十六章 オーク討伐と床屋さん
十六章 オーク討伐と床屋さん
昨夜はオークの襲撃はなかった。
ダフネが目覚めると朝の六時だった。横ではヒラリーとアナが寝ていた。臨戦体勢での野宿なのでみんなほぼ普段着のまま床に着いていた。
幕屋から出ると、今日も良い天気だった。ダフネは手拭い一本と飲み水用の皮袋を持って、日課の肩関節柔軟運動をしながら50mぐらい丘陵地を下った。ヒラリーが言った通り、小川が見えてきた。多くの冒険者がそこで顔を洗っていた。
「ダフネおはよう。肩関節、凄く柔らかいんだね。」
声をかけてきたのは意外にもサムだった。ダフネはサムには無口だという印象を持っていた。
「おはよう…サムもやってみれば?毎日やってたらすぐに柔らかくなるよ。」
「僕は魔道士だからね。あんまり必要じゃないかな。」
「そんなことないでしょう。魔道士だって敵をスタッフで殴ることはあるんじゃない?」
「まあね…。」
そんな話をしながら、二人は小川で顔を洗った。小川の水は冷たくて気持ちよかった。皮袋に水を詰めると、幕屋に戻った。
幕屋に着くと、サムが妙なことを言った。
「ダフネ、ちょっと僕にいじらせてくれないかな?」
「え…何を⁉︎」
「髪だよ。キミ、模擬戦の時のまんまだよね。凄く気になるんだけど。」
ダフネは長い髪の毛を無造作に剣で掻き切ったので、後ろの方がざんばら髪になっていた。
「僕の実家はね、床屋なんだ。僕も十三歳ぐらいまでは実家を手伝ってたんだよ。だから、一応、整髪の技術はあるんだ。そういう大雑把な髪の毛を見ると、可哀想というか何というか…」
「な…何が可哀想なのかな??」
「ハサミを入れさせてくれないか⁉︎」
ダフネはちょっと驚いた。髪なんて今まで気にしたことなかったし、イェルマでも伸びすぎた時は適当にナイフやカミソリで仲間に切ってもらっていた。整髪の職人がいること自体が意外だった。もしかすると、都市部だけの文化なのか?
「ん〜〜〜、どうしようかな…」
そこにヒラリーとアナが幕屋から出てきた。二人の様子を見てヒラリーが言った。
「おー、散髪か。やってもらいなよ。サムの腕は確かだよ。あたしも三ヶ月に一回ぐらいやってもらう。ただでやってくれるから、銅貨五百浮くし。」
「え、髪を切るだけで銅貨五百枚⁉︎」
「結婚式とか、正装が必要な時の特殊技能だからね。ご祝儀価格ってこともあるし、お客が貴族ってこともあるし。」
アナも言葉を添えた。
「ダフネ、やってもらいなよ。私もたまにやってもらうんだよ。可愛くしてもらっちゃいなよ!」
「ん〜〜、だったら…やってもらおう…かな。」
その言葉を聞くと、サムはすぐに自分の幕屋に飛び込んで、出てきた時には散髪用ベルトを腰に付けていた。ベルトにはいくつか皮のホルダーがついており、それぞれに櫛、カミソリ、大小の整髪用のハサミが入っていた。
「こいつ、変わってるだろ?狩場にまで散髪の道具を持ってきてるんだよ。」
ヒラリーの言葉にサムが反論した。
「いつでも散髪ができるようにですよ。散髪の腕が落ちたら嫌だから。」
サムはダフネを適当な場所に座らせると、リネンのシーツを首に巻きつけた。そしてダフネの髪に大まかに櫛を入れ、それから後ろの髪を両手の指で何度も掻き上げた。その時、サムの指がダフネの耳と首筋を優しく撫でていったので、ぞくぞくっとしてダフネは声が出そうになった。異性に直接触られるのはこれが初めてだったのだ。柔らかい指、滑らかな軌道…想像していた男の指とは全く違うものだった。
