二百八章 神官房の客
二百八章 神官房の客
神官房が始動して、数日が経った。
アナは毎日、規則通りの日々を過ごしていた。午前中はベネトネリス廟での祈祷、掃除、そして講堂に移動して神学の勉強。午後は菜園を作って、とりあえず大根とジャガイモを植えてみた。日が落ちると、再び講堂で勉強して、廟で夜の祈祷をして一日を終えた。
食事も食堂に頼らず、質素ではあるが神官房の厨房で作って食べるようになった。
毎日が昨日を丸写ししたような日々で、これといったハプニングも起こらなかった。しかし、怪我人がやって来ると、不謹慎ではあるが見習いの少女を含めて神官房はなぜか活気に溢れた。
アナが神聖魔法で患者を治療する時、その奇跡を目の当たりにして、少女たちは目をキラキラと輝かせた。いつか私たちも、アナ様と同じようにこの素晴らしい奇跡…神聖魔法を使えるようになるのだという期待と希望が、彼女たちに活気をもたらし、神官房の修行に耐えていく支え…モチベーションとなっていた。
アナは怪我を治療した患者からお礼としてもらったワインの入った壺を厨房の隅に運んだ。厨房の隅っこには、すでに大小の壺が堆く積み上げられていて…患者の患部の消毒、気付け薬、そしてアナやマックスが晩酌で飲む程度では減っていく様子はなかった。
「はあ…腐るものではないけれど、どうしたものかしらねぇ。お料理のソースにでも使ってみようかしら…。」
その日、アナに来客があった。来客は六歳ぐらいの小さな女の子を連れた女性だった。
「こんにちわ…私はクラウディア、この子は娘のフィアナです。私は生産部で薬師をやっております…。」
「おお、薬師さんですか。とても興味があります。どうぞ、お入りください。」
アナはクラウディアとその娘を招き入れ、厨房のテーブルに一緒に座った。メイがお茶を運んできた。お茶をもらうと、クラウディアはうやうやしくお辞儀をして話し始めた。
「アナ…様のお噂は…」
「アナで構いませんよ。どう見てもクラウディアさんの方が年上でしょう?」
「そ…そうですか?じゃ、アナさん。あなたのお噂は聞いております。切り傷や骨折をたちどころに治してしまうとか…大変素晴らしいことですね…。」
「いえいえ…神聖魔法にも限界があります。神聖魔法は切り傷、骨折などの外科的で一時的な怪我には向いていますが、内科的な疾患…環境や生活習慣から来る病気、慢性化した病気に対しては無力です。そこはやっぱり、薬師の領分だと思っています。そのうち私もイェルマの薬師さんとお話ができればと思っておりました…手間が省けましたよ、ふふふ。」
「おお…何て見識の広い方なのでしょう。私はエステリック城下町で薬屋をやっておりましたが、色々あって…イェルマに移住して来ました。イェルマ渓谷はたくさんの薬草が自生していて、薬師としては天国みたいなところですよ。」
「私も神官学校にいた時に、薬学を勉強しました。是非、クラウディアさんの薬学の知識を私にも教えてください。お互いの知識を共有できたら…病気で苦しんでいる多くの人を助けることができるかもしれません。」
「とりあえず…こんなものを持って来ました。…分かりますか?」
「おぉ〜〜、ビワの葉ですね、これ。咳止めや痰を切る効能がありますね。他にも、利尿、嘔吐止めにも効果があります。」
「よくご存知で…じゃ、これは?」
「これはジャコウソウですか?風邪や解熱にいいですよね…」
二人は薬草の話で盛り上がった。そして、クラウディアが切り出した。
「実はですね…。フィアナは来年、七歳になります。何とかして、この子を生産部から練兵部に編入させたいのです。アナさんにお力添えをお願いしたいのですが…。」
「フィアナはクラウディアさんの…薬師の後継者になるのでは?」
「はい…それで考えました。厚かましいかもしれませんが…フィアナを神官房に配属してもらうよう、マーゴット様に推薦していただけないでしょうか?」
「フィアナを私の元に?」
「はい…そうすれば、フィアナは来年から『学舎』に通うことができ、十歳にはこの神官房で神学と薬学を学ぶことができます。結果として、私の薬師としての知識も受け継ぐことになるでしょう…。」
「なるほど、なるほど…分かりました。ふむ、いっその事…どうでしょうか、クラウディアさんたちがこちらの神官房に引っ越ししてこられては?」
「…え?」
「クレリックと薬師が、北と南の斜面に分かれて存在していることが馬鹿げています。医療部門は一箇所に統合されるべきで、そのメリットは計り知れないでしょう。フィアナの件も含めて、私がマーゴット様に進言しておきましょう。」
「あ…ありがとうございます。それなら…娘と別れて暮らさなくてもよろしいのですね⁉︎」
「もちろんですよ!」
クラウディアはフィアナを傍に引き寄せて…涙を流して喜んでいた。
アナは日を改めて、クラウディアとフィアナを訪ねることを約束した。その時に、クラウディアから思わぬ貴重な情報を得た。
「一般民の私には到底叶わぬ事ですが、食客たるアナさんであれば可能かも…。北の斜面の中腹あたりにエルフの里があります。彼らもまた、薬学の専門家で、人間の知り得ぬ薬草の知識を持っているかもしれません…。」
クラウディアのこの言葉に、アナは俄然奮い立った。
アナはエルフについて、神学の講義でいにしえの人種として名前だけは聞いていたが、実際に見たことはなかった。実際には、ダフネたちが連れていたヴィオレッタという少女がエルフだったが、「エルフと会った」という認識はなかった。そういえば…マックスがエルフについて何か言っていたような気がする…。マーゴットもエルフの崇拝する神について語っていた。アナはすぐにでもエルフの里を訪問したいと思った。
アナはマーゴットにその旨を打信した。すると、マーゴットから返ってきた返事は…エルフは非常に人見知りをする種族で、会う人間を選ぶ…のだと言う。そこで急遽、助っ人を呼んだ。
「こんちゃあぁ〜〜っ!おお、ここが神官房ですかぁ〜〜?木の匂いが新しくて良いですねぇ〜〜っ!」
「ああ、キャシィ…お久しぶりね。元気だったぁ?」
「元気も、元気…ほら、こんな感じで…ほら、ほらっ!」
キャシィはアナの目の前で何度も屈伸運動をして見せた。
「実はね、私とマックスをエルフの里に案内して欲しいのよ。お願いできるかしら?」
「わっかりましたぁ〜〜!アナ様のおかげで、イェルマにワインを納められるようになったんで、恩返ししまぁ〜〜っす‼︎」
「…あれねぇ…あれはあれで、ちょっと困った事になったわ…。ま、いいけど…気にしないで。」
「…え⁉︎…そんな言い方されちゃうと、気になるんですけどぉ…?」
三人は北の斜面を登っていった。途中、大きな木が密集している場所に差し掛かると…
「ほらほら、これ、何だか分かりますかぁ⁉︎」
「まぁ、レイシね?…こんなにたくさん…後で、採取しましょっ!」
薬草の話をしながら楽しそうに山の斜面を登る二人の後を、マックスははぁはぁ言いながら、リュックを担いで続いた。




