二百七章 闇取引き
二百七章 闇取引き
二日後の昼頃、ザクレンは従者十数人と共に東部戦線の大本営に突然現れた。東部戦線とは、マットガイスト族長区の国境と魔族領、ラクスマン王国の国境が接する緩衝地帯のことである。今でも三国間で睨み合いが続いている。
大本営に詰めていた第二師団の師団長が驚いた。
「…ザクレン様っ⁉︎…どうしてここにっ⁉︎」
「ちょっと、気になってな…。どうだ、魔族軍やラクスマンの連中は動いたか?」
「そんな訳、ないでしょう…。これから寒くなります…このひと月で動きがなければ、今年はもう動かないでしょう。…ここは私どもに任せて、ザクレン様はバクレンでごゆるりとしていてください。」
「気を抜くんじゃないぞ…二か月前の例もあるしな。」
「はい、判っております…。」
二か月前…ログレシアスの死と時を同じくして、ラクスマン軍が攻めてきた。そして、その十日後にも、ラクスマン軍の戦車とファランクスがベルデンを襲い、その時ジャクリーヌの兄が戦死した。
夕方になっても帰らないザクレンを気にして、師団長は再び言った。
「ザクレン様、ここはお寒いでしょう?御用がないのであれば…どうぞ、首都へ…」
ザクレンがぶち切れた。
「そんなに俺が邪魔かっ!…ならば、お前が首都へ戻れっ‼︎」
「…え?」
「お前はたった今罷免だっ!今日だけ俺が第二師団長を兼任する…こいつを連れて行けっ‼︎」
「え…え、どういうことですか…どうして…?」
「自分の胸の内に聞いてみろっ!」
ザクレンの従者たちは、有無も言わさずに師団長を拘束して、その場から連れ去った。
「第八中隊の中隊長を連れて来いっ!」
ザクレンは烈火の如く怒って、大本営の天幕の部下に命令した。
午前一時頃、中隊長ピートは自分の第八中隊を率いて、夜の緩衝地帯を行軍していた。彼らは五台の荷車と二十頭の軍馬を引きながら、林の中の真っ暗な細道をゆっくり進んだ。魔族…レッサーデーモンの血を引くマットガイスト軍の多くは夜目が利く。
「ほぉ…こんな場所があったのか…。」
「…は…はい…。」
「いいか、言われた通りにしないと…お前も、第二師団長同様、斬首刑だからな。」
「ひぃぃ…!」
「何がひぃぃ…だっ!マットガイストを裏切りやがって…‼︎」
ザクレンと第八中隊の中隊長は先頭を歩いて、ザクレンはやり場のない怒りで、時折中隊長を恫喝した。第八中隊の列のいたるところで、ザクレンが連れてきた十数人の従者…親衛隊が槍を持って見張っており、ザクレンの命令ひとつで第八中隊を皆殺しにする用意ができていた。
林の向こうで、光が点滅しているのが見えた。第八中隊はその光の方向にゆっくり進んでいった。
ランタンを持った男がピートに近づいてきた。
「やぁ、ピートさん。ご苦労様。」
「や…やぁ…。」
その男はラクスマン王国の騎士兵団の兵士長だった。
「どうしたんですか、ピートさん。今日は元気がないですねぇ…。あれ、副長さんは…この人は?」
「ああ、副長は別の中隊の隊長に昇進した…。こ…こいつは新しい副長で、ちゃんと事情は判っているから…。」
「そうですか、ははは。」
勿論…ラクスマンの一兵卒がマットガイストの族長ザクレンの顔を知る由もない。兵士長はザクレンを新しい副長だと思って、握手を求めた。
ザクレンはすぐにも飛びかかって首をへし折ってやりたい衝動を抑えつつ…相手の握手に応じた。
「小麦粉2トンは、あそこの岩陰にすでに用意してますよ。馬は…確かに二十頭、連れて行きますね。」
ラクスマンの兵士長が馬を連れて行こうとした時、ザクレンがピートの脇腹に肘鉄を食らわせた。
「ぐぅっ…!」
「ピートさん、どうしました?」
「あ…ああ、次の取引きのことで…一週間後に、今度はライ麦とひよこ豆を3トンずつ…リーンの貨幣で支払いたい…。」
「おお、6トンですか…ばれませんか?…冬も近いので、できれば馬が欲しいんですがね…。」
「…リーンの貨幣で…。」
「ははは、分かりました、持ちつ持たれつって事で。師団長さんにもよろしくお伝えください。ああ、それと…また新しい入植希望者がいまして、戸籍を三人分お願いしたい。」
「わ…分かりました、お任せください…。」
第八中隊は小麦粉の入った麻袋を荷車に積んで、その場を離れマットガイストの陣地へと戻った。
自陣に戻ったザクレンは、すぐに命令を下した。
