表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦乙女イェルメイド  作者: 丸ごと湿気る
211/504

二百十一章 試武 その2

二百十一章 試武 その2


 「発勁」とは上級の空手家やボクサーなどの格闘家が持っている技術である。上級者はその説明を受けなくても、長年の経験で最も効率の良いパンチの出し方を体で覚えていて、無自覚に使っている人も少なくない。

 「腰の入ったパンチ」と言うのがある。これは十分に腰をひねる…つまり背筋を強力に回転させて打ったパンチのことであるが、これだけでは「発勁」と呼ぶには不十分である。発勁を使いこなすポイントは…肩甲骨から肩に至るの筋肉の使い方にある。

 素人は相手により強いダメージを与えようとして、この筋肉に常時力を込めるが…逆なのである。人間の筋肉及び腱は…言わば「ゴム」である。この筋肉の弾力性を十分に活用した打撃こそが「発勁」である。筋肉に力を込めて収縮させてしまうと「ゴム」のような弾力性は失われてしまう。

 まず、肩の筋肉を脱力する。その状態で拳を脇の下に構え勢いをつけてテイクバックすると、一度後ろに振れて筋肉繊維が伸びる。伸びた筋肉繊維はその弾力性で元に戻ろうとする。その…元に戻ろうとする瞬間に筋肉繊維を収縮させる…肩の筋肉に力を込めると、伸びた筋肉繊維の復元力が倍化され、そこに背筋の捻りの力を上乗せすると、強大な瞬発力を生むことができる。この力で腕…そして拳を「射出」するのが「発勁」である。拳を突き出すのではない…拳を飛ばしてスピードを与えるのである。この動作が出来るようになれば、後はこの動作をより小さく、瞬時に行えるようにしていく。

 野球のピッチャーはボールという比較的重量の軽い物体を肩を軸にして、腕を鞭のようにしならせて投げる。これがボールという物体にスピードを与える最善の方法だ。だからと言って、この方法で砲丸投げの選手が砲丸を投げたら…肩関節を脱臼してしまう。砲丸という重量の重い物体は、肩に構えて肩の弾力を利用しつつ弾みをつけ、体の回転と背筋の力でスピードを与え遠くへ飛ばすのである。これと同じで、拳(と、それにくっついている腕)にスピードを与える方法として肩の筋肉の弾力を使うのは最善の技術なのである。

 問題は拳が相手に命中した瞬間である。物理学には「作用・反作用の法則」というものがある。

 拳が相手に命中した瞬間、拳の運動エネルギーは波動エネルギーとなって相手の体じゅうに伝播する。伝播した波動エネルギーは細胞レベルで反射し、必ず拳に帰ってくる。このエネルギーの往復を一瞬のうちに何度か繰り返す。それによって拳は反対方向に跳ね返ろうとする。ここで拳が跳ね返ってしまうと、そのことによってエネルギーの往復が途絶えてしまい、拳に帰ってきた分の運動エネルギーは二度と相手に伝わらない…つまり、拳の衝撃が半減してしまうのだ。相手に全てのエネルギーを吸収させるためには拳は跳ね返ってはならない。

 そこで、拳が相手に命中した瞬間、上腕二頭筋の力で腕で拳を支える、または押し込むのである。だが、理屈の上では分かっていてもそれを実践するのは非常に難しい。相手が遠すぎればもちろん拳は当たらないし、近すぎれば腕はくの字になって拳を支えるほどに伸び切らず、逆に衝撃を吸収するクッションになってしまう。相手は常に前後左右に動いて、動きを止めてこちらの「発勁」を待ってくれる敵など存在しない。さらには、拳を腕で支えることができたとしても、帰ってきた波動エネルギーが拳と腕を伝ってきた時、上半身や下半身の筋力不足でのけ反ったり後ろに動いたりするとやはり「発勁」は失敗に終わる。そのために、「発勁」を打つ時の正しい姿勢や作法があり、それを訓練するのである。

 「寸勁」は発勁の上級技術で、「暗勁」に分類される。二つの違いは到って単純で、見て分かるか分からないかである。

 「寸勁」と「明勁」は技術的にはほぼ同じだが、違うのは「明勁」は「拳」を飛ばすが、「寸勁」は「腕」を飛ばす。

 「明勁」が拳を腰に構えて、または胸の前に構えて打ち出すのに対し、「暗勁」は両腕を前に伸ばし、心持ち肘にゆとりを持たせた状態で行う。拳が相手に触れるか触れないかというゼロ距離で腕を伸ばし切り、背筋と肩の「ゴム」の力で一気に腕全体を「杭」にして打ち込む。

 この方法の利点はいくつかある。まずは相手との距離が非常に短いので相手は回避しにくく命中しやすいこと。すでに腕は伸び切っているので肘関節がクッションになるという失敗がほぼ起こらないこと。拳に加えて腕も一緒に射出されるので質量が大きくなり、威力が増すこと…だ。そのため、相手が防具を装着していたとしても、その防具をも変形させて相手の体にめり込む…これが「浸透勁」とも呼ばれる所以である。

