二百四章 懲罰房 その2
二百四章 懲罰房 その2
オリヴィアの懲罰房生活は五日目に入った。
懲罰房常連のオリヴィアには、どんなに懲罰房の中で暴れ回っても無駄であることは良く判っていたし…それ以上に、暴れるのにもさすがに飽きた。
深夜番と昼番が交代して、オリヴィアの懲罰房に朝食のパンとスープが差し入れられると…オリヴィアは朝食のお盆を受け取りつつ、右腕を肩のところまで覗き窓に突っ込んだ。
「な…何を…?」
オリヴィアは右手を覗き窓に差し込み、左手でパンを食べながら、昼番に喋り掛けた。
「ねぇねぇ…あんた、名前は何てぇの?どこの所属?」
昼番は、オリヴィアの右腕を覗き窓から押し返そうとしたが、オリヴィアは強く抵抗して右腕を覗き窓から動かさなかった。昼番に覗き窓の蓋を閉めさせないためだ。
左手で食事を終わらせると、オリヴィアは朝食のお盆を押し戻して、執拗に昼番に話し掛けた。
「ご馳走さまでした。ああ、美味しかったわぁ〜〜、ありがとうね…で、あんた名前はぁ?」
お盆を受け取った昼番は…渋々と答えた。
「ヘレンです…剣士房です。」
すると、オリヴィアは覗き窓に突っ込んだ右手で昼番の皮鎧を掴んだ。昼番がいくら離そうとしても、「鉄砂掌」で強化された指を皮鎧から引き剥がす事はできなかった。
そのままオリヴィアは喋り続けた。
「ボタンちゃんのところだわねぇ…」
「ボ…ボタン様をここに連れてくるなんて…無理ですからねっ⁉︎」
「うんうん、分かってる…分かってるってぇ〜〜っ!…知ってたぁ?わたしねぇ、ボタンちゃんとは小っちゃい頃から仲良しなのよぉ〜〜。初めて会ったのは学舎だったわね…同期の中じゃ、とびっきり頭が良かったわ。九九を覚えるのも、ボタンちゃんが真っ先だったわねぇ…。ただ、ボタンちゃんって、凄く真面目でしょ?あれもするな、これもするなって言うから何度かぶつかって…喧嘩したこともあったわぁ。今となっては、良い思い出ね。学舎を卒業してからは、わたしは武闘家房に配属になって、ボタンちゃんは剣士房の配属になったの…わたし、はじめは戦士房に配属される予定だったのよ。オーレリィって知ってるぅ?…わたしの親代わりの人。オーレリィが戦士房だったからねぇ…でも、ジウジィって知ってるぅ?武闘家房を作った人、その人がね、わたしの才能を見抜いて是非わたしを武闘家房へって…引き抜いたのよぉ〜〜。だからね、わたしは仕方なく…」
「ちょ…ちょっと、何の話を…」
「あ、ごめんねぇ〜〜…ボタンちゃんの話だったわねぇ〜〜…ボタンちゃんはねぇ、お母さんが剣士房の房主だったのよぉ…」
「いや…そういう事じゃなくて…いい加減、離してくださいよ!」
「ボタンちゃんが女王様になる時にねぇ、お母さんは引退して房主をボタンちゃんに譲ったのよ。『四獣』になるためにはどっかの房主じゃないとダメだって慣例があるらしくてねぇ…」
昼番のヘレンは懲罰房の扉を挟んで、立ちんぼのまんま…オリヴィアの話を一方的に二時間も聞かされた。
オリヴィアは、暇で暇で仕方なかった。その上、ひとりぼっちが大嫌いなオリヴィアは誰でも良いから、とにかく誰かを捕まえて話をしたかった。
「あ…ちょっと待っててね…。」
オリヴィアはヘレンの皮鎧を離して、懲罰房の奥に引っ込んだ。ヘレンはこの機を逃さず、すぐに覗き窓の蓋を閉めて鍵をかけてしまった。
しばらくすると、オリヴィアが扉を指でコンコンと叩いた。
「ヘレン〜〜…ねぇ、これ受け取ってよぉ〜〜。ここは狭いんだから…匂いが立ち込めて、臭くて臭くて堪らないわぁ…。」
ウンコをしたようだ。だが、ヘレンは無視した。
すると…鍵を掛けたはずの覗き窓が開いて、ウンコが乗ったお盆が差し出された。
(え…?どうやって鍵を外したのかしら?)
