百五十七章 刺客 その1
百五十七章 刺客 その1
バキィィッ…ガシャッ!
何かが窓の格子枠を突き破って家の中に投げ込まれ、それは床で割れて飛び散リ、鼻をつくような油の匂いがした。そして、間髪入れずに火種が放り込まれた。ダイニングはあっという間に火の海となり、クロエとシーラが甲高い声で悲鳴を上げた。
「キャアアアァ〜〜〜ッ、キャアアアァ〜〜〜ッ‼︎」
タイレルはすぐに体当たりして扉を打ち破り、身重のルルブとナンシーがシーラを、ティモシーがクロエを抱えて家の外に退避した。クロエとシーラは難を逃れた後も、燃え広がる火を見て喉が張り裂けんばかりの悲鳴を叫び続けていた。
クロエとシーラの悲鳴、そして煙と焦げる臭いで隣の寝室にいたヴィオレッタたちも緊急事態を察知した。
すぐにスクルがペレスが座っていた椅子を持ち上げて、窓に投げつけ破壊した。スクルが窓から出ようと身を乗り出すと、スクルの胸にナイフが突き立てられた。
「うぐっ…!」
「…スクルさん⁉︎」
「気をつけろ…外に賊がいるっ…!」
そう言って、スクルは胸を押さえて床に転がった。それを見たレイモンドは窓は危ないと判断し、壁板を剥がすと、中の土壁をナイフで抉り始めた。
「待って、私がやります!」
ヴィオレッタは腰からミスリルのナイフ…リール女史を引き抜くと、呪文を唱え始めた。
「美徳と祝福の神ベネトネリスの名において命じる…風の精霊シルフィよ、その小さき体を巨人の如く膨らませ、水の精霊ウンディーネよ、厳冬の極寒の湖を思い起こせ。而して我が氷の槍となりて、敵の急所を穿たん…貫け!アイシクルスピア‼︎」
空中で水が湧いたかと思うとすぐにそれは凍結し、数本の太いつららとなって壁めがけて高速で飛んでいった。
ドガガガガガンッ!
つららはものの見事に土壁を貫通し、人ひとりが通れるぐらいの穴が開いた。が…そこに黒茶の外套を頭からすっぽりと着込んだ男が立ちはだかっていた。
火と煙はどんどんと寝室にまで回ってきていた。この男はみんなを閉じ込めて焼死させるつもりだ。
レイモンドが両袖からナイフを取り出し、外套の男に挑みかかった。
外套の男は外套をピッタリと前で閉じていたが、両腕を交互に外套の隙間から器用に出して、レイモンドと壁の穴を挟んで、すざまじい近接戦を繰り広げた。敵の得物もナイフのようで、チンッ、チンッというナイフ同士がぶつかり合う音が何度も聞こえた。
レイモンドは「セカンドラッシュ」を発動させ、超高速で敵に向かってナイフを繰り出した。しかし、なんと…敵も「セカンドラッシュ」に「セカンドラッシュ」を合わせてきた。レイモンドの超高速のナイフを超高速で防いで、1秒が経過すると…あろうことか、敵は2秒目に突入した。
「…うがっ…!こいつ…深度2の斥候だ…。」
レイモンドは敵のナイフを右腕と腹に食らって、後方に退いた。
それを林の藪の中で見ていたタイレルは「ウィンドカッター」の呪文を唱え始めた。
(…遅いな。)
外套の男は呪文が聞こえてきた辺りの薮に数本の小柄に似たスローイングナイフを打ち込んだ。
「…うっ!」
運悪く、その一本がタイレルの腿に深々と突き刺さった。
火が寝室まで移ってきて、黒い煙が部屋に充満してきた。ヴィオレッタは咳をしながら、スクルとレイモンドに「ヒール」を掛けた。ペレスは床に突っ伏して頭を抱えてうずくまっていた。
ヴィオレッタは最大出力の「ブロウ」で家ごと吹き飛ばそうかと思ったが、クロエやティモシー一家の位置が分からなかったので躊躇した。声が出せれば彼らに家から距離を取るように指示を出せるのだが…。
「ごほ…ごほっ、仕方がない…とりあえず…」
ヴィオレッタは空中で大量の水を作り、「ハードスプラッシュ」の魔法でそこらじゅうを水浸しにした。
それを見た外套の男は思った。
(…立て続けにこれだけの威力の魔法を使うとは…間違いなくこの小娘が「黒のセレスティシア」のようだな…。)
外套の男は家の外でペレスとヴィオレッタたちの会話を盗み聞きしていたのだ。
男はスローイングナイフを取り出して、ヴィオレッタに狙いを定めた。
一本のナイフが外套の男めがけて飛んだ。外套の男は外套を翻して、そのナイフを弾いた。男が振り返ると、黒いもやに包まれた物体がこちらに向かって突進してくるのが見えた。
(…何だ、あれは⁉︎)
ティモシーだった。ティモシーは「闇纏い」をまとって外套の男に接近した。外套の男は黒いもやに何本もスローイングナイフを射ち込んだ。しかし、その瞬間にティモシーは横っ飛びして、林の中に消えていった。
(「シャドウハイド」か…こいつも斥候か…!)
