二百五章 ダフネ、武闘家房へ
二百五章 ダフネ、武闘家房へ
ダフネは槍手房の房主堂に寝泊まりして、「鬼殺し」を使いこなすべく、ジャネット相手に猛特訓をしていた。
しかし、三日前、突然ベレッタとルカが護衛の仕事に行くと言って…槍手房の管理をジャネットに丸投げして出て行ったため、ジャネットは若手の十二歳班、十五歳班、十八歳班や中広場での騎馬訓練、厩舎などの見回りやスケジュール管理で多忙となり、ダフネの相手をすることができなくなった。
やっと左手が「鬼殺し」に馴染んできて、これからだというのに…。ダフネは仕方なく、他の中堅のランサーに練習相手を頼んで訓練を続けた。
夕方、ダフネは食堂でひとりひよこ豆のスープとライ麦パンを食べていた。すると、そんなダフネに声を掛ける者がいた。
「ダフネェ〜〜、元気にやってるかぁ〜〜?」
「ケイトさん、こんばんわっ!」
ケイトはダフネと同じテーブルに夕食を持ってくると、一緒に食べ始めた。
「お、左手…だいぶ、様になってきたね。」
「うんうん、ご飯ぐらいなら普通に食べられるようになったよ。」
「そう言えば…この前、ベレッタ師範に絡まれてたけど、結局…お金、貸しちゃったの?」
「…貸しちゃったよぉ〜〜、もおぉ…。今は槍手房に居候してるし…貸さないと後が怖いじゃん。」
「あははは、でも、二人ともいなくなっちゃったから、気を使わなくて良いぶん…訓練に没頭できるんじゃない?」
「んん〜〜…それがねぇ…」
ダフネはケイトにある悩みを相談した。練習相手には事欠かないのだが、ジャネットのように技術的な助言をしてくれる人がいなくて…自分が正しい方向に向かっているのかどうか、不安になるのだとダフネは言った。
それを聞いて、ケイトは言った。
「この前ねぇ…オリヴィアさんと会ったよ、懲罰房で。」
「オリヴィアさん、元気だった?」
「…退屈で、死にそうだって言ってたよ。」
「…ぷっ…はははははっ!オリヴィアさんらしい…あの人、ひとつ場所に止まってるって事ができないから…‼︎」
「でね…ダフネの事を言ったらさ、武闘家房の棒術を習ってみたら?…って言ってたよ。」
「…おおっ!」
考えてみたら、オリヴィアさんも槍の達人だった。戦闘において、天才的なセンスを持つオリヴィアの助言…ダフネは試してみる価値はあるなと思った。
「そっか…よし、明日は武闘家房を訪ねてみよう…!」
ダフネは左手でひよこ豆スープを口に掻き込んだ。
次の日の朝、槍手房の房主カレンにひと言断って、ダフネは武闘家房へと出かけた。
北の一段目から北の五段目に登っていくと…少し空気が冷たくなったようで…冬の気配を感じた。
ダフネが武闘家房に到着すると、十数人の若い武闘家が小虎燕の型を演武しており、その横では中堅たちが対打(二人一組で決まった流れで打ち合う)や、武器では柳葉刀や槍、棍棒を練習していた。
ダフネは興奮して棍棒の技を興味深く眺めていた…が、しばらくして我に返って房主のジルに挨拶をするため、房主堂に向かった。
房主堂の前では、師範のタマラとペトラが麻縄を何重にも巻いた丸太目掛けて正拳突きを繰り返していた。ダフネは不思議に思った。
(巻き藁突きって、基本の鍛錬法じゃなかったっけ…なんで、師範が…?初心に帰るってやつかな?)
