百五十八章 刺客 その2
百五十八章 刺客 その2
ティモシーと外套の男はナイフで激しく斬り交わした。ティモシーが「闇纏い」で黒いもやを展開すると、男はすぐに距離をとり、スローイングナイフを撃ってくるので、ティモシーは「闇纏い」を使わずに至近距離で男と渡り合うしかなかった。「闇纏い」は接近戦では大変有効だが、視野が狭くなるので遠距離攻撃…弓矢や投げナイフは回避しにくく不利になることがある。
ルルブがティモシーの加勢をしようと陰から出ようとした。しかし、右手でシーラを抱きかかえていたナンシーが左手でスカートを掴んで引き留めた。
「あんたっ、子供が流れたらどうするんだいっ!」
ルルブは拳を握り締めて…目を閉じた。
ティモシーは最速で交互に両手のナイフを外套の男に繰り出したが、全て防御されていた。男にはまだまだ余裕があるようで、ティモシーの出方を見ている風があった。
ティモシーも実力の差を感じ何とかしたいと思ったのか、時折、ナイフとナイフがかち合うと、ティモシーは外套の男に「ある事」を試していた。しかし、すぐに男は気がついてティモシーからパッと飛んで離れた。
「…見たこともないスキルを使うな…お前は何だ、何者だ?」
外套の男は自分の右手についた黒いもやを見ながら言った。そして、右腕を曲げたり伸ばしたりして問題がない事を確認すると…深度2の「セカンドラッシュ」を発動させ、再びティモシーに斬り掛かった。
相手を黒いもやで包み込む「ダークフォッグ」に失敗したティモシーは、今度は防戦一方になった。外套の男は謎のスキルを警戒して、短期決戦に切り替えたのだ。
ティモシーも同じく「セカンドラッシュ」で対応した。お互いに、2秒の攻防が続いた。
男は驚いた。
(…この若さで深度2の「セカンドラッシュ」を使えるのか…!)
が…経験と体格の差は如何ともし難く…次の瞬間、外套の男はティモシーの右のナイフを弾き飛ばした。
(…なかなかの逸材だ。勿体ないがここで死んで…)
男がとどめと決めて右のナイフを溜めて突き出した刹那…そのナイフより先にティモシーの黒いナイフが男の外套に突き刺さった。
「…むっ⁉︎」
ティモシーは笑った…だがすぐに、手応えに違和感を感じた。ずっしりとした感触…単なる皮の外套ではない…!ティモシーの「ダークエッジ」は男の体に到達していなかった。そして…男のナイフがティモシーの腹に突き込まれた。
「あうう…っ!」
腹部を刺されたティモシーはその場にうずくまった。
「…今のもスキルか?少しヒヤッとした…。」
男の外套はひと晩水に浸した皮の外套だった。たっぷり水を吸った皮は燃えにくくなり、少し重くなるが防御性能は格段に上がる。ティモシーの細腕ではこの外套を突き通すことができなかったのだ。
外套の男は「ウルフノーズ」を発動させ、セレスティシアの臭いを探した。
「だ…だめです、セレスティシア様っ!出て行ってはなりません!」
ティモシーが倒れた瞬間、スクルの静止を振り切ってヴィオレッタがリール女史を前に突き出して林の木の陰から飛び出した。今、ティモシーを助けられるのは私しかいない!リール女史さえあれば何とかなる!…ヴィオレッタには過信があった。
「イグニションッ!」
ヴィオレッタは無詠唱で最速かつ最もダメージを与えられる「火」を選んだが、最悪の選択をしてしまった。
濡れた皮の外套を着込んだ刺客は、リール女史が起こした爆炎のど真ん中を一瞬でかい潜り、ヴィオレッタの目の前に現れた。そして、ヴィオレッタの銀色の髪を掴むと…喉元にナイフを突きつけて小声で言った。
「俺はいつもターゲットに同じ質問をする…お前はセレスティシアで間違いないな…?」
十人のうち七人は「違う」と即答する。もう三人は無言だ。どちらの回答でも殺すのだが…。
私は今、ここで死ぬの⁉︎…ヴィオレッタは生まれて初めて直面した死の恐怖で顔が引きつり、両目には涙が溢れていた。しかし…それでも…叫んだ。
「そ…その通り、わ…私はセレスティシアだっ!」
「…⁉︎」
刺客は一瞬、躊躇した。今まで、自分の問いに肯定した者はいなかったからだ。もしかすると、こいつも仮面の女と同じ影武者なのかもしれない…。自分の命を投げうって、主人のセレスティシアを助けるつもりか…?まぁ、それでも、疑わしきは…殺す。
刺客がナイフを脇に引き絞ったその瞬間…ヴィオレッタの胸のブローチが跳ねて刺客の外套の中に飛び込んだ。
「うがっ…!」
刺客は止め金を引きちぎって皮の外套を脱ぎ捨て、激痛が走った首筋を確かめようとした。だが、即効性の神経毒は首の頸動脈からすぐに全身に回り…刺客は数秒で絶命した。
「め…メグミちゃ…ん…!」
ヴィオレッタの呼び声に、刺客の体から飛び移ってきたメグミちゃんが心配そうに念話を送ってきた。
(…ビオッタ…だいじぶ?…敵、やつけたよ…。)
「ありがと…ありがとうぅ〜〜…!」
手の甲の上のメグミちゃんを、ヴィオレッタは優しく手のひらで包んだ。
すると、甲高い奇声を上げながら、泣きながらシーラがティモシーのそばに走り寄った。
「うわああぁ〜〜っ…チモシィィ〜〜…!」
シーラの声に我に返ったヴィオレッタは、慌ててすぐにティモシーに「ヒール」を掛けた…あっ、しまった!ダークエルフに「ヒール」は禁物…しかし、ヴィオレッタがティモシーの顔を覗き込んでみると、気を失って青ざめていた顔にほのかに赤みが差した。
(…ああ…気を失ってるから、闇の精霊が常駐してなかったのか…良かった!)