 武術の達人が「寸勁」に限らず、「発勁」を使用した時…一瞬体をぶるんと震わせたように見えるのは、体じゅうの筋肉を弛緩させ、そこから一瞬のうちに収縮させて「ゴム」の復元力を最大限に利用しているからだ。これによって、達人は拳のみならず、腰や肩の「発勁」で相手を弾き飛ばしたり、捕まえられていても跳ね除けたりすることができる。これは「とう勁」とも呼ばれる。


 タマラはオリヴィアの「寸勁」のダメージを回復すべく、逆式呼吸をして呼吸を整えた。そして、洪拳の時よりも両足の間隔を狭くして、猫足立ちのように両太腿を内側に締め…両腕を前に伸ばして構えた。

 オリヴィアは早期決着を目指して、すぐに追い討ちを仕掛けた。すると、タマラはオリヴィアの拳撃や蹴りを前に突き出した両のかいなで的確に捌いていった。

(む…タマラめっ!詠春ウィンチュン拳に切り替えてきやがった…。)

 徒手拳法の通常の構えは左手を前に置いて防御に備え、右手は胸の近くに置いて攻撃に備える。しかし、詠春拳では両腕を前に出して正中線をほぼ隠すため、相手は攻撃しづらい。そしてそのまま間合いをどんどん詰めていって、振りかぶらずに小刻みかつ素早い攻撃を繰り出す拳法だ。

 オリヴィアは秘宗拳で攻撃するも、ことごとく防御され、逆にタマラの拳がオリヴィアの顔面、胸、腹に命中するようになってきた。

(ぐふっ…こ、これは…⁉︎)

 オリヴィアにはタマラの拳撃の衝撃が以前よりも重く、そして痛く感じられた。オリヴィアは不思議に思った…「寸勁」であれば打つ瞬間に「抖勁」のような体を震わせる動作があるはずだが…それがない。…なんだ、これは?

 オリヴィアの迷いに乗じて、タマラはどんどんと前に出てきて、左右の拳をオリヴィアに当てた。

 オリヴィアは堪らずに一度大きく間合いをとった。そして、切れかかっている「鉄砂掌」「鉄線拳」「軽身功」を再発動させた。タマラもまた「鉄砂掌」「鉄線拳」を再発動させた。

(ん?…タマラのヤツ、発動が二つだけ…?)

 いろんな疑問はあったが、それを突き詰めようとするオリヴィアではなかった。オリヴィアは遠間から、タマラの頭目掛けて飛び蹴りを敢行した。…まぁ、避けられるだろう…だが、「軽身功」のスキルで遠間から遠間へとジャンプしていけば蹴りが当たらなくてもタマラの攻撃範囲には入らない…。

 オリヴィアの踵がタマラの顔面を蹴り砕こうとした瞬間、タマラは後方に背中から倒れ込みながら、右足でオリヴィアの臀部を蹴り上げた。タマラはそのまま背中で受け身をして仰向けになり…それとは反対に、オリヴィアは空中でバランスを崩してもんどり打って地面に叩きつけられた。

「ぎゃふんっ!」

 追い討ちを警戒して、オリヴィアがさっと立ち上がって構えると…タマラは倒れたままで、右足だけを挙げてオリヴィアに向けていた。

「おにょれぇ〜〜…地躺ディタン拳かぁ〜〜…!」

 地躺拳とは地面の上を転がったり伏せたりしながら、相手の虚を突いて戦う特殊な拳法だ。

 地躺拳を使って地に伏しているいるタマラに、制空圏を支配するオリヴィアの「軽身功」は効果はない。

 オリヴィアがじりっじりっと間合いを詰めてくると、タマラはピョンと飛び起きて再び詠春拳の構えをとった。そして…二人は壮絶な拳の撃ち合いを始めた。

ドッ、バッ…ドスンッ…ドッ、ドンッ…

 オリヴィアは「こんな筈では…」と焦って、ひたすら左右の拳を高速でタマラに打ち込んだ。より強力な一撃を喰らわせようと大振り気味のオリヴィアの攻撃をタマラの詠春拳は正中線の外にテンポ良く弾き出し、オリヴィアの攻撃が緩むと防御と同じリズムで反撃して返した。

 タマラの攻撃をオリヴィアもうまく防いだが、タマラの拳は腕や脇腹をかするだけでも筋肉をえぐるようで激痛が走った。

(…何だ、このタマラの拳は…⁉︎めちゃ痛い…‼︎)

 二人の攻防はしばらく続いた。オリヴィアは何度も「寸勁」を試みたが…タマラはうまく防いでとにかく当たらない。息を荒くして攻め立てるオリヴィアに対し、まだ体力に余裕があるタマラは「はっ!はっ!はっ…」と規則正しい呼吸に合わせて動いていた。オリヴィアは切れ掛かっていた三つのスキルを再発動させ、タマラは詠春拳の攻撃にあまり影響しない「飛毛脚」のスキルは発動させず、他の「鉄砂掌」「鉄線拳」のみを再発動させた…スキルは体力を消費するので、タマラは体力の節約…ペース配分をしていたのだ。

 詠春拳の特徴でもあるのだが、タマラの攻撃と防御は一定のリズムを保ち 愚直だが途切れることがなく…相手が戦意を失うまで続く。オリヴィアの息が上がって攻撃の手を緩めると、畳み掛けるようにタマラの左右の拳がオリヴィアの胸を捉えた。

ドドンッ!