ジルはダフネと面会すると、武闘家房の練習に参加することを快く承諾してくれた。
「そうかい、そうかい…その大斧を使いこなしたいとな。他の房に出向いてまで修業に打ち込みたいという純粋な気持ちは感心だね。結果はどうであれ…その努力はお前さんのこれからの人生の糧になるだろう…。」
ジルはダフネを棍棒を練習している中堅のグループに紹介してくれた。
「ナタリー、ちょっとダフネの相手をしてやりなさい。」
「はい。」
ナタリーは棍棒の柄尻を右手で、真ん中辺りを左手で持って棍棒をダフネに向けて水平にして構えた。ダフネも同じように、「鬼殺し」の柄の真ん中を左手で、重心のある斧の近くを右手で持って構えた。結果として「鬼殺し」は柄尻を相手に向けている。…この構えが、槍手房で猛特訓した成果だった。
ナタリーが寄り足で間合いを狭め、棍棒で小刻みに突いてくると、ダフネは巧みに左手をコントロールして、それを「鬼殺し」の柄尻で全て弾いて逸らした。
しばらく二人の打ち合いを見ていたジルは…試合を止めた。
「…止め。ダフネよ、その持ち手では攻撃を弾くのには向いているが…斧での攻撃はできないのではないか?」
鋭い指摘を受けた。そうなのだ…ダフネは「鬼殺し」を槍や棍棒のように握っているので、斧独特の大上段から振り下ろすという攻撃を繰り出そうとすると、一度、握りを持ち変えないといけなかった。
「斧を使う以上…斧の大火力が生かされないのでは意味がない。ランサーや武闘家の真似をしなくともよい…色々と試してみなさい。」
「は…はい。」
ダフネは右手を逆手に、左手を順手にして持ってみた。こうすれば、右手を持ち変えなくても斧の攻撃ができるが…これだと槍手房で訓練した以前に戻ってしまう…。
それでも、その握り手でしばらくナタリーと打ち合った。やはり、少しぎこちない…。
房主のジルはなぜかその場から離れず、ダフネとナタリーの訓練をずっと見ていた。一時間が過ぎた頃…
「よし、ナタリー…セシルと交代せよ。」
引き続き、ダフネはセシルと訓練を続けた。そこから一時間…ジルが叫んだ。
「セシル、バーバラと交代せよ。」
ジルはダフネに対して、決して「休憩せよ」とは言わなかった。仕方なくダフネは黙々と相手の棍棒を受けたり弾いたり、時には攻撃してみたり…を繰り返した。
長時間の訓練で、ダフネは呼吸が荒くなり…両腕も疲れて、体力も気力も消耗し切って…足元もフラフラになっていた。
ダフネは両腕の疲労が限界にきてしまって、「鬼殺し」を持っているのも億劫になったので…「鬼殺し」の斧部分を肩に乗せて、柄尻をバーバラに向けた。その時…
「ダフネ…!」
ジルから突然声が掛かった。ダフネははっとして…すぐに「鬼殺し」を肩から下ろし、ジルに頭を下げた。
「も…申し訳ありません…!あたしのために貴重な時間を割いて練習相手になって貰っているのに…生意気な態度をとってしまいました…‼︎」
「そうではない…。ダフネよ、今、斧を肩に担いだのは…なぜだ?」
「そ…それは…腕がきつくて…楽をしようと思って…」
「それだ!…斧を肩に担いだ状態がお前にとっての一番楽な体勢、つまりは自然体ということだ。私には…ちらりと…その形からの無限の可能性が垣間見えたぞ。」
「…へ?」
「斧を肩に担いだ状態を『起点』として、そこから攻撃と防御のバリエーションを工夫してみなさい!」
「は…はいっ!」
ダフネは「鬼殺し」の重心部分を肩に乗せ、重心の少し下辺りを右手で持ち、柄の真ん中辺りを左手で持った。バーバラが攻撃してくると、柄でそれを横に弾きつつ…そのまま斧部分を肩から右手で投げつけるようにしてバーバラに撃ち出した。ダフネが右手の握力を弱めると…斧はすっと伸びて、バーバラに到達した。もちろん…バーバラはそれを棍棒で弾いて防いだのだが…今の一連の「鬼殺し」の動きに、ダフネは「これだ!」という会心の手応えを得た。
「よし、ダフネよ、少し休みなさい。その後、しばらくひとりで工夫してみなさい。」
そう言って、ジルはその場から去って、房主堂の方向へ歩いて行った。
「…ジル房主、あ…ありがとうございましたっ!」
ダフネは休憩しつつ…ふと思った。ジル房主がずっとあたしにくっついて、三時間にも及ぶ訓練をやらせたのは…この形を発見させるため?…じゃぁ、この形を知っていた?それとも…こうなることを予測していた?
三十分ほど休んで、ダフネは再びひとりで練習を始めた。
「鬼殺し」の重心部分を肩の僧帽筋に乗せ、柄を水平に前に突き出してみた。自分は背が高い方だし…これだと、胸から下ががら空きのような気がしたので、正中線(頭から下半身までの体の中心を通る線で、人の急所が集まっているとされる)を隠すように「鬼殺し」の柄を少し下に傾斜させた。
攻撃された時は、左手を使って柄で弾く。攻撃する時は、右手で斧部分を相手に投げつけるようにする…あ、僧帽筋で反動をつけたら加速がつくな。相手が中距離まで逃げたら…柄を上に傾けると、自然に斧部分が肩の後ろでずり下がり、柄が目一杯長くなったところで、そのまま斧を振り上げて大きく足を踏み込んで追い打ちをする。
ダフネはこの動作を、一日じゅう何度も何度も繰り返した。




