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戦乙女イェルメイド  作者: 丸ごと湿気る
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二百六章 ワンコのサンクチュアリ

二百六章 ワンコのサンクチュアリ


 射手房の十二歳班は、今日も日課の早朝ランニングをしていた。ワンコは十二歳班の前を行ったり後ろを行ったりして、自分の縄張りを確認し新しいマーキングをしていた。ワンコがマーキングをする度に、十二歳班からは大きな笑い声が起こった。

 十二歳班が「北の五段目」を走っていた時、ワンコはふと自分以外の別の臭いを嗅ぎ取った。

(む…犬の臭いがする。俺以外にも犬がいたのか…。俺の縄張りに入ってくるとは、許せんな…。)←ワンコの気持ち、以下省略

 ワンコはランニングの列を離れて、斜面を駆け上っていった。

 クレアが言った。

「おぉ〜〜い、ワンコ、どこ行くぅ〜〜?そっちじゃないよぉ〜〜っ!」

 ジェニが息を切らせながら言った。

「ほ…放っときなさい…はぁっ…どうせ…はぁっ…ウシガエルでしょ…。」

「そっかぁ。」

 ワンコは風に乗ってやって来る臭いを追跡して、「北の五段目」の鳳凰宮辺りを彷徨っていた。すると、50mほど向こうに長毛の白と黒の中型犬を見つけた。向こうもワンコに気がついたらしく、猛然と逆の方向に走って行った。

 ワンコもまたその姿を見失うまいと猛然と追っていった。

 二匹は「北の五段目」の湯殿を通り、食堂を通り、どんどん東へと走っていき、それからどんどん斜面を登って…見渡す限りの牧草地に入っていった。

 白と黒の犬はなおも走り続け、ワンコを振り切ろうとして草原の傾斜地を駆け上がって縦断していった。だが、そこはワンコも普通の犬ではない。ティアーク王国の魔道棟で特殊訓練を受けていて、体力には自信があった。ワンコは走り続けて、少しずつ白黒の犬との距離を詰めていった。

(むっ、この臭いは…⁉︎)

 いつの間にか…ワンコはヤギの群れの中を走っていた。しかし、白黒の犬はすでに視界に捉えていて、ヤギの臭いは追跡の支障にはならなかった。

 白黒の犬が走っていく先には…もう一匹の白黒の犬がいた。二匹は鼻を擦り寄せて親しそうに挨拶を交わしていた。

 ワンコは警戒して、ゆっくりと二匹に近づいて行った。そして…重大なことに気がついた!

(こ…こいつら、メスだっ‼︎)

 この二匹は母犬とその娘だった。

 魔道棟では繁殖用のメス犬は別の部屋に隔離されていたので、メス犬と出会う機会は皆無だった。それでも、繁殖の季節になると魔道棟のどこからか漂ってくるフェロモンの匂いで…切なくて、月に向かってどれだけむせび泣いた夜があっただろうか。

 魔道棟の都合で言えば、ワンコはメスとつがう順番待ちの状態だったのだが、その順番が回って来る前に、オーク討伐の舞台となったステメント村へ派遣されたのである。

 相手がメスならばにべもなし…この機を逃すまいと、ワンコは興奮を抑えつつできるだけ紳士を装って二匹に近づいていった。が、母犬が大型犬であるワンコに驚いて、警戒の咆哮を発した。牧草地のあちらこちらで草むらに伏していた多数の犬が頭をもたげた。

 ワンコの周りに十数匹の白黒の犬が集まってきて、唸り声を上げた。だが、ワンコが大きな体で振り返り、唸っている犬の一匹一匹を鋭い眼光で睨め付けると…犬たちは一歩一歩後退りした。

 縄張り争いやメスの取り合いで、犬猫が喧嘩をする場合、ほとんどはその第一印象で優劣が決まる。それは体の大きさ…特にハチ(頭部)の大きさだ。マスチフ系大型犬のワンコの頭はとにかくデカい。ボーダーコリー系中型犬の頭は、マスチフ系のそれと比較すると…かなり小さいと言わざるを得ない。頭部の大きさこそ強さだ。すでに勝負ありだ。

(お前らなんか…オークの群れに比べりゃ、何匹で掛かってこようが雑魚だぜ。)