「ピートを拘束して、バクレンに連れて行けっ!」
「ザ…ザクレンさん、俺は斬首刑…ですか⁉︎」
「一週間後の取引きの時に、またここで中隊長をやってもらう。」
「…え?」
「この芝居が続く限り、お前は生かしといてやる。それと、役所の戸籍係も拘束して牢屋にぶち込んどけっ!」
今回の闇取引きは、第二師団の師団長が自分の隊の第八中隊を使ってラクスマンから食糧を買い、それを粉商人に高く転売して暴利を貪っていたというのが真相だった。
次の日の夜、ヴィオレッタたちはザクレンが催した宴会に招かれ、同じテーブルを囲んで歓談した。
ザクレンは上機嫌だった。
「うはははは…小麦粉が2トン、来週には6トン…この調子でいけば、この冬は楽に過ごせるな!」
ヴィオレッタは答えた。
「リーンも、マットガイストに少ない食糧を融通しなくて済みました。…せっかくなので、闇取引きの分をこちらにも少し分けてくださいよ。」
「おうっ!…お前に貸しを作ったままじゃぁ気分が悪いからな、リーンには安く売ってやるぞっ!」
ザクレンという男…どこまで行っても、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉は使うつもりはないみたいだ。意地っ張りで負けん気は旺盛だが、それでも…確かに一本気で、素直な気質のようだ。
「そういえば…市場で闇商売をしている粉屋はどうしたもんかな?」
「放っておけばいいでしょう。配給で食糧が国じゅうに十分に行き届くようになれば、彼らの粉は値崩れを起こして、配給と同じ値段になるでしょう。」
「なるほどな。…しかし、同盟国はなんで闇取引きなんかを…。俺だったら、敵国に食糧なんか絶対に売らないけどな、敵を助けるようなもんじゃないか…。」
「同盟国は同盟国で…馬が欲しいんですよ。戦をすれば馬がたくさん死にますからね。それと…何にも増して、情報ですね。」
「ふむふむ…馬は分かるが、情報ってのは俺にはイマイチ分からんな。」
「まぁ、そこは私に任せてください。」
「それと、次の取引きはカネで…ってのはセレスティシア、お前のアイディアだよな、どうしてだ?」
「馬は貴重品です。馬が豊富なのがリーン連邦の唯一の強みです。だから、できるだけ同盟国には渡したくありません。リーンの貨幣は同盟国にしてみれば、馬を買う時とスパイへの報奨金以外に使い道はありません。リーン連邦に潜り込んでいるスパイはもう抑えているので、スパイをうまく使って奴らの持っているリーンの貨幣を吸い上げるのもアリ…逆に、完全に関係を断ち切って、奴らのリーンの貨幣を『死に金』にするのもアリですよ。」
「うわっはははは、それは愉快だなっ!」
「そうそう…新しい入植者ってのが来たら、私の配下を貼り付けますので教えてくださいね。スパイだろうが殺し屋だろうが、正体さえ判っていれば対処の方法はいくらでもあります。…間違っても、即死刑とかしないでくださいよ?」
「うははは、分かった、分かった…ま、飲めっ!」
「いや、私は飲めません。…グラントさん、どうぞ…。」
「はいはいはいはいはぁ〜〜いっ!代わりに私めが飲みまぁ〜〜す!」
ある夕方、泥んこのシーラが村の広場から帰ってきて、家の戸口を開けると…そこには父親のガレルがいた。
「おう、シーラ。…元気だったか?」
「お…お父ちゃあぁ〜〜んっ!」
シーラはガレルの体に思い切り体当たりしていった。
ドスンッ…
「ぐはっ…ちょっと大きくなったか?…前よりも当たりが強くなったな…。」
「お父ちゃん、今度はどのくらいお家にいるのぉ?」
テーブルの対面に座っていた母親のナンシーが言った。
「お父ちゃん、一週間のお休みだってよ。」
「やたぁ〜〜、やたぁ〜〜っ‼︎…今度ね、チーラがね…ずっとお家に居られるように、セレチチア様にゆっとくからっ!」
「そうか…そうなるといいな…。」
そばにいたナンシーとルルブが苦笑いをしていた。
「あっ…そうだぁ〜〜っ!」
シーラは突然、外に駆け出していった。
「こら、シーラ。もうすぐご飯…」
ナンシーがそう言ったか言わないかのその瞬間…
ギョケエェェ〜〜ッ…
家の外で異様な鳴き声が聞こえた…それはの鶏の断末魔だった。シーラが折れた鶏の首を掴んで戸口に現れ…それを母親ナンシーに手渡した。
「お母ちゃん、お父ちゃんにご馳走…鶏を食べさちてあげてっ!」




