
「おおっ…お前、見たことあるぞ!えと…名前、何だっけ…?」
「酷いなぁ…。ヒラリーだよ、イェルマでベレッタ師範と二人で稽古をつけてくれたじゃないですかぁっ!」
「おおおうっ!あの時のレイピア使いか、思い出した‼︎」
ルカはすぐにヒラリーの横に移動していき、どかっと腰を下ろした。そして、自分がここにいる経緯をかいつまんでヒラリーに聞かせた。
すると…男の冒険者がルカとヒラリーを遠巻きにして集まってきてた。
「ヒラリー、お前の知り合いか?…いい体格をしてるな、どっかの女冒険者か?」
「んんん…この人は冒険者じゃないよ。どっちかと言うと…傭兵に近いのかな。」
「何いぃっ、傭兵だと⁉︎」
冒険者と傭兵は仲が悪い。それに気づいたヒラリーはすぐに訂正した。イェルマについて詳しく説明すれば済む話なのだが…国によって情報統制がなされ、その上オリヴィアたちがお尋ね者になっている状況を鑑み、イェルマに関しては極力内密にしようとギルマスのホーキンズと申し合わせていたのだった。
「…語弊があった。この人は純粋に兵士だよ、私なんか足元にも及ばないぐらい強いぞ。ダフネやオリヴィアと同じ郷里の仲間だと言ったら伝わるかな…お前らが束になっても敵わないだろうね。」
ヒラリーの言葉がルカの虚栄心をくすぐって心地よく響いた。
ニコニコしているルカに、お調子者の若い冒険者数人が詰め寄って来た。
「へえぇ〜〜、ヒラリーさんより強いって?でも、槍を持ってるってことはランサーだろ?強いランサーの冒険者なんて今まで会ったことないけどなぁ。」
ヒラリーのいたずら心に火が点いた。
「ルカ師範!こいつら、ランサーは弱い職種だって言ってるよぉ…ちょっと揉んでやってくださいよ‼︎」
「何だとぉ〜〜…分かった!お前ら、相手してやるっ‼︎」
ヒラリーはくすくす笑いながら、さらに続けた。
「負けた奴は、ルカ師範と私にビールの大ジョッキ奢れよ!」
ルカが言った。
「…ワインがいいな。」
「師範、ギルド会館にはワインは置いてないんだ…ごめん!」
「むむ…そうか。」
それを聞いていたレイチェルは顔色を変えて、すぐに二階に駆け上がっていった。
ギルド会館の中庭に移動したルカは、立て掛けられていた一番大きな棍棒を手に取ると中庭の真ん中で仁王立ちした。五人の若い冒険者が、それぞれ模擬刀や刃を潰した斧を持って対峙した。ギルド会館の冒険者たちは窓にへばりついて、様子を窺っていた。そこには、たまたま来ていた極楽亭の店主ヘクターと少年ジョルジュの姿もあった。
「いつでもいいぞっ、ほら来いっ!」
ルカの言葉に、盾とロングソードを持った若者が歩み出て構えた。若者が一歩前に出た瞬間…
ドガンッ!
ルカが棍棒を強烈に盾にぶち当て、若者の盾はあさっての方向に飛んでいってしまった。
「えっ…?」
呆気に取られている若者のロングソードに、さらにルカは棍棒を接触させグルンと巻き上げると、これもあさっての方向に飛ばしてしまった。
「おいっ、若造!全然なっとらんな、出直して来いっ‼︎」
盾と斧を持った若者が前に出てきて、ルカが棍棒を構える前に…すぐさま斧で殴り掛かっていった。
(…ランサーの弱点は近接戦に弱いことだ!)