「ぐはっ…‼︎」

 胸にもらった二発のクリーンヒットは、疲弊したオリヴィアには深刻だった。オリヴィアの天才の直感が警鐘を鳴らしていた。

(…激やばいっ…次で決めないと体力が持たない…‼︎)

 オリヴィアは一か八か、タマラの出足に合わせて…「迎門三不顧」を撃った。タマラは…「迎門三不顧」を待っていた。

(…来たかっ!)

 タマラは突然沈み込んで「太極タイチー拳」の「跌叉てっさ」の蹴りをオリヴィアの踏み込み足のすね目掛けて蹴り込んだ。

 「跌叉」とは尻餅を突くようにして姿勢を低くし、相手の攻撃を回避しつつ脛蹴りを浴びせる技である。尻餅といっても、障害走でハードルを飛び越す姿勢のように片足をくの字に曲げているのですぐに立つことができる。

 「迎門三不顧」の衝撃は尾骨を通ってタマラの脳を揺らした。しかし、大臀筋がショックアブソーバーとなって…一瞬の目眩を感じる程度で済んだ。

 オリヴィアは脛を鍛えていたので脛蹴り自体の痛みはさほどなかったのだが…蹴られた右足のふくらはぎのヒラメ筋がビクビクっと波打った。

「…痛ででででっ‼︎」

 タマラは立ち上がると、痛みを堪えて棒立ちになっているオリヴィアの胸に「洪拳」の胡蝶掌を打ち込んだ…これが止めとなった。

 「迎門三不顧」を発動させて体力をほとんど使ってしまっていたオリヴィアは真後ろに吹っ飛んで…そのまま失神した。オリヴィアのしぶとさをよく知っていたタマラが仰向けのオリヴィアの顔面に「太極拳」の撃地捶を見舞おうとしたその時…

「タマラ、そこまでだっ!」

 ジルの声が掛かって…試武は終了した。

 マーゴットに促されて、隣にいたアナがオリヴィアに駆け寄った。

「魔道士の方、ヒールお願いします!メイ、アビゲイル、ネル…小刀でオリヴィアさんの服を…‼︎」

 アナはすぐに神聖魔法「神の処方箋」を施した。神官見習いの三人はオリヴィアの衣服を小刀で素早く切り裂いて、患部が見えるようにした。オリヴィアの腕や胸、腹部にたくさんの赤や青、紫の小さな丸いあざが見受けられた。

「こ…これは⁉︎」

 そうなのである…これが「把子拳」の正体だった。

 通常、拳で攻撃する時、手を握り込んで人差し指と中指の第一関節の二点で殴る。しかし、「把子拳」は人差し指の第一関節の一点のみを使用する。そのため、理屈の上では相手に与えるダメージは倍になり、その上貫通力が増すことで打たれた者は肉を抉られるような激痛を伴う。

 ただし、タマラのように長年に亘って拳を鍛えている者でないとこの口伝を使うことはできない。さもないと、拳を骨折してしまうからだ。

 アナの神聖魔法と魔道士たちのヒールでオリヴィアは意識を取り戻した。

「痛ででででででぇ〜〜っ…アナ、ふくらはぎ、ふくらはぎぃ〜〜…!」

 アナはオリヴィアのふくらはぎに神聖魔法「神の回帰の息吹き」を吹きかけた。

「あああぁ〜〜…気色ええぇ…。」

 すると、ジルとマーゴットがオリヴィアのそばにやって来て、そして言った。

「試武の結果はお前の負けだ。オリヴィア、お前はまたペース配分で失敗したのだな。…二年前とちっとも変わってないねぇ。」

 それを聞いたオリヴィアは我に返って絶叫した。

「うわああぁ〜〜…あっ、三本…三本勝負にしましょっ!…ねっ、ねっ⁉︎」

「往生際が悪いぞ、オリヴィア。決死状に署名したであろうが!お前も武闘家の端くれなら…約定を違えるような事はよもやするまい…?」

「ううう…。」

「これで晴れてお前も武闘家房の副師範だな。」

「ううう…それは勘弁して欲しいぃ〜〜…」

 ジルが近づいてきてオリヴィアの耳元で囁いた。

「…副師範であれば、イェルマ橋駐屯地の隊長を任せることができる。…週一ぐらいでねじ込んでやれるんだがな…。」

「…ん…どゆこと?」

「くっ…察しが悪いな。駐屯地はコッペリ村の目と鼻の先であろうが!」

「…あっ‼︎」

 オリヴィアはすくっと立ち上がり、ジルに敬礼して叫んだ。

「ジル様!…不肖オリヴィア、謹んで副師範を拝命いたしますデスッ‼︎」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