「ダフネの髪は癖っ毛だね。でも、とても綺麗だ。大丈夫、僕がちゃんと格好良くしてあげるから。」
「…。」
ヒラリーとアナは顔を洗うため、くすくす笑いながら小川の方に歩いていった。デイブとネイサンはまだ起きてこない。サムとダフネ、二人だけの時間がしばらく続いた。当然周りには他のパーティーの冒険者がいたが、今のダフネの目には入らなかった。
サムは櫛で髪をすくうと、チャカチャカと音を立ててハサミをこまめに縦に入れたり時にはカミソリで癖毛を削ぎ落としたりしていた。髪の毛を撫でられる感触でダフネは目をカッと開いたまま固まっていた。
「前髪も少し短くしようか。」
サムが目の前に回り込んできた。そして顔を近づけて前髪を櫛で何度もすくい上げ、ハサミを入れた。その間、ダフネは紅潮し息を止めて、できるだけサムと視線が合わないように少し下の方向を念じるように見つめていた。
サムが手鏡を持ってきた。一通り終わったようだ。
「どお?」
鏡に写った頭は、すっきりしてなんか一回り小さくなったようでダフネは自分が少し弱くなったような気もした。
「まあ…こんなもんじゃない?」
本当は気に入らないのに、なぜか自分の口からサムに迎合する言葉が思わず出てしまった。
ヒラリーとアナが帰ってきた。
「おー、きれいになったじゃん。」
「ボーイッシュになったね。可愛い、可愛い!」
二人の言葉にダフネはもう一度手鏡を覗き込んだ。これが可愛いってヤツなのか…?
デイブがいなくなった第3パーティーは、ダフネとネイサンのツートップでヒラリーは遊撃手、後衛にサムとアナという布陣となった。
「サム、ヒールはアナに任せて攻撃に参加して。」
「分かった。」
オークの集団が現れた。さあ、今日もオーク狩りの始まりだ。
サムが第1パーティーからの念話を受信した。
「第1にオークが偏った。第2がそっちに向かった!」
「よーし、目の前のオークは全部あたし達と第4で片付けるよー。気張って行くよーっ!」
第4パーティーがヒラリーの第3パーティー寄りに移動してきた。多分デイブの指示だ。
「法と秩序の神ウラネリスの名において命ずる。集え、風の精霊シルフィよ。旋風となって我が刃となれ…切り裂け、ウィンドカッター!」
サムの手から放たれた旋風はダフネとネイサンの間を縫ってオークの集団にぶつかった。一匹のオークの首が跳ね飛んだ。それと同時に第4パーティーから放たれた矢がオーク達の脚や利き腕に突き刺さった。接敵までにできるだけ数を減らす、または動きを鈍らせる作戦だ。
ダフネはオークの棍棒をかいくぐり、あえて一撃で倒そうとはせずに利き腕か足を狙った。ネイサンもツーハンドソードでオークの足を刈って回った。利き腕や足を負傷したオークのとどめは全て遊撃のヒラリーに任せた。サムは中距離からウィンドカッターを撃ちまくっていた。範囲魔法ではないがチェインライトニングよりも魔力の消費が少なく、呪文の詠唱時間も短いからだ。アナは一番後ろで…ゆっくりしていた。ヒーラーが暇なのはとても良いことだ。
第4パーティーも善戦していた。デイブが加入して、今このパーティーには前衛が五人いる。矢で動きを鈍らせたオークに対して、ツーマンセルが二組と遊撃手がひとりだ。アーチャーは必要に応じて弓を使ったりショートソードに持ち替えたりしていた。ただし、魔道士はヒールで忙しくしていた。討伐二日目の狩りは順調に推移していった。
三日目に十数匹のオークの夜襲があったというアクシデントはあったものの、それを難なく乗り切り、ダフネ達のオーク討伐クエスト最初の三日間は無事に終わった。