ヘレンは不思議に思ったが、仕方なくお盆を受け取って、さっと覗き窓の蓋を閉めようとした。しかし、オリヴィアの右手が蓋が閉まる前に蓋を受け止めてそれを許さなかった。
ヘレンは捕まる前にお盆を持ってその場からパッと離れた。オリヴィアが再び右腕をにゅ~~っと差し出してきて、顔を真横にして…左目だけで覗き窓からこちらを覗いていた。
「ヘレン…もっとこっちにいらっしゃいよぉ〜〜。ボタンちゃんの話、もっと聞きたいでしょう?…ボタンちゃんとはねぇ、ガチで勝負をしたこともあるのよぉ〜〜…女王決定武闘会って知ってるぅ?…ねぇねぇ、話、聞いてるぅ〜〜?」
ヘレンは耳を塞いで、オリヴィアの懲罰房に背中を向けてうずくまった。
午後四時になると、夕食を持って夜番がやって来た。夜番はオリヴィアに夕食を差し入れると…オリヴィアに捕まった。
「ねぇねぇ、あんた名前は?どこ所属?」
「ケ、ケリーです…槍手房です…。」
「ベレッタのところかぁ…飲んだくれが師範で、あんたも大変ねぇ。そもそも、ベレッタとルカがワインを独り占めしようとしたから喧嘩になっちゃったんで、わたしは悪くないのよ。あいつらったら…わたしを見ると目の敵にして、すぐイチャモンをつけてくるのよぉ〜〜!何でかなぁ…?」
「何ででしょうねぇ…じゃ、これで。」
「待って待って…ベレッタの眼帯はねぇ…」
「もう…いいですって!」
ケリーは体全体を使って、皮鎧を吊っている肩の皮ベルトを掴んでいるオリヴィアの右手から逃れようとした。しかし、オリヴィアは「鉄砂掌」でガッチリ握って離さなかったものだから…
ブチィッ!
皮ベルトの止め金が根本から引きちぎれた。
「あ…くそっ!」
覗き窓から突き出したオリヴィアの右腕は、何度も何度も宙を手繰ってケリーを探していた。それを見て…ケリーはちょっと怖くなって、覗き窓に二度と近づかなかった。オリヴィアは右腕で探りながら、ケリーに語りかけた。
「ねぇねぇ…もっと、お話しましょうよぉ〜〜…。」
ケリーはオリヴィアの声を黙殺して…深夜番が来るのを待った。
しばらくすると、オリヴィアの声は静まり、右腕も懲罰房の中に戻っていったので、ケリーは機を見て覗き窓の蓋を閉めて鍵を掛けた。…懲罰房から、オリヴィアのいびきが聞こえてきた。
午前一時ぐらいだろうか、目を覚ましたオリヴィアは懲罰房の扉に近づいていった。指先で覗き窓の蓋を押してみたが、鍵が掛かっていて微動だにしなかった。
オリヴィアは寝台の裏側を手で探って…棒状の極薄の木片を取り出した。常連のオリヴィアは懲罰房の中で不自由なく過ごすための七つ道具を部屋の至る所に隠していたのだ。
オリヴィアはその木片を覗き窓の蓋の下の隙間に差し込むと、器用に蓋の閂をスライドさせて鍵を外した。そして、覗き窓に右腕を突っ込み、頭を横にして外を覗いた。夜番と交代した深夜番の背中がほんのちょっとだけ見えた。
誰が来たのかはっきり見たくて…今度は右手で覗き窓の台を握り、頭を横にしてその台の上に置き、右足を寝台に乗せて踏ん張った。結果、右手と頭と右足だけで全体重を支える形となっていた。オリヴィアの体は、ほぼ真横というとんでもない姿勢になっていたが、覗き窓の一枚板の台が邪魔で、こうでもしないと顔を覗き窓に密着させることができないのだ。
オリヴィアは右目だけで、ジロリと覗き窓から外を覗き込んだ。はっきりと深夜番の背中が見えた。すると…深夜番が振り返った。
「やぁ、オリヴィアさん。起きたんだね?」
「ん…ケイト…戦士房のケイト?あんた、中堅でしょ…何で懲罰房の番なんかしてるのよ。」
「いやね、当番だった若いのが風邪引いてね…。」
「そっかぁ…そっかぁ〜〜っ!それじゃ、仕方ないわねぇ〜〜…ちょっと、ちょっとこっち来なさいよっ!」
ケイトはオリヴィアのひとつ下で、小さい頃は戦士房で一緒に遊んだこともある。ケイトは覗き窓の近くに椅子を移動させて座った。
「オリヴィアさん、退屈そうだね。」
「そう、そうなのよっ!退屈で死にそうなのよっ‼︎」
「あはははは。」
「ねぇねぇ…なんか、面白い話はない?」
「んん〜〜…戦士房で言ったら…ダフネが帰ってきて、槍手房に修業に出かけたぐらいかなぁ…?」
「おお、なるほどぉ〜〜、『鬼殺し』ね?ダフネはアレを使いこなすつもりなのね。…でも、ランサーの槍って、ランサーのスキルが強くて…その分、棒術の技術が疎かになってる気がする…。ある程度、使えるようになったら…武闘家房に行ったらいいんじゃないかしら?棒術ならタマラが達人だわ。槍手房もうちのジウジィ師匠の棒術の影響を受けてるからね…棒術の本家は武闘家房なのよ。」
「ほほぉ…そうなんだ。ダフネと会ったら、言っとくよ。」
「うんうん…あっ…ちょっと…!」
「どうした?」
「あ…あ…足が攣った…」
ドタッ…。
オリヴィアの顔が覗き窓から消えた。
「…オリヴィアさん?」
オリヴィアは不安定な体勢で長時間お喋りをしていたため、寝台の上で片足で踏ん張っていた右足が痙攣を起こして、体ごと懲罰房の床に落ちてしまった。
「痛ででででででぇ〜〜…‼︎」
攣ったのはふくらはぎで、いわゆる「こむら返り」だ。これは相当に痛い。