外套の男も建物の陰の中にふっ…と消えた。
敵がいなくなったと勘違いしたヴィオレッタたちは壁の穴を通って外に出てきた。スクルもレイモンドも傷は浅くはなかったが、急所は外れていて致命傷ではなかったので自力で壁の穴から這い出した。ヴィオレッタはペレスの尻を靴で小突いて何とか外に追いやった。しかし…早く、スクルとレイモンドの傷口の止血をしなければ…。
それを木陰に潜んで見ていたティモシーは「まずい!」と思い、陰から飛び出した。
「セレスティシア様、敵はまだ近くにいます。気をつけてぇっ!」
予想通り、建物の陰に潜んでいた外套の男がスローイングナイフでヴィオレッタを狙った。
「…あっ!」
しかし、間一髪…駆けつけたティモシーがそれを闇の精霊で作った「ダークシールド」で防いだ。
「…ティモシー、あんたは無事だったのね⁉︎」
「セレスティシア様、動かないでください…下手に動かれるとあいつのナイフを防ぎきれません!」
「他の…クロエや…シーラは?」
「無事です、どっかに隠れています。」
それを聞いたヴィオレッタはあらん限りの声を張り上げて叫んだ。
「クロエェ〜〜ッ!エヴェレットさんを呼んできてっ‼︎」
それを林の中の木の陰で聞いたクロエは小鼠のように林の傾斜を猛スピードで登って行った。
外套の男はそれに気づいたが追うことはしなかった。彼のターゲットはあくまでセレスティシア…そして、再びリーンに帰順したペレスだった。この場所と「セコイアの懐」との距離は把握している…救援が来るまでに三十分はかかるだろう…それまでには片付く…。
外套の男は傭兵で、ラクスマン王国の軍務尚書に莫大な報酬で雇われた超一流の殺し屋だった。捕虜交換の際に、自分に似た独り者の男と入れ替わり、マットガイスト族長区に潜入したのだった。そして、セレスティシアがドルイン族長区を視察すると聞き及ぶと、ドルインに移動し、ずっとセレスティシアを暗殺する機会を窺っていた。視察予定は一週間という情報を得て、疲れが蓄積する最終日を決行日とするも、セレスティシアは予定を早めてリーン族長区に帰ってしまった。焦った男はドルインのスパイとコンタクトをとり更なる情報を得ようとしたが、そのスパイ…ペレスをレイモンドが拉致したので尾行してここまでやって来たのだ。
そのペレスが辺りをキョロキョロと見回し、逃亡のチャンスと思ったのか、ヴィオレッタの制止を振り切って、突然林の方向に走り出した。
「あ…バカッ…!」
案の定、建物の陰から心臓を狙ってペレスの背中にスローイングナイフが飛んでいった。
「させないっ…!」
ヴィオレッタは無詠唱で使える「ブロウ」をペレス目掛けて撃った。スローイングナイフは「ブロウ」の風の影響でペレスの背中をそれた。そのペレスも「ブロウ」で太った体を押され、足がもつれて盛大に地面に転がった。
スローイングナイフが飛んで来た方向から外套の男が潜んでいる陰を特定したティモシーは、その陰の中に「ダークエッジ」を撃ち込んだ。すると、外套の男が出てきてティモシーに肉迫した。
「こいつは僕が抑えます、危ないからみんなは早くここから離れて!」
ヴィオレッタたちは地面を這いつくばって、何とか林の中に逃げ込んだ。その直後、炎に包まれた家屋が倒壊した。