だが、ルカは体を捻ってその斧をひょいと躱し、前に踏み込んだ若者の向こう脛を蹴飛ばした。
「うごああぁ〜〜〜〜っ‼︎」
若者は激痛で地面を転げ回った。
「おいおい…脛も鍛えてないのかぁ〜〜、話にならんな…次ぃっ!」
前の二人を見ていた次の挑戦者はすでに腰が引けていて…ツーハンドソードがふるふると震えていた。
「おおっ、お前はツーハンドを使うのか。その心意気や良し!遠慮なくスキルを使って来い!」
「い…いや、スキルなんか覚えてません…。」
「な…何だとおぉ〜〜っ⁉︎…おい、ヒラリー、お前の仲間は腑抜けばかりか?」
ビールを飲んでいたヒラリーは、突然矛先が自分に向ってきたので慌てて弁明した。
「うはっ…その…こいつらは冒険者になったばかりで…面目ない。」
業を煮やしてルカは言った。
「ええいっ、ウォーミングアップにもならん…三人まとめてかかって来いっ!」
もう…練習試合ではなく、三人の若い冒険者にルカが稽古をつけてやっているという感じになった。突っ込んでくる三人の武器を棍棒でいなし、盾を弾き、足を払い…三人はすぐにへとへとになって、戦意を喪失してしまった。
それを窓から見ていた冒険者たちは、ゲラゲラ笑う者や、ルカの圧倒的な強さに感心する者など、ギルド会館にちょっとしたセンセーションを巻き起こしていた。
レイチェルの一報を受け、いつの間にかそばに来て見ていたギルマスのホーキンズがヒラリーに小声で話し掛けた。
「あれがお前が言っていた『オリヴィア級』のイェルメイドか?」
「うん…何をやっても勝てなかったんだよねぇ。イェルマには、あんなのがごろごろいるらしいよ。ああ〜〜…くわばらくわばら。」
すると…
「駄目だ、こいつら。おいっ、ヒラリー…こっち来て私の相手をしろっ!」
「ああ…私ももう、酒が回っちゃってダメです…師範もこっち来てビール飲もうよ、こいつらの奢りだよ。」
「ビールごときで酔うとはだらしないなぁ…仕方ないな。」
ルカが中庭から移動してくると、冒険者たちが寄って来た。
「ルカ、俺のパーティーに来ないか?一緒に冒険しようぜ!」
「いや、俺のところに来いよ。あんたみたいな強い前衛を探してたんだ!」
「いっそ、俺の嫁になれよ!」
どさくさに紛れてプロポーズをする男を含め…群がる男たちに驚いたルカは、大声を出して威圧した。
「何だ、何だ…寄るな男どもっ!」
まずい!と思ったヒラリーが間に割って入った。
「ルカ師範はまだ冒険者登録してないから…登録が終わったらまた来て!」
男たちはぶつぶつ言いながら散っていった。
ヒラリーがルカを再びテーブルに座らせると、対面の席にはホーキンズがいた。ホーキンズはルカに話し掛けた。
「初めまして、ルカさん。私は冒険者ギルドのギルドマスターをしているホーキンズと申す者です…」
「ん…ヒラリーの知り合いか?」
ヒラリーは苦笑いをしながら言った。
「冒険者ギルドで一番偉い人だよ。ルカ師範に話があるんだってさ。」
バーテンダーがビールの大ジョッキを持ってきた。ルカはそれをぐいと飲んで言った。
「ビールを飲んでいるので、話は手短に頼む。」
「ルカさん、冒険者登録をしてくれ。」
「それは私にとって必要なことか?」
「必要ではない…どちらかと言うと、我がギルドにとって必要なことかな。ルカさんみたいな強い人が他のギルドに行くのを懸念して…かな?」
「私は明日にはイェルマに帰ってしまうぞ。」
「登録だけでいいんだ。強い冒険者がいるっていうだけで、他のみんなの士気も上がる。さっきのように、練習試合で若い連中の鼻をへし折って、上には上がいると示してくれただろう?…冒険者たちの目標になってもらえれば、こいつらのモチベーションになる。」
ルカは無言でビールを飲んでいた。ホーキンズはやれやれという顔をしていたので、ヒラリーがちょっと思考を巡らせて…言った。
「イェルメイドで冒険者登録をしているのは、ダフネ、アンネリ…オリヴィアぐらいかな…?」
ルカの目つきが変わった。ルカはジョッキを置いて、ヒラリーの方に向き直った。
「何…オリヴィアは冒険者登録をしているのか?」
「うん、してる。登録すると、いろいろと良い事があるよ。」
ルカは考えた。
(…う〜〜む。オリヴィアはイェルマに帰ってきた時、新しくスキルを二つも更新していたと聞く…。もしや、冒険者登録のせいか?)
はっきり言って…ルカは「冒険者」とか「登録」とか、全く理解していなかった。「冒険者」…酔狂者の集まりか?「登録」に至っては、何かしらのまじないか験担ぎにしか思っていなかった。
「…分かった、登録しよう。」
ルカの気が変わらないうちに登録を済ませようと、ホーキンズはすぐにレイチェルを呼び書類を持って来させた。
レイチェルが言った。
「銀貨一枚を頂きます。」
「何いぃ〜〜っ、銀貨一枚だとおぉ〜〜?それだけありゃ…ワインを六杯飲んでお釣りがくるじゃないかっ!やめたやめたっ‼︎」
ホーキンズが慌てた。
「あああ…私が立て替えよう。ワインなら六杯でも十杯でも、私が奢ってやるさ。どうだい、登録が済んだら向かいの極楽亭に行こう、そこならワインが飲めるぞ。」
「そうか、分かった。」
ルカはレイチェルから差し出された冒険者登録書に…「名前ルカ、職種ランサー、出身地イェルマ」と書いた。「イェルマ」という文字列を見て、レイチェルは戦々恐々となった。ホーキンズはレイチェルに言った。
「レイチェル、その書類はしっかりと保管しておきなさい。」
「わ…わっかりましたっ!」
ホーキンズは、その書類は誰にも見せるな…と暗に匂わせた。レイチェルはその示唆をしっかりと受け取って、書類を大事に抱えて受付カウンターに戻っていった。
そうして、ルカ、ヒラリー、ホーキンズの三人はギルド会館から向かいの極楽亭へと移動した…ルカを自分のパーティーに招きたい数人の冒険者たちと共に。