 ワンコは周りの犬にガンを飛ばしつつ、母娘犬のそばに近づいていった…凄く良い臭いがした。

 最初はその大きさに驚いていた母犬だが…今まで見たこともない巨大な犬に興味をそそられた。屈強なオスに惹かれるのはメスのさがだ。

 母犬は恐る恐るワンコの体じゅうを嗅ぎ回って、相手の臭いを確認していた。

(慌てるな、俺…!紳士的に、紳士的に…‼︎)

 実はワンコは今年七歳になる。犬で言うと中年を過ぎて…我慢ができる年齢だ。

 すると、どこかで指笛が鳴り、牧草地の隅々まで響き渡った。犬たちは一斉にそちらの方向に走り出した。

(…何だ⁉︎)

 ワンコは犬たちを追いかけた。犬たちがヤギ飼いの女にじゃれついていた。

「お前たち、仕事を放ったらかして、どこに行ってたんだい…おや?」

 ヤギ飼いの女はワンコを見て…帯の後ろのナイフに手を掛けた。

「なんて大きな犬だ。こんな犬…見たことがない。どこから入って来たんだろうねぇ…。野犬…噛み犬なら、ここで…。」

 ワンコは臭いで相手が人間の女だと判ると、尻尾を振って近づいていった。この半年、ジェニ、サリー、アナ…人間の女には良くしてもらっている…オリヴィアは別として。

 ヤギ飼いの女はワンコの首を見た。

「…おや、首輪をしてるねぇ。どこぞの飼い犬だったか?…まぁ、いいか、おおかたイェルマを通過した貿易商人が連れて来て、途中ではぐれたんだろう…。」

 ヤギ飼いの女は少し考えた。この犬たちはここに来て久しい…近親婚を繰り返していてはまずいだろう、別の犬の血を入れるのも悪くはない。しかし…見るからに頭の悪そうな不細工な犬だ…子孫たちが頭が悪くなったら、それはそれで困る。

 犬たちがじゃれついて騒ぐので、女は叫んだ。

「ええい、うるさい…伏せっ!」

 犬たちは一斉に伏せた、そして…ワンコも。

「おお、この黒い犬はしつけをされているのか…お座り。」

 ワンコはお座りをした。

「外見に似合わず、お前は賢いんだな…。」

 そう言うと、ヤギ飼いの女は口笛を吹いて犬たちを散らして仕事に戻らせ、自分は近くのヤギ舎の小屋に引っ込んだ。ヤギ飼いの女はワンコを放置した。

 犬たちは牧草地じゅうに散らばって、ヤギを見張った。

 ワンコは不思議に思った。

(ヤギを見張るのが、こいつらの仕事か…何て楽ちんな仕事なんだ。これで本当にご主人から飯がもらえるのか?)

 疑問を持ちながらも、ワンコは先ほどの母犬を探した。動物の世界では、成熟したメスほど人気がある。

 意外にも母犬はワンコを待っていて、ワンコがそばにやって来ると、尻尾を振って姿勢を低くしたり立ったりを繰り返し、ワンコを遊びに誘った。

(…もしかして、お前…俺の嫁になりたいのか⁉︎)

(…あんたのお嫁さんになってあげてもいいよ。)

 今日という日はワンコにとって、一生のうちで最も幸せな日となった。

 日暮れ近くになると、ヤギ飼いの女が指笛を吹いた。すると、ヤギたちが一斉にヤギ舎に集まり始めた。指笛を無視する呑気なヤギは、もちろん犬たちに追いたてられる。

 ヤギ舎に集められた百近いヤギたちは、まず母ヤギから子ヤギが隔離され、いつの間にかやって来たもう二人の女とヤギ飼いの三人で乳を搾られた。ヤギ舎が甘い乳の匂いで満たされた。

 それが終わると、厨房で米を炊く匂いがして…しばらくして、女たちが大きな器に餌を入れて現れた。

「あら?黒くておっきな犬が混じってるわね、いつから?…母さん、いいの?」

「放っとけ、放っとけ。」

 女たちは地面にミルク粥の入った大きな器を三つ置いた。犬たちは一斉に器の中に頭を突っ込んで餌を食べようとしたが、ワンコが母犬以外の犬がそばに近づくと唸り声をあげたので…ワンコの食事が終わるまで待たされた。

(ふむふむ…ヤギの乳のお粥か。ウシガエルもちょっぴり入っているな…まぁ、こんなもんか。)

 満腹になったワンコは母犬と一緒に、ヤギがいる部屋の藁床の上で寝そべった。母犬はワンコの腹の上に頭を乗せてきたので…ワンコは思った。

(俺はとうとう…極上の飴を手に入れたのかもしれない…。)


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