ナンシーとルルブ、そしてヴィオレッタを心配したスクル、レイモンド、タイレルも集まってきた。ヴィオレッタはスクル、レイモンド、タイレルにも「ヒール」を掛けた。
「…セレスティシア様…なぜあの時、男の問いに『違う』と言わなかったのですか…?」
スクルの問いにヴィオレッタは小さな声で答えた。
「…分からない…。」
本当にヴィオレッタには分からなかった。刺客に殺されかけて恐怖のどん底だったのに…なぜあの時、私は自分がセレスティシアだと認めたのだろう…?
しばらくして、馬に乗って、後ろにクロエを乗せたエヴェレットが十騎の騎馬を引き連れて駆けつけてきた。
「セレスティシア様…ご無事ですかっ⁉︎」
「…う…うん…。」
馬から降りてきたクロエがヴィオレッタに抱きついて泣きじゃくった。
「セレスティシアさまぁ〜〜〜っ…‼︎」
「クロエ…大丈夫だよ…。」
ヴィオレッタは泣くまいと気を張っていたのに、クロエの泣き顔を見て、自分も涙がこぼれそうになった。エヴェレットが馬から降りてきて、ヴィオレッタを抱きしめた。
「セレスティシア様、災難でしたね…怖かったでしょう…?」
その途端…我慢していた涙がポロポロと流れ落ちて、感情が堰を切って溢れ出した。
「うえええぇっ…エヴェレットォ…怖かったぁ〜〜…‼︎」
ヴィオレッタはクロエと一緒にエヴェレットの胸の中で号泣した。そして…その瞬間、「私はセレスティアだ」と言った理由が分かった。
ヴィオレッタとして…観賞用奴隷として六十五年を生きた。しかし、その期間の自分の価値は美術品としての価値のみだけで、ただただ表面だけを観賞される以外は必要とされない六十五年だった。
だが、リーン族長区連邦にやって来てセレスティシアと呼ばれるようになり、リーン一族と国民から信頼を寄せられるようになった。今は亡きログレシアスやハーフエルフの従兄弟たち…特にエヴェレットは自分に絶大なる価値と信頼と愛情を注いでくれている。
(ここでは私は必要とされている…!)
今まで気づかなかったが…ヴィオレッタはそれに心地良さを感じていたのだ。
それが、彼らにとっては単にリーンで唯一残った純血のエルフであるという理由だったかもしれないが、それでも彼らの期待を裏切ってはならない、リーン族長区連邦を私の手で護らなくてはならないと思った。
今のヴィオレッタには「セレスティシア」という名前は、誇りとプライドになっていた。私はリーンの中では絶対的に「セレスティシア」であり、それ以外の何者でもない。だから、相手が敵であろうと味方であろうと「お前は誰だ」と尋ねられたら、「私はセレスティシアだ」と胸を張って答えるしかない…「私はセレスティシア」という事実…これだけには微塵の偽りも混ぜたくなかったのだ。
ヴィオレッタはひとしきり泣くと、素に戻ってエヴェレットに言った。
「…エヴェレットさん…早くティモシーに『神の回帰の息吹き』をあげてください…。」
「ですが、ダークエルフは…」
「今ならティモシーは気絶しているので大丈夫です。気を失っているうちに…お願いします。ティモシーは体を張って、私を刺客から護ってくれました…。」
エヴェレットはティモシー、スクル、レイモンド、タイレルの順に「神の回帰の息吹き」を回して、そして言った。
「一応、傷は塞がりましたが…クォーターの少年は出血が酷くて…今夜が山かもしれません…。」
「…何とか、助けてあげてください。」
「分かっております…セレスティシア様の命の恩人ですから…。」
エヴェレットは騎馬に乗った兵士に増血薬の処方箋を口頭で伝えた。
クロエはヴィオレッタにくっついて、まだグスングスンと泣いていた。
「ヴィオレッタ様ぁ〜〜…」
「どうしたの…クロエ?」
「ど…どうしよう…」
「…?」
「お母さんニワトリにいっぱい怒られるぅ〜〜…いっぱい突つかれるぅ〜〜…。」
ああ、ヒヨコか…。
「…一緒に謝ってあげるから。私も…しばらくは卵料理を控えるよ…。それで、もっとヒヨコを増やそ…?」